遠くが白く霞む程の雨が降っている。確か今朝見た天気予報では降水確率40パーセントだったんだけどなあと独り言を言いながらカバンから折り畳み傘を出した。念のためにと傘を持ってきた朝の自分をほめてあげたい。この雨では傘をさしてもかなり濡れるだろうがささないよりはずっといいだろう。がさがさと傘を開いていると肩をぽんとたたかれた。

「奇遇だなナマエ。今帰りか?」
「立花…」

振り向くと妙に爽やかな笑顔をした立花が立っていた。いつも悪の化身のような笑顔しか私には見せないくせに。さては何か魂胆があるなと警戒していると立花は夏のサイダーみたいな笑顔のまま肩をくんできた。

「今日は傘を持ってないんだ。一緒に入れてくれ」
「お断りします」
「何だとこのすっとこどっこい」
「本性を現したなクソ立花」

地獄からの使者みたいな顔になった立花を置いて昇降口の外へと歩き出す。雨の勢いが強すぎて、手に力を入れないと傘が揺れてしまうほどだ。これは駅につくまでに相当濡れてしまうなあと考えていると傘を奪い取られた。

「か、傘泥棒!」
「誰が傘泥棒だ。あんなに一生懸命お願いする人間を放置して平然としているなんてそれでも人の子か。お前の血は青いに違いない」
「一生懸命お願いしてた人なんていませんでしたけど…」

当たり前のように私の言葉を無視した立花は平然と傘を持って私の横を歩き出す。いつもより距離が近くて何だか調子が狂ってしまう。どうして立花と相合傘をして帰らなければいけないんだ…。特に会話もせずにしばらく歩いていたがふと違和感に気づく。右肩が…冷たい…?ぱっと立花の方を見ると奴は口笛を吹きながらただでさえ小さい折り畳み傘をたっぷりとほとんど自分のためだけに使っていた。おかげではみ出した私の右肩が濡れているというわけである。しばらく呆然と立花の無駄に整った横顔を見ていたが、ふと我に返り無言で立花を膝蹴りして傘から追い出した。だがしかし傘は相変わらず立花が持ったままなのであまり意味はない。立花はこれまた無言で私の頭を掴むと傘の下から押し出そうとしてくる。私も負けじと奴の腹を渾身の力を込めて押す。そうしてしばらくの間無言の攻防戦が続いたが、やがてお互いの根気が尽き、大人しく二人で傘を分け合い歩き出した時にはすでに二人ともずぶぬれであった。

「立花のクソ馬鹿…」
「クソはそっちだこのクソナマエ…」

力なくののしり合いながら駅につき、のろのろと改札を抜ける。帰る方向が同じなのでこのゲス野郎と同じ電車に乗らなければいけないのが憂鬱である。ホームで濡れた髪の毛や制服の水気を落としているときっちりとたたんだ折り畳み傘を立花が返してきた。変な所で律儀な奴だ。折り畳み傘をきちんとたためないことについては他の追随を許さない私である。これには素直に助かったと言うべきか。まぁ言わないけどね。傘をカバンにしまったところで電車が静かにホームへ入ってきた。無言のまま乗り込むと乗客はこの雨のせいかほとんどいなかった。

「珍しくすいてるねぇ」
「ちょうど昼時だしこの雨だしな」
「あっそうか、今日は早いんだ」

そうだった。今日は午前授業だったからまだ早い時間なんだった。雨の日は薄暗いから時間感覚が狂ってしまう。何となく隣同士に座ると電車が発車した。話し声もなく電車の走る音もいつもより小さく聞こえる気がする。この静かで不思議な時間を何故こいつと過ごしているのか疑問だ。ちらりと隣に座った立花を見ると、いつもぴしっとアイロンのかかったシャツが雨に濡れたのと押し合いをしたせいでくしゃくしゃになっている。濡れた髪からはぽたぽたと雫が落ちてなんだかきれいだ。しゃくだけどそれは認めよう。立花はとてもきれいな顔をしている。黙っていれば。濡れたせいか立花のにおいがいつもより強くする。花のようなにおい。立花だけにってか。やかましいわ。とりとめのない事をつらつら考えながら立花を凝視していると、奴は大きなあくびをしてから私を見てにやりと笑った。

「水も滴るいい男だと思っているだろう」
「思ってないです」
「かわいくないなお前は…」
「私のかわいさは私が一番よく知ってるもんね」
「アホか」

立花は呆れたように笑って折り畳み傘で私の頭を軽く小突いた。……折り畳み傘で…?

「ちょっと立花、傘持ってるじゃん!」
「お、ちょうど降りる駅だ」

華麗に私の訴えを無視した立花はホームへ降りるとカバンからタオルを出して立ち上がっていた私の顔に投げつけてきた。痛い。けっこうな力で投げつけやがって。鼻をさすりながら睨みつけると奴はふっと笑った。

「それで髪でも拭け。風邪の菌もお前には近寄りたくないと思うが念のためだ」

言いたい事が色々とありすぎてまとまらない私がようやく口を開いた瞬間にドアが閉まって電車が走り出した。立花は口を開けたままの私を指さして笑いながら手を振っている。どうやったらここまで憎たらしい人間に育つんだ。私は立花が見えなくなるまで車内に立ちつくしていたがゆっくりと座席に座り、力まかせに髪の毛をふいた。あ、タオルからも花のにおい。