雪と墨[上] | ナノ
雪と墨[上]

葛とキアロが出会った頃のお話。


月がいっそう輝くこんな明るい夜に男二人と子供一人がしっかり寝静まった人気のない街道を歩いていく。
「吉宗、本当につれてくの?どうなってもしらないよ?」
まだ、そんなに長くない若い桔梗色の髪を結わえながら梨園がいう。
「あぁ、葛にも将軍の仕事って言うのを餓鬼のころから教えてやりたいしな、後々こんなはずじゃなかったなんていわれんのも癪だ。梨園もう一度確認したい。」
ちょうど髪を結い上げて、ふぅ、とため息を梨園はついた。下を見ると昨日五歳になったばかりの吉宗の子供、葛が吉宗の言いつけを守って口を堅く結んでついてきている。
「脱税、および異国人殺害の容疑。証拠ばっちり取れたよ。あと情報によると女の子が一人幽閉されてるって話だけど…こっちは証拠はないなー…噂かもしれないし…」
吉宗は笑っているのか、怒っているのかわからないような顔をしながら
「どっちにしろ、殺す。」
それは幽閉されてる女の子も?と聞きたかったが野暮だと思い、梨園は口を閉ざした。

―――――

「だっ!!誰だ!!!」
門番が異様な雰囲気を漂わせている二人と子供に驚きながら問う
「予約は取ってないんですがねー…逃げます?」
うろたえている門番にわらいながら梨園が言うと
「馬鹿、逃がしてどうすんだよ」
吉宗はやっと長い鬱陶しい髪を結いなおした後、当たり前のように、シュラと峰から刀を一本引き抜いた。
刹那、断末魔が屋敷に響きわたる
「なんだ?!曲者じゃ!!!出会え!出会え!!!」
門を突き破り屋敷の中へゆっくりと吉宗は歩を進めた。ここまではいつもどおり、なんてことはない。
狼藉者を排除しようと待ち構える、家臣たち。みな狼藉者を排除し、自分こそが名を上げてやろうと目が爛々と輝いている
今回はざっと200位か、恒正使わないかんなこりゃ、と頭の隅で考えながらゆっくり進めていた歩をいったん止める
「死にたくないなら、刀捨てろ。捨てたやつは殺さねぇ。」
毎度毎度戦う前には同じ台詞を吐くが、ここで刀を捨てる人間はほんの一握りだ。相手の技量が一瞬で推し量れるということは、相当の使い手。漏れなく自分の下に置く。まぁただ単純に腰抜けってときもあるが、こんな台詞ごときで今自分が窮地に立たされているなんて、今自分に刀を向けている家臣は到底思ってないだろう。
今回は2、3人が刀を落とした。まぁまぁだ。
「後の人間は死んでもいいってんだな?恨みっこなしだ。梨園、」
「はいよ、後ろとかっちゃんは任せて」
梨園はナイフを抜き構えを取った
「俺は?俺は、何すればいいの?」
葛のさも当たり前の様にきいてくるのに対して、少しだけ梨園が驚いた顔をするが、いつもどおりのおっとりとした話口調で、
「剣の稽古は怠ってないでしょう?いつもどおり、吉宗と手合わせしてるようにやってごらん」
「うん!!」
元気よく返事をして葛は葛用に拵えた少し小振りな刀を抜いた
あぁこの子は本当にさっきの人が死んだことに関しても何も思わないんだなと文楽は顔を少し、ほんの少し歪ませた
ざぁざぁと足音の擦る音をさせながら、家臣たちがゆっくりと吉宗たちを囲んでいく
一人が刀をだらりと構えた吉宗に斬りかかり、それをきっかけに次々に家臣達が吉宗に向かって突進してくる
「うおおおお!!」
一人の家臣の気合も虚しく、振り下ろした刀は虚しく空を斬り、その空いた隙にあっさりと吉宗が致命傷を与える。
走りだし、隙間を縫うように一撃、一人また一人地に伏せていく
やはり人が多いのは有利なとこはここで、少し屈んだ吉宗の後ろを取る
「隙ありいいいい!!!」
吉宗向かって刀をなぎ払おうとした瞬間、腕が弾き飛ばされ、刀を持った腕ごと宙に舞った。なにがおこったのかわからず、吉宗の方に目を落とすと、空いていると思っていたもう片方の手からキラリとしたものがみえる
しまった、こいつ、二刀流
と、思ったのが最後、背中からどんっと衝撃が走り家臣の思考は止まった。
「おせぇぞ」ゆっくりと立ち上がりぶっきらぼうに吉宗がいうと
「いやーたまにはあるんだね、吉宗が背中とられるなんて、ふふ」
笑いながら、先ほど放り投げたナイフを死体から引き抜き、血を払った
「ああ、今日はついてないわ。さっさと帰って酒でも飲もうぜ?」
「賛成、肴は吉宗の当番だよ。」「今日くらい変われよ」
「君、甘やかすとずっと甘えるから嫌だよ」
「あーあ、ホントなんかついてないわ」
一息ふと笑うとまた斬りかかる家臣に向かって、一撃一撃落としていった。
鬼神のように舞う吉宗にかなわないとようやく思った一人が、
隅で刀を持って、てくてくと暇そうに歩く少年に向かいだす。
「おい!葛!そっちいったぞ!」
吉宗が叫ぶ
葛は下を向いていた顔を上げて、前を見ると葛に今まさに家臣が切り掛ろうとしていた。
「あれ?」
葛はすっとんきょうな声をあげた
(遅い?)
切り掛ろうとしている速度がとても遅く写った。懐に入って、相手の心臓めがけて突くのにおよそ一秒。刹那の時間がコマ割りのように裂けて見える。相手がえづいて口から血を零す。刀を引き抜くと、肉が刀に絡みつく感触。そこから水が吹き出すように血が溢れ、葛に降り注いだ。
「うわぁ!!」
びっくりして、後ろに尻餅をつく。
「下手くそ」と作業をしつつ吉宗は笑った。


あらかた片付き、死屍累累の中まだ生きてたじろいでいる家臣に向けて
「おい、手前の頭どこにいんだよ?」
「あ、あ、あ、っか、隠し部屋、」
「ん、どこだよ?」
「知らない!知らない!」
「はぁーダメだ、話にならん。」
吉宗はため息をつき二本の刀を拭い紙で拭い、鞘に収めた
文楽が伸びをしながら、
「屋敷のなか探すしか無さそうだね」
「しゃーないな、おい葛、来い来い、お屋敷探検だ」
目を輝かせながら、血まみれの刀を引きずり葛が走ってくる
「わーい!!探検する!!」
「こら!!刀ひきずんじゃねぇ!!!」
楽しそうに近づいて来た葛は吉宗に頭をおもっきりぶたれた
「っだー!!」
「で、葛どうだった?初めての人殺し。」
いつもどおり笑いながら文楽が葛に言う
「へ?」
「吉宗に聞いてないの?」
「なんのこと?」葛は意味がわからないといったふうに小首を傾げた
表情を一つも変えずに、文楽は吉宗の方を振り返る
「吉宗ぇ、?」
急にあたふたと吉宗が焦り出し、
「あ、ぁああ!!葛、お前に言ってねぇことがあんだよ」
「?」
「まぁ、いい機会じゃねえか。ほら葛そこ座れ。」
吉宗が縁側に座ると、続いて葛と文楽は座った
「…………いいか?……お前は今、たった今、人の命を奪ったんだ。……しかも5歳でだ。なにも感じなかったか?」
「ううん、何が?」
「それはおかしい事なんだ。葛。いいか”何も感じない”っていうのがおかしいんだよ。まだ難しいことかもしれんが、言っとくぞ。人は感情がある、喜怒哀楽ってあるように、憎んだり、愛したり、恐れたり、人っていうのはいろんな感情ってもんがあるんだよ。俺たちは俺たち徳川家には、足りねえもんがあんだよ。抜け落ちてる。わかるか?」
葛はわからないといった風に首を横にふった
「『人を殺すことをなんとも思わない事だ。』普通は血を被ったら恐怖で悲鳴をあげたり、しょんべん漏らしたり、まぁ人様々だが、同族が死ぬことによる恐怖自分もこうなるのではないかという恐れ、ってもんがあるもんだ。俺たちにはそれがないんだ。殺すこともだ、普通の人間は感情があるからな。俺たちにはそれがないんだ。水瓶を落とすくらいにあっさりできる。
これが怖いことなんだ。…わかるか?」
「うん、うん?」
まだ話が理解できないのか、葛は曖昧な返事をした
「簡単に言うとだ、今お前は無抵抗にこうやって話してる俺や文楽を殺してもなんにも思わないんだ。」
葛はやっと気づいたようで、顔に焦りが出てくる
「俺が?今親父を殺しても?なにも…感じない…?悲しくもなんともならないってこと?」
「ああ、そうだ。怖いだろ?悪い人、だったらまぁよしとする。」
横から怪訝そうに文楽が、
「よしってよくはないよ、いいかい?本当は誰も殺さないのが一番なんだよ。だけど世の中そうみんなニコニコ平和ってわけじゃないんだね、こうやって悪いこと、自分の地位や金のことしか考えてなくてほかの人間の幸せを根こそぎ奪って、自分は踏ん反りかえっている人間は誰かが罰しないといけないんだ。それが僕たち。そんな僕たちが、踏ん反りかえっている人以外を殺してしまったらそれはただの殺人狂。葛はその殺人狂にもなる可能性があるってわけ。」
「俺が、人殺すの……大好きってことになるってこと?」
葛の顔が泣きそうになる
「現にお前のお爺ちゃんは、人を殺し過ぎて気が狂った。お前は見たことないかもしれねぇが、そりゃあすごかったぜ。最後は自分で自分を殺した……俺たちのこれは呪いだ。誰が掛けたか知らねぇほど昔にかけられた呪いだよ。俺たちはこの呪いと戦わねぇといけねぇ。一生な。」
昔のことを思い出したようで、吉宗の顔が歪む。
文楽が、一区切り着いたのを察したようで
「さて、さて、無事話終わったことだし、いるかどうかわからないお姫さまと悪者倒しにしに行きましょうか?」
泣きそうになっていた葛の顔がそうだったと思い出したように、縁側から飛び降りる
「そうだった!親父!早くしないと!」
息子の顔をふと見やり、「あぁ」と短い返事をして吉宗は腰をあげた
「ああ、あいつも苦しむんだろうなぁ」吉宗にしては珍しいひとりごとをぽそりと呟いた。