これは、いつのことだったろうか。はっきりしたことは分からない。一年前か、あるいは十年前か。そのへんは、読者のみなさまに判断を委ねようと思う。はっきりしているのは、私はそのときまだ学生だったということだ。
「彩香は、『花言葉』についてどう思う?」
 私の友人、雪乃にそう聞かれたのである。
 あのときは確か、学園祭の一週間ほど前だったと思う。実行委員であった私たちは部活に行かず、教室に残って作業をしていたのである。
 春になってから日はどんどん延びて、かなり遅くまで学校に残っていたはずなのに、日はまだ沈んでいなくて、教室は電気をつけていなくても明るかった。教室は少しずつ橙色へと染まっていった。夕焼けの色は私の大好きな色だ。
「『花言葉?』好きという訳ではないけど、少しは知ってるよ」
 私は雪乃にそう言った。
「例えば?」
 そう雪乃に返されて、すぐには答えられなかった。不意打ちだ。何とか考えて、ひとつだけ思い出した。
「えっと……スミレ、清純な心」
「ふーん。また地味な花を……」
 雪乃はばっさりとそう言った。それは、スミレに失礼じゃなかろうか?
 でも、何で急に花言葉の話をしだしたのだろう。雪乃は、占いなどの類の話をあまりしないタイプの子である。
「どうして急にそんなことを?」
 そう聞くと、雪乃は口元に手を当てて、うーんと唸ってからこう言った。
「花言葉って、外国の文化じゃないか?」
 会話が噛み合ってない。いつものことだ。雪乃はいつも自分の中で勝手に話を進めていく。だから彼女の言動は脈絡が無いことが多く、少し変だ。人によっては嫌われる話し方だが、私はその話し方がなんとなく好きだった。
「うーん……言われてみればそんな気もするし、しないような気もする」
 教室の中に反射する橙色の光が、さっきよりも強くなったような気がする。もうすぐ日没だ。雪乃の説明が続く。その澄んだ声に、私の思考は持っていかれる。
「例えば、青春っていう花言葉を持つ花、分かるか?」
 雪乃の喋り方は、少し古風なところがあって、それでいて古めかしくなくて、これも私はなんとなく気に入っている。
 青春と言われても、思いつく花は無かった。元々、詳しいわけではない。
「いや……分かんないや」
 正直にそう答えると、雪乃はそう答えられることを予想していたようで、私の言葉に頷いた。
「まあ、よっぽど花言葉について詳しくなければ分からんだろうな。実は、ライラックという花の花言葉なんだ。ライラックがどんな花か、分かるか?」
そう言われて、頭に思い浮かべようとしたが、なにかぼんやりしたうす紫色のもやもやが出てきただけだった。
「分かんない」
 これも正直に答える。
「あー……ライラックってのは、紫色の小さい花の集まってる感じの、少しラベンダーに似ているような……分かるか?」
「ごめん、分かんない」
「だろうな。説明が下手ですまん」
 そう言って彼女は電子辞書を取り出し、ひとしきりいじった後、私に一枚の写真を見せた。確かに紫色の小さな花の集まりだった。
「話を戻そう。この、ライラックの花言葉が青春なのだ」
 それを聞いて、私は頭を悩ませた。どう見ても、青春という感じの花ではないのだ。青春だったら、もっと明るい花や可愛い花が似合うだろうに、何故ライラックの花言葉が青春なんだろう?
 雪乃が説明をまた始める。
「さっき、『花言葉は外国の文化』と言っただろう?そう思ったきっかけの花はいくつかあるが、ライラックもその一つだ。外国人と日本人の間には、少なからず意識の違いやイメージの差異が存在している。日本人なら、ライラックを青春の花だとは思わないだろう。青春してた頃に見た花、それが青春に一番近いはずだ。でも、ライラックは日本ではあまり見かけない花だからな。まず間違いなく、ライラックの花言葉を決めたのは外国人だな」
 雪乃はそう一気に捲くし立てた。言い忘れていたが、雪乃は演説をよくする。内容は、基本的にどうでもいいようなことばかりである。まあ、そこそこ面白いことを言っている。
「だからな、青春にふさわしい花をちゃんと決めたいのだが、何か無いか?」
「え?」
 そう言われて、一瞬思考が停止した。そして、窓の外の橙色が紫色になったことに気づいた。ああ、あんまり今日は作業進まなかったなあ、もうすぐ学園祭なのに。そう思った。
「なあ、何か無いのか彩香。私には思いつかないんだ」
 どうしてそんなくだらないことを一所懸命考えるのか、私にはさっぱり分からない。ただ、彼女らしいなと思って、私は気が付いたら笑顔を浮かべていた。


リラ(仏) 花言葉【青春】
         【友の思い出】
         【初恋】など
      英語ではライラックと言われる。