しかし、それだけでは終わらなかった。
面倒な事態は、更に厄介な方向へと傾いていく。
それは何故か…佐原が訪ねて来た三日後、新たなる来訪者がやってきた事で、余計に複雑化する羽目になったからである。
いつものように他愛ない時間を過ごしていた二人の部屋の呼び鈴が鳴り渡る。
また佐原が小言を言いにきたのかと、項垂れながら立ち上がって玄関へ赴いたカイジが扉を開けた。
「久しぶりだな、カイジさん」
驚いた、なんてもんじゃない。
そこにはあの、本物のアカギが立っていたからだ。
動揺も混じって驚愕の中、久しぶりだなと返したカイジは退くことも無くその場で静止していた。
「入れって言葉は掛けて貰えないわけか」
フッと鼻で笑って、アカギは扉に寄りかかる。
「お前…なんで…」
つっかえつっかえで言ったカイジに、アカギは余裕の笑みのまま答える。
「佐原さんから聞いたんだ」
その瞬間カイジに強烈な電流が走る。
佐原の奴、誰にも言うなという約束をあっさりと破ってくれたのか。
しかもよりによってアカギに話すとは、余計なことをしてくれたもんだ。
ひとつ咳払いをして、カイジが口を開こうとした時だった。
「…アンタ、大丈夫か?」
「あぁ、別に平気だ…だから放っといてくれオレ達の事は…」
「放って置けない、って言ったら?」
今まで微笑だったアカギが、真剣な表情で射抜くように見つめてくる。
それがなんだか、とてもイラついた。
「っ…半年も経ってんのに放って置けない?おかしいだろそんなのっ!だったらもっと前から気遣えよ!どうせ佐原がいつもとは違う様子で連絡してきたからだろ!それで変なこと聞いてオレの様子がどうなってんのか楽しみで見に来ただけなんだろっ!?お前特有の気紛れって奴でっ!もううんざりなんだよっ!」
息を切らしながら長々と大声で怒鳴り散らしたカイジだが、アカギは一切表情を変える事はなかった。
真剣な眼差しのままで、一切逸らす事無く見つめてくる。
その色をみて冷静さを取り戻したカイジは、一呼吸置いて再び口を開いた。
「いいから、お前は帰れ…オレ達二人の問題だ、お前は関係ねぇだろ」
しかしアカギは何も言わず、去ろうともしない。
まだ何か聞きたいのかと思った瞬間、アカギの視線がカイジの顔を捉えていないことに気付いた。
アカギの向けられている視線を辿ると…カイジの首元に集中している。
ハッとして首元を隠すように身を捩るが、もう遅かった。
「カイジさん…それ、何だ?」
「はっ?なんのことだよ…」
「首に付いてる傷のことさ…何だよそれ」
俯いてアカギの視線を避けるように項垂れるカイジは、どう答えようか考えた。
虫刺されなんて答えても在り来たりで、むしろこんな酷い刺し方をする虫なんて滅多にいやしないだろうから、すぐにばれるだろう。
って言うか、ちょっと待て…佐原に聞いたはずだろうこの事実は。
だったら何でアカギは…今はじめて見た、なんて表情をしているのか。
何もかもを聞いているなら、この首を見てそれは何かと言う質問なんてするはずが無い。
と言うことはつまり、アカギは佐原からこの事を…聞いているわけじゃないって事か。
「…カイジさん、答えろよ」
ぐるぐると思考を巡らせていれば、アカギからきつい口調の言葉が飛んできた。
押さえていた手を離し、ひとつため息をついてカイジは口を開く。
「お前…佐原から何を聞いてきたんだ?」
「今質問しているのはオレ、それに答えてくれたら答える」
「…噛み傷だ、食事のための…」
またひとつため息をついたカイジは、仕方なし気に答えた。
それを聞いたアカギの反応は、驚くほど単純で明確。
カッと目を見開いて、ジッとカイジの顔を凝視してきた。
「ちょっ…おま、待てっ!」
少しの間カイジを黙視していたアカギが、急に動き出したかと思えばカイジを押しのけて部屋へと強引に入ってきた。
そして、部屋の奥、テレビの前に座って静かに番組を見ていたアカギ≠見つけ、更に足早に詰め寄っていく。
それに気付いた彼もまた、静かにテレビから視線をはずして近付いて来るその者をジッと見つめ始めた。
「…お前、カイジさんに何をしてる」
「食事を頂いているだけ…アンタが元恋人って奴か、確かに似てるな…カイジさんが間違えるわけだ」
「お前のためにカイジさんが生きているわけじゃない」
その言葉を聴き、グッと微かに拳を握ったアカギ≠ヘそれを隠すようにククッと笑った。
「アカギ、やめろっ!お前なに勝手なこと言って…」
間に割って入ったカイジに、アカギは引っ込んでろと押しのけようとした、その時。
「契約上、今はオレの為に生きているようなもんですよ、カイジさんはね」
微笑のまま言った目の前の吸血鬼に、アカギは目の色を変えた。
悲しみや呆れでは無く、怒りと殺気の色だ。
カイジもまた、ピタリと言動を止めアカギ≠見つめた。
確かに好きとか愛してるとか、そんな言葉を行為中でも彼の口から、聴いたことが無い。
はじめから分かっていたはずなのに、何だかそれがとても悲しかった。
「今すぐカイジさんの前から消えろ、そして二度と戻ってくるな」
「別にそれは構わないけど、アンタはどうすんの」
またカイジさんを捨てて、消えるの?とアカギ≠ェ悪魔のような微笑で問いかけている。
「もちろん監視はするさ、お前が戻ってきた時のために」
「へぇ…まぁ、関係ないねそんな事、契約が続いている限りオレはいつでも戻ってくる…カイジさんの元に」
そうだ、いくらアカギが邪魔をしようと契約が続いている限り、終わりは無い。
カイジが死ぬまでそれは続いてくれるのだ。
解消さえしなければ、こいつはいつまでも傍に居てくれる…アカギと違って。
愛されているかどうかなんてどうでも良い、ただ愛している、だからこそ傍に置いておきたい。
「カイジさん、どうする?」
そう言ってアカギ≠ェこちらを見上げてきた。
「そんなの、決まってんだろ」
フッと笑ったカイジは、思い切りアカギを突き飛ばした。
あまりの唐突さに対応が遅れたアカギは、床に尻餅をついている。
驚愕した顔で見上げてくるアカギに、カイジは断固として言い放った。
「オレはこいつを選ぶ…お前こそ、もう戻ってくんな」
「カイジさん、分かってるのか?そいつはアンタを愛してるわけでもないって事」
「うるせぇ、オレが愛してるからいいんだよっ!」
今度はアカギがグッと拳を握る番だった。
カイジとつり合う人間であり、何年かを共にした仲でもあるアカギにとって、ただ自分と似ているってだけの化け物が、間単にカイジをさらってしまったのだ。
得体の知れない男に傾くカイジもカイジだが、何より目の前で勝ち誇ったように笑みを零している自分に良く似た化け物が、何より許せなかった。
「その姿…被り物だろ、さっさと脱いだらどうだ」
「アカギ、いい加減にしろ…っ!」
「…そんなにカイジさんが恋しいなら、素直になればいいんじゃないの?この人みたいに」
そう言って立ち上がったアカギ≠ヘカイジの腕に絡みついた。
まるでアカギへ魅せ付けるかの如く、べったりと引っ付いてはその状況に興奮したカイジが彼の唇を奪う。
腹の底からアカギは沸々と怒りがこみ上げ、皮膚につめが食い込んでいることも構わぬくらい強く拳を握っていた。
そう、あの日自分から捨てたのだ…あの位置を。
本来なら自分がカイジと口付けを交わす者のはずだが、自分の厄介な気紛れと言う特性でカイジを捨ててしまった。
半年の間、最後に見たカイジの切願するような声と顔がいつまでも残っていて、思い出すなんて行動の必要が無いくらい、鮮明にまぶたにこびりついて離れずにいた。
そう、アカギがカイジを忘れたことは一度も無い。
だが捨てた事実は変わらない。
あの日も、ただ小さな喧嘩が原因でああなった。
本当に嫌いになっていたなら、忘れもしただろうし、ここへ戻ってくることは無かっただろう。
まだ…愛している。
捨てたあの日も、愛していた。
色んな男を見てきたが、カイジに代わる者などいなかったのが、何よりの事実。
佐原の何の脈略も無い言葉なら無視しただろうが、カイジについてだったからこそ聞き入れた。
またカイジと一緒にいられるきっかけが欲しかったからなのだと、今なら分かる。
「化け物に生きている資格は無い」
アカギの言葉に、二人はピタリと口付けをやめ、アカギへと向き直る。
「カイジさんはオレのもの、お前にやるくらいなら佐原さんに譲った方がマシだ」
今すぐ契約を白紙にしろとアカギが言えば、アカギ≠ヘ笑ってカイジさんが決めることだよ、と返す。
「お前はカイジさんを愛してるのか?」
「愛してる、って言えばアンタは諦めるの?」
「仮に言ったとしても、諦めない…いや、認めない」
「どうして?」
「化け物に人を愛する資格は無いからさ」
キュッとカイジの服の裾を握ったアカギ≠ヘ返す言葉を捜していた。
すると、カイジがアカギ≠フ頬に触れて、その白い肌を撫でる。
「お前はお前のままで良いんだぜ、な?」
その笑顔が、アカギ≠ノはとても暖かく感じた。
静かに頷くと、カイジはアカギのほうへと向き直る。
「アカギ…オレから見ればお前のほうが化け物だ」
「…っ!」
「全てを気紛れで動かして、不条理な死に身を委ねて、死んだって構わねぇってその思考…お前のほうが人じゃない」
どんな人間に何を言われても心には響かず堪えないアカギだが、カイジの言葉だけはいつも胸に刺さっていた。
今回もまた、痛いほどに突き刺さる。
「オレ達は生きるために過ごしてんだよ、お前とは違う…死んでも良いと思ってねぇんだ、こいつだってそうさ…だからオレと契約してんだろうが、生きるための血がいるからって理由で…簡単なんだよお前よりよっぽど、明白なんだ全てが」
「…でも愛することは別だ」
「気紛れな愛なら、虚無の愛を選ばせてもらう…もううんざりだって言ったろ、振り回されるのは」
カイジは示した、きっぱりと。
今後をどちらと共に過ごすかという選択をハッキリと答えた。
目の前が霞む様に濁っていくのを感じ、アカギは初めて敗北という二文字が脳を廻る。
化け物に負けたんじゃない、カイジに負けたのだと思い込みたかった。
あの頃の優柔不断でヘタレている彼の面影は、もう殆ど消えうせているように思う。
彼を変えたのは自分ではなく、存在も危うい化け物だとは認めたくなかった。
彼が自ら変わったのだと、言い聞かせるように何度も脳内で呟く。
今でもまだ、愛しているのに…。
「カイジさん、どうして契約を破棄しないんだ…」
悔しくて堪らないアカギは、結果が見えているにもかかわらず縋り付く。
「どうして、そいつを捨てないんだ…」
だが、アカギには見えたのだ。
「愛してるからだって言ってんだろ」
一つの解れが。
ガクリと面を下げたと思うと、アカギは再び続ける。
「…オレに、似ているからなんだろ?」
「はっ?…そんなんじゃ…」
「なら、そいつの姿形がもしオレに似ていなかったら…アンタは契約したか?」
スッと面を上げカイジの様子を伺うように見上げるアカギ。
対して、言い淀んで沈黙し、目を泳がせるカイジ。
「やっぱり、アンタはアンタのままだな…安心したよ、カイジさん」
ククッと笑って立ち上がると、アカギはゆっくりと歩み寄る。
「そんなアンタを…今でもまだ、愛してるよ…」
耳元でそう呟けば、カイジはハッと目を見開いてゴクリとのどを鳴らす。
隣でたたずみ続けているアカギ≠盗み見ると、ほんの少し険しい顔で睨み付けられていた。
本当にカイジという人間を分かっていれば、これくらい簡単だ。
傾けなおすなんて、造作も無い。
だが気紛れで弄んでいる訳ではない。
真剣に取り戻したいが為の行動だ。
「もう一度、アンタの傍に居させて欲しい…今度は絶対に、離さないから」
ゆっくりと首元に腕を巻きつけ、更に耳元でささやく。
「オレの全ては、アンタのものだよ…カイジさん」
「…ア、カギ…」
「これからは、アンタのために生きるから…」
「…っ」
これでカイジがアカギの背に腕を回せば、彼の略奪作戦は成功に終わるはずだった。
しかし…。
「アカギ=cっ!?」
自分に似た化け物が動き出したかと思えば、颯爽と部屋から足早に去っていったのだ。
それを見たカイジが、アカギから身を離して追いかけようと一歩踏み出す。
だが、それをアカギが止めた。
「…オレを置いて行くのか?カイジさん」
カイジは腕を振り払うことは無く、俯き加減でアカギに目を向ける。
その顔が、とても悲しそうに歪んでいた。
どうして振り払えない?今更じゃないのか。
半年も経っているんだ、あの日から…。
だが、アイツと契約したのだってアカギ≠ェ欲しかったからじゃないのか?
そう結果だけ見れば、求めていたアカギは再び手に入ったも同然。
しかし腑に落ちない。
決断を、他人に委ねてはいけない。
人ってのは、ここぞって時に自分で選ばなければならないときがある。
カイジにとって、それは…今だ。
「なぁ、アカギ…」
「…なに?」
「オレさ………」