ライオンと小鳥 | ナノ



気づかないでください

 
 ついに来てしまった、インターハイ予選!
 予選ということもあって広い体育館を占める観客数は少ないものの、強豪校となれば親御さんたちが黙っていないのだろう。学校によっては大勢の応援者が集まる中、音駒高校の観客席はそこそこ埋まっていた。
 
「き、緊張する……!」
 
 まるで自分の試合のようであった。いや、その表現はあながち間違ってないんだけど、私は喜びを分かち合うチームメイトの一員というよりは親御さんと同じ気持ちなのだろう。……うーん、それはそれで不服だ。
 しかし、いざ開会式を迎えてしまえば、私の視線は右にも左にも流れた。体育館特有の匂い、熱気、雰囲気。どれをとっても大好きだ。
 自分が高校生の時、あの舞台の一角に腰を据え、選手たちを応援していた頃の記憶が鮮明によみがえるのだ。
 鉄朗くんたちの初戦は、今ある試合の次からだ。手に汗を握りながら刻々と刻まれる時計に目を向ける。
 予選1週間前に告げられた言葉を忘れた訳ではなかった。
 予選に勝ち進めば、鉄朗くんは私に一日をくれと言った。
 彼はどういう意味で、その言葉を告げたのだろうか。それがはっきりと分からず、この1週間、私はそんな彼の言葉に振り回された。
 
「唯」
「なんですか達也さん」
「今度、義弟の応援に行くんだろ? とびきりのお洒落をしてやれよ」
 
 そう言って、達也さんは笑顔を浮かべた。その意味が分からなかった私は次の言葉に照れるしか出来なかったのだ。
 
「(男の原動力は好きな女だって……達也さんじゃあるまいし)」
 
 ……とか言いつつもちゃっかり一番気に入っているワンピースを着てきている自分になんとも言えなくなる。
 鉄朗くんとは時間差で家を出たからお洒落してるのを知らない。それが良いのか悪いのか分からないけれど、中々恥ずかしいぞこれは。
 
「! あ、鉄朗くんたちだ」
 
 猫又監督は近くで見ていいとマネージャー席を勧めてくれたが、公式戦でもあるしなにより周囲の視線を気にしてしまった私は丁重に断り、観客席から彼を見守ることにしたのだ。
 いよいよだと舞台に足を踏み入れた彼らは公式ウォームアップに入った。その間も何人かの女子生徒たちが彼らの名前を呼ぶのだから改めて人気を感じさせられる。
 そして整列のホイッスルが体育館一杯に響き渡る。
 整列した彼らの対戦相手は中々の強豪校だと聞いていた。初戦から当たるのは厳しいと鉄朗くんが零す相手との試合に私はただただ見つめるしか出来なかった。
 
「が、頑張れ!」
 
 観客の応援が飛び交う中、私の声援は小さなものであっただろう。
 しかし、それでも――、観客席に目を向ける鉄朗くんと視線が合った気がしてならなかった。
 
 
……
 
 
 鉄朗くんたちの初戦は白星で幕を閉じた。
 初戦にしては中々の対戦で、両者一点も譲らないという気迫籠るものがあった。
 相手も強豪校と言われているだけあって、一戦目からフルセットまで持ち込んだものの、音駒の繋ぐバレーが勝敗を分けた結果となった。
 続けて2戦目は、体力に限界があっただろうが相手に救われて2勝して音駒の勝ちとなった。
 
「ふう」
 
 自動販売機の前に立ち、張りつめていた息をゆっくりと解いて行く。
 試合の気迫に圧倒されそうになった。そして、やっぱりバレーは楽しいものだ。
 些細なミスがあったものの、それを上手くカバー出来る音駒は流石と言うか、実力のある学校だなと思ってしまう。
 
「(今日は鉄朗くんの好物の魚でも買ってあげようかな。作れたら一番いいんだけど、それは出来ないしなあ)」
「あのう、すみません」
 
 自動販売機前で立ち止っていたのがいけなかったのだろう。飛び退くように後ろへ後退した私を見て笑顔を浮かべたのは選手と思える子であった。見知らぬユニフォームであるから先程の対戦校の子ではないと判断できる。
 
「すみません。突っ立ってて」
「……いや。別に自販機に用がある訳じゃなかったから」
「え?」
 
 顔を上げれば、背丈は鉄朗くんくらいあることが伺えた。中々シャープな顔立ちをしている。
 目の前に佇む彼の言葉をいまいち理解出来ずに呆ける私を見て、彼は人差し指で頬を掻いた。気まずそうに言いよどむ姿が年下特有の可愛さを上手く表現している気がした。
 
「えっと、誰かの応援ですか? 彼氏とか」
「あ、いや……彼氏ではないです」
 
 初対面の人相手になんで素直になっているのだろうか。質問の内容も中々恥ずかしいものがある。
 この場から立ち去ろうと軽く会釈すれば、向こうは焦ったように私に近づいてきた。反射的に一歩後ろへ後退するものの、手首を掴まれては動く術を失ってしまう。
 
「どうかしましたか?」
「この後予定ありますか? 俺、今日の試合はもう終わって」
「残念だけど、それ、俺の連れだから」
 
 後ろから声がしたと思えば、誰かに引寄せられる感覚を覚えた。脳裏に浮かんだのは鉄朗くんの顔だ。しかし、声はそんな彼のものとは異なっていた。
 
「あ、連れが……失礼します」
 
 男の子はそういうなり駆け出して去ってしまった。茫然とその場を見ていたものの、ふと我に返って引き寄せている相手を見上げるのだ。
 
「(うわ、)」
 
 今日はイケケン祭りですか。すぐ後ろに居る彼はかなりのイケメンだった。
 唖然とする私を見た彼は困ったように眉を下げたのだ。
 
「随分と分かりやすいナンパに引っかかっていましたね」
「え、あ(今のナンパだったの? 私、どうみても年上のはず)」
「……もしかして、邪魔でしたか? 俺」
 
 更に眉を下げた彼の言葉を否定するように両手を振って弁明する。ナンパとは思っていなかっただけだし、目の前に居る彼の容姿に見とれていたなんて口が裂けても言えない……!
 あれ、私ってこんなにミーハーだっけ? そんな自問自答を繰り返していれば、背後から聞き慣れた声がしたことに気付いた。振り返れば鉄朗くんが切羽詰った表情でこちらに向かって駆けてきているのが見えた。
 私を引き寄せていた彼はいつの間にか離れていて、私と鉄朗くんを見比べた。
 
「唯さん! って、赤葦? なんでお前が此処に」
「それは俺のセリフです。黒尾さんの連れだったらちゃんと見ておいてくださいよ。……彼女、知らない男にナンパされてましたよ」
「なっ!」
 
 彼の捨て台詞を意地悪だと思ってしまうのは私だけなのだろうか。見るからに剣幕な顔つきになった鉄朗くんの視線から逃れるように赤葦と呼ばれた彼に目を向ければ、彼は澄ました顔のまま“頑張ってください”と意味深すぎる言葉を残して去ってしまったのだ。
その一言が鉄朗くんを良く知るからこその言葉であるのが嫌でも分かってしまうのが辛い所だ。
 なんとか弁解しようと口を開こうとした時、目の前に居る鉄朗くんに引寄せられ、抱き締められるのだ。目を白黒させる私の肩口に顔を埋める彼は大きく息を吐き出したことに気付いた。
 
「……心配させんなよ」
 
 小さい声ながらも低いそれは私の耳にしっかりと残った。
 きっと鉄朗くんの脳裏には、以前の飲み会を思い浮かべているのだろう。あの時も彼に迷惑をかけてしまった。今回はどうなるか分からないものの、赤葦くんの助けがなかったら知らず知らずの内にナンパに引っかかっていたかもしれないのだ。
 
「そんな……服着てるから狙われんだ。それなくても唯さん、声掛けやすい雰囲気でもあんのに」
「……ごめんね」
「ごめん、俺も言い過ぎだよな」
 
 鉄朗くんが謝る必要ないのに、彼はもう一度、ごめんと言葉を紡いだ。
 そんな優しい彼の気持ちが伝わってきて、私は口を閉ざすしか出来なかった。
 今度赤葦くんを見かけた時は謝って、もう一度感謝の言葉を告げよう。けれど、それでも……最初に私を見つけてくれるのは鉄朗くんが良かった思う私は欲深い女なのだろうか。
 
 
気付かないでください
(邪な気持ちに)
 
実は密かにvs赤葦にしようかと考えたこともあった。
20160216
 
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