馬車がバルマ公爵邸に着いた頃には、雪は勢いを増していた。
纏わり付くように降り積もる雪をコートから払い落とし、華やかと重厚と言う違いは有れど、レインズワース公爵邸に負けず劣らず立派な造りの扉から訪問を告げる。
実の所、ブレイクがバルマ公爵邸を訪れた事はかつて一度も無かった。
歌劇場で対面するまでは変人と名高いバルマ公に面会を申し入れても断られ続けていたし、レイムに会うのが目的ならば、わざわざ屋敷に行かなくても十分事は足りていた。
「どちら様でございましょう」
丁寧な物言いで出迎えてくれた家令は何処か生気を感じさせない不思議な雰囲気を醸し出している。
何となく違和感を感じながら、ブレイクは名乗った。
「レインズワース家に仕える者でパンドラ構成員のザークシーズ=ブレイクと申しマス。レイム=ルネット様のお見舞いに参りました」
一切の質問を与えないような名乗りを上げて向こうの出方を見ると、バルマ公へ確認を入れる事も無く、あっさりと中へ招き入れられた。
それはそれはブレイクが拍子抜けしてしまう程の容易さで。
案内されるままに屋敷の中を進み、ブレイクは内心で感嘆の息を漏らした。
屋敷の外観もさる物ながら、内装関係も非の打ち所が無い。
知識が無ければ価値の分からない只の絨毯も、シンクレアとレインズワースで培われたブレイクの知識をもってすれば、それがレベイユからとても遠い国に生存する少数民族が、手作業でしか作り出せない非常に稀少価値の高い織物だと言う事が簡単に分かってしまう。
調度品だってそうだ。シンプルそうに見えて稀少価値の高い物ばかりだった。
「こちらです」
結局バルマ公には会わないまま、ブレイクはレイムの部屋まで案内されてしまった。
自分の事を快く思わないバルマ公だから、てっきり屋敷の中に入るのも一苦労するのではないかと思っていたのだが……。
「どうもありがとうございまシタ」
軽く一礼して下がって行った家令に背を向けてドアの前に立った後、ふと違和感を感じて振り返る。
視線の先にある人影が砂粒のように崩れて掻き消えた。
ブレイクの表情が呆れに歪む。
「は……、私を招き入れるのに許可も何も要らなかったはずですよ。悪趣味なアホ公爵め……」
呟きながら、幻影の気配すら感じ取れなかった自分に歯噛みする。
余裕が無かったのかも知れない。
気を取り直してブレイクはドアをノックした。
「……ルー、ファス様……?」
中から聞こえた掠れ声が、よりにもよってヒネクレ主の名を呼んだものだから。
これ以上無い程の不機嫌な顰めっ面で扉を開けたブレイクを見たレイムの顔が、ポカンと呆気に取られる。
それはそうだ。
レイムから見たら、ブレイクが今ここに居る事の方が有り得ないのだから。
「残念でしたネ、アホ公爵じゃなくて」
「ザク……ス……?」
「ええ、そうですヨ。何ですか、アホ公爵はこんな状態のレイムさんにまで仕事を言い付けようとしてくるんですカ?」
「いや……そう言うわけでは無いんだが……。ルーファス様は私の紅茶しか飲まない人だから困っているかも知れないと思って……」
「サラッとムカ付きますネ、それ。……それより具合はどうなんです」
「我ながら情けないぐらい重症だ……じゃなくて! お前仕事は! ゴホゴホッ」
咳込んだレイムの背をさすり、珍しく神妙な顔付きでレイムの表情を見る。
「ああホラもう、無理はしないで下さい。全く……どうしちゃったんですか? 風邪なんて……君らしくないですヨ。アホ公爵に雪の中を何かコキ遣われでもしたんですカ?」
「違う。ルーファス様は関係無い。私の不注意の結果だ」
「へぇぇ」
「嘘じゃないぞ。本当だ」
何処か逸らし気味な目で答えるレイムに追求は諦めた。
どちらにせよ、使用人であるレイムがバルマ公の指示に逆らえる筈が無いのだから。
「分かりましたヨ。普段ワタシには体に気を付けろ気を付けろって言ってるのに自分が風邪引いてちゃ世話ないですヨ。あ、レイムさんにお土産が有るんデス」
「気を遣わせて悪いな」
「嫌だなァ、水くさい。……何だと思いますカ? 君がこの間食べたいって言ってたお菓子ですヨ」
「ああ……レパコガーデンのクッキーの詰め合わせか? よく覚えてたな…………」
レイムの口から出た菓子名に、ブレイクは内心しまったと思った。
マルコリーニの話をしていたのと同じ頃、新しい焼き菓子のお店がオープンしたので一度食べてみたいなと二人で話していたのも事実だ。
レイムにはそちらの方が印象が深かったらしい。
「…………スミマセン。明日買い直して来ますヨ…………」
柄にもなくレイムに手放しで喜んでもらいたいと思って選んだ結果がこれだったので、落胆が明から様に表情に出てしまったらしい。
慌ててレイムが訂正する。
「いや! 良いんだ何でも! 何を買って来てくれたんだ?」
「マルコリーニです……」
一瞬驚いたレイムの顔が、ゆっくりと優しげに破顔した。
「よく覚えてたな…………」
いつも蔑ろにするような事しか言わないブレイクが、自分が漏らした些細な会話を覚えていてくれた事が素直に嬉しい。
土産には何が良いかと考えて最近の会話を手繰り、この雪の中を買い揃えて来てくれたのだ。
「レパコの方は……また今度にして下さい……」
「食べたかったんだ、マルコリーニも。……本当だ!」
「もう……こう言う時ぐらい我が儘を言えば良いんですヨ。バカですネ」
「病人にバカとか言うな」
「は〜い」
くすりと笑みを零し、ベッドの端に腰掛けて包装を解いていると無遠慮にノックが響いた。
「おい。帽子屋よ」
聞こえた声にレイムと二人で顔を見合わせる。
首を傾げつつ、レイムを立たせるわけにも行かないのでブレイクが立ち上がった。
ドアを開けるといつも通り涼しげな顔をしたバルマ公が立っている。
「……お邪魔してマス。何か御用ですカ」
「レイムに紅茶を淹れるように伝えよ」
「……はい? レイムさんは病人なんですよ?」
「なら汝が代わりに淹れるか? レインズワースの使用人なのじゃ。当然得意であろう?」
「な…………」
間髪入れずに返って来た言葉に、ブレイクは意図的に顔を歪ませた。
「ルーファス様!!」
遠くから飛んで来たレイムの慌てた叫びを聞き流し、ブレイクを見据えたまま全く視線を逸らさない。
「嫌なのか?」
涼しい笑みで問うて来る相手に、ブレイクはもちろん嫌に決まっているだろうと言ってやりたかった。
けれど、レイムに紅茶を淹れに行かせるわけにも行かない。
もともと、流石のバルマ公でも病人のレイムに紅茶を淹れさせる気は無かった。
ブレイクが来ている事を知っているから、そしてブレイクが断ればレイムが自分で淹れると言い出すのを知っているからこそ言いに来たのだ。
レイムに淹れさせるぐらいなら自分で淹れると言うだろうと踏んで。
不本意にもバルマ公に一本取られた形になってしまい、ブレイクはフンッとわざとらしく鼻を鳴らした。
一瞬の後、綺麗に綺麗に整えた満面の笑顔を浮かべ、片言のように「ワカリマシタ」と答える。
「レイムさん、ちょっと行って来ますネ」
「ああ………………」
パタンとドアが閉まったのを見て、二人が対峙しているのをハラハラしながら見守っていたレイムは胃まで具合が悪くなった。