私の恋人は今、行方不明。
緊急性はない。だって自分から進んでそうなっているんだから。
こういうときは電話にも出ないし、メールも返ってこない。
あちらから会いにきてほしいという意思表示があるまで、私はいつも通りの日々を送るのみなのだ。
朝起きて、ごはんをつくって食べる。
学校へ行って勉強をして、買い物をしてから家に帰ってまたごはんをつくる。そして食べる。
たまに友達とお茶したり家の掃除なんかしているうちに、みるみる時間は過ぎていく。
喜八郎はたまあに、色々なことが面倒になった時に、こうして行方不明になる。
朝、いつも決まった時間に起きること、学校へ行って勉強をすること、友達と話すこと。
その中に私と一緒にいることも含まれているのだろうか。それはまだ聞いたことがない。
でも、きっとそうだろう。そう考えると少しだけ悲しいけれど、仕方ない。
私だってたまに何もかも面倒になってしまうことがあるから。
ただ喜八郎と違って、放り出せないだけだ。
面倒くさいなあと考えながらもいつも通りの生活を送る私は、喜八郎よりも少しだけずるくて、大人なのかもしれない。
喜八郎がいてもいなくても、私、多分、生きていける。
けれど、喜八郎がいると暮らしの色味がやわらかくなる。
夕暮れ時にすみれ色に染まる空をふたりならんで見ているだけで、幸せになれる。
つまり、なんというか、今私は、とてもさみしい。
喜八郎に会いたい。
行方不明といったって、大体は家にいるのだと前に聞いていた。
恋人の家を訪ねる、それだけのことなのにこんなに緊張するなんて変なの。
喜八郎の住むアパートのドアの前に立ち、ひと呼吸おいてから呼び鈴をおす。
1、2、3。数え終わらないうちにドアが開き、拍子抜けするほどいつも通りの喜八郎があらわれた。
「ああ、ナマエ。おはよう」
「ごめん、急に来て」
「上がったら?」
もう夕方なのにおはようなんてとぼけたことを言っている喜八郎の、少しよれたグレーのパジャマを着た後ろ姿を
見ながら部屋に入る。想像していたのと違って部屋は散らかっていないし、相変わらず居心地のいい空気が流れている。
今ラーメンつくってたんだけどナマエも食べる?塩でいいよね。
返事をする前からラーメンの袋をふたつ、勢いよくばりっとあけた。鼻歌まじりに台所に向かう背中に向かって、
怖くて今までしたことがなかった質問を投げかけてみる。
「きはちろう」
「なあに」
「私と一緒にいることも、たまに面倒になる?」
「ならないよ」
「…連絡しても返ってこないから面倒なんだと思ってた」
心についた些細な傷を自ら深くするような、自傷まがいの質問はあっけなく否定された。
ぽかんとしたまま座布団に座っていると、難しい顔をした喜八郎が湯気のたつラーメンのどんぶりをごとんと置いた。
「僕がこういう時にナマエに連絡をとらないのは、こうして色んなことを面倒がっている僕のことを
見てナマエが面倒がっているのを見たくないというか、つまりナマエに面倒な奴だと思われたくないから…なんだと思う」
うまく言えないけど、僕が言いたいことわかる?と言いながらラーメンをすすっている喜八郎の顔が湯気でぼやけた。
そうか。私と一緒にいるのが面倒なわけじゃなくて、私に面倒がられるのが………つまり、私は喜八郎と一緒にいていいのか。
冷めないうちに食べちゃいなよと促されてラーメンをすすると、涙だけじゃなくて鼻水まで出てきた。
「ナマエは近頃、何してたの」
「ごはんつくったり食べたり…お茶飲みに行ったりしてた」
「飲み食いばっかりじゃない」
「喜八郎のこと、いっぱい考えてた」
「おやまあ」
「次からいなくなる時は、せめて連絡ちょうだいよ。ずっと寂しかったよ」
「じゃあ、次はナマエを連れてふたりでいなくなろうか」
「…それって、かけおち?」
「そうとも言う」
ふっと笑うとつられて喜八郎も笑った。
寂しくさせてごめんね。ちゃぶ台の向こうから私の頭をなでる喜八郎の手をそっとさわると、温かい。
世界に色が戻ってきた。