「前から思ってたんだけどさ、いや、でも言わないようにはしてたんだけど。ナマエって何考えてんだかいまいち分かんないんだよな…でもほら、ナマエは強いからさ、俺がいなくても大丈夫だよ」
言わないようにしてた?だったら最後まで言うんじゃねえよバアアアアカ。正直に他に好きな女ができたからだと言え。別れる理由を私のせいにするんじゃねえ。大体私は別に強くなんかない。今だって一方的にあんたに呼び出されてふられて正直泣きそうだ。…あんたにふられたからじゃない。あんたみたいな男と付き合って無駄な時間を過ごしてきた自分の馬鹿さ加減に泣きそうなんだ。
などと心の中で強がってはみるものの傍から見れば今の私は「男にふられてそいつが立ち去った後もその場に呆然と立ち尽くしているかわいそうな女」である。ああクソ。こんな事になるんだったら誕生日プレゼントにあんな高い時計なんて買ってやるんじゃなかった。金返せばかやろう。人類が地球上に誕生してから未だかつて誰も味わった事のないような不幸を味わえ。大体何もこんな公園の真ん中で言わなくたって…。
世界の何もかもに腹が立つ。足下に落ちていた空き缶を思い切り蹴り飛ばしたら気に入っているブーツの爪先に傷がついた。あわててしゃがみ込んで指で傷をこするが当然傷は消えない。とたんにじわじわと目元が熱くなってきてぼたぼたと大粒の涙がブーツに落ちた。ああ、このうえ水までしみちゃって。このブーツ革なのに。
とりあえず泣き止もうと、よたよたと近くのベンチに腰かけて鞄の中をあさったがいつもなら入っているポケットティッシュは今日に限ってひとつも入っていない。今私ひっどい顔してるんだろうな。あーあ。あんなんでも結構好きだったんだ。笑うと鼻に皺がよるとことかさ。そういえばいつも「ナマエの事全部知りたい」とか言ってたな…笑って流してたけど今思うとあれは本気だったってことか。しまったな。でも全部なんて知られたくないし。私だって私の全部なんて知らない。
いつの間にか出てきた鼻水をすすりながらぼーっとしていると、隣に高校生の男の子が座ってきた。空気読めよ。さっきまでこの辺で遊んでた子供だってみんなお母さんに連れられてどっか行ったっていうのに。私が非難の意をこめて思い切り鼻をすするとその男の子は何故か更に距離をつめてきて、私の膝の上にぽとりとポケットティッシュを落とした。
「これさっき駅で配ってたのもらったんであげます」
「…どうもありがとう」
「お姉さんふられたんですか?」
「ええそうですねふられましたね」
「俺もさっきふられました」
「…本当に?」
「はい。何考えてるんだかわかんないって言われていつの間にかふられてました」
「いつの間にかってあんた…」
「いつもそうなんです。あっちから告白してくるのに一ヶ月もしないで大体俺がふられるんです」
よく見ればきれいな顔立ちをしたその男の子は、ふられたばかりだというのに特に気にした様子も見せず淡々と話している。隣で鼻水まで出して泣いている私がなんだかばかみたいじゃないか。というかこの話の流れだと彼を慰めた方がいいのだろうか。正直慰められたいのは私なんだけれど。
「なんて言うか…あんまり気にする事ないと思うよ」
「ありがとうございます。さすがに少し落ち込んでたんですがそう言ってもらえると楽になります」
「あ、うん…きっとその内わかってくれる人があらわれるよ」
「本当ですか」
「う…絶対とは言えないけど…捜し続けてればいつかはきっと」
私がそう言うと男の子は本当にかすかに、でもとても嬉しいんだろうな、と分かる笑顔を浮かべた。正直かわいい。きっと彼に告白した女の子たちはこういう表情を見せてほしかったんじゃないだろうか。そんな事思ったって詮無い事だが。
それから彼はおもむろに立ち上がると、深々と私にお辞儀をして帰って行った。だんだん遠ざかっていく学生服の背中をなんとなく見送ってからふと視線をこちらへ戻すと、さっきまで彼が座っていたところには学生証がぽつんと置かれていた。…シンデレラみたいな男の子だな。これどうしよう。学校に届ければいいか。
よし今から届けよう。そう決めて思い切り伸びをしてから立ち上がると、不思議と胸の中にあった悲しみや怒りが消えているのに気がついた。さっきまで男の子を励ます為に言っていた自分の言葉が反響して胸の中を温めていく。…今日家に帰ったらやけ飲みするつもりだったけれどやっぱりやめて、料理をつくろう。のんびり鼻歌でも歌いながら、自分の為だけに。
彼の落としていった学生証をぎゅっと握りしめると、私は背筋を伸ばして公園を後にした。