版権 (A/PHは本田さんの誕生日)



境界



汗の光るのが視界を刺して、ふと意識が返った。
ゆらゆらと暑さで揺れる地面からじっとりとした熱気が立ち込めてきて、ぼうっと眺めていた水谷の姿が歪む。
五月蝿い蝉の声が鬱陶しい。
数メートル斜め前方に立つ彼の横顔が楽しそうに笑っているのに、聴こえるはずの笑い声は鼓膜を叩くそれに塞がれる。たまにふとこうして、彼をものすごく遠く感じることがある。平生のしつこいくらいの構いかけだとか、ばかみたいな応酬が嘘に塗り固められたピエロの遊戯みたいに思えるのは自分だけなのだろうか。
あの日夕暮れの部室で、やけに真面目な顔をした彼に告げられた言葉は、鮮烈なオレンジの夕日とともにいまだ脳裏に焼き付いている。おかしかった。へらへらしているのがお似合いの馬鹿が、まるでいまから甲子園で試合を始めますとでもいうように緊張と高揚に彩られ、まるで別人。なんだかおそろしくなって、やめろよ、そう制止しようとした言葉は音にならずに喉に張り付いて呼吸さえ邪魔した。
彼の唇から漏れたその言葉はまるで現実感もなく俺の耳を通り抜けていき、その声音だけが妙に後を引いている。

ふと、前方の水谷が後ろを振り返った。こちをみていつもの笑顔で俺の名を呼ぶ。
「イズミ!」
その余韻があの日の音と混ざり合う。忘れたくても忘れられない、鮮烈な記憶。
「…なんだよ、」
吐き出した声は掠れて、歯ぎしり。
「…この前の、ことなんだけどさ」
そんな俺をみて困ったようにへらっと笑った男は、しかし部活中の短い休憩時間にするような話題ではないことを口にしようとしていて、バッティング練習を終えたばかりの心拍に更に拍車をかけはじめた。
「あのときは突然ごめん。…どうしても、我慢がきかなくて。それで…」
「それは。それは、いまじゃなきゃだめな話なのか?」
そんなどうでもいい言い訳も、これから言われるであろうことも、全てごめんだ。そんなこと俺にはどうでもいい。知りたくないし、知らなくていい。それは、お前の問題だろう、水谷。
「…今日は、暑いじゃん?」
「………」
なんと言い返してくるだろう、あわよくばそのまま引っ込め、と思っていただけに、突然の彼の返しは予想外で、返す言葉がない。
「だから、頭も沸いてるし、場所は広いし、泉はここにいるし。いまなら、訊ける気がした」
並び立てられた理由はさっぱり理解不能で、馬鹿丸出しで、それでいてやけに納得。きっとこのバカには、バカにしか理解のできない、それ。
「泉はきっと、こんなときじゃなきゃオレのそばにいないでしょ? オレだって、あからさまに避けられれば気づく」
最後の言葉に、どくりと心臓がなった。
確かにあの日から、俺は水谷を避けていたし、それを隠すつもりもなかったが、本人の口からそれを言われるとやはり多少なりとも気まずさがある。
「…っ、それ、は……おまえが、」
お前が悪い。そうつむごうと押し出された声は、しかしそれを遮る水谷の言葉に完璧に喉の奥へ押し戻った。
「そう、だから。 だから、もう終わりにしよう、泉」
何も感じられない、穏やかな声。
あれほど耳を突いていた蝉の声が、消失する。この世界に響く音は、水谷の声だけだとでもいうように。
「もう、泉を縛らないよ。 困らせたいわけじゃないし」
だから、ひとつだけお願い。とまた一歩近づいた水谷は、かなしいほど綺麗に微笑んで俺にひどい重荷を突き付けた。
「しっかり、振ってくれ」
その声は、あの日の声とまったく同じ響きでもって俺を侵食する。

『 好きだよ、泉 』

鮮烈なオレンジの世界の中で、ただ一言そう口にした彼の、その声。
友達としてだとか、ふざけてだとか、そういう可能性がひとつも浮かばなくなるくらい、真摯で切ない音。
俺にはその音が凶器であり、そして恋であった。

踏み超えてはいけないと堪えていた一歩。踏みとどまっていた一線。お互いの間で暗黙の誓いとなっていたはずの境界を壊したのは、目の前の男だ。
故に俺は逃げた。越えてしまわないように。溺れてしまわないように。
それなのに、なぜ。

「……んな」
「いずみ?」
「っざけんな!」

込み上げた怒りはもう収まることを知らない。

「そんなんで解決すると思ってんのかよ、その程度なのかよお前」

ああ、泣きたい。自分が言っていることが支離滅裂しすぎて笑えもしない。

「…泉は、困ってるんだと思ってたんだけど」
「ああそうだ困ってるよ、お前の気持も、わけわかんねぇ自分の気持も!」

自分こそ困った表情で笑っていた水谷の顔から、ふと笑みが消える。そんな顔するなよ、俺が悪者みたいじゃないか。

「…だめだって、泉。おれ、ばかだからさ」

そんなこというと、期待しちゃうよ。

そうつぶやいて一歩を踏み出した水谷につかまれた手は熱でもあるように熱く、炎天下のせいなかのかそれともこのうるさい心拍のせいなのかは、わからない。


「……しら、」

しらねぇよ、といいかけた言葉は、遠くから俺たちを呼ぶ花井の声に差し止められて、悔しさと暑さで歪んだ顔は水谷のむかつくまでの晴れやかな笑顔で一笑に付されてしまった。

「おーっ花井ー! いまい…ッてーーー!!」

仕返しに目一杯にぎった掴まれままだった手に悲鳴をあげた水谷は、とりあえず放っておこう。





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