次の日、自由に部屋の中を歩き回れる程に回復したアカギの姿があった。
昨日はあんなに高熱だったにも関わらず、凄い回復力だと思う。
まぁこっちはバイトと言う仕事があるから、その回復力はありがたい。
「じゃあ、バイト行ってくるわ…適当に過ごしてろよ」
「…あ、待って」
ドアに向かっていたオレは、呼び止めに振り返る。
「何時ごろ、帰って来る…?」
「6時半とか、そこらだと思う」
「そう、分かった」
笑顔を向けてくるアカギに部屋の合鍵を渡してやって、オレは支度を済ませると早々にバイト先のコンビニ目指して部屋を出た。
面倒臭さ第一だが、佐原が居るからまだやっていける。
歩いて数十分でコンビニに着くと、従業員控え室に入った。
「あ、カイジさん!おはようっす!」
「おぅ、佐原おはよう」
挨拶を交わしながら割り当てられたロッカーを開け、鞄やジャケットを放り込んでユニフォームに着替えている最中、佐原が話しかけてくる。
「カイジさん、あの人どうなりました?」
「ああ…回復したぜ」
「良かったじゃないッスか、じゃあ元気に家に帰ったんすね」
「いや、まだオレの家にいる」
「…え?」
「何か知らねぇけど、懐かれた…」
「…そう、すか…」
相槌を打つ佐原が、何となくだが少し沈んでいるように感じた。
「どうかしたか?」
「いやっ、どうもしてないっすよ?」
オレには、コイツが何か無理やり笑っている気がする。
「絶対何かあるだろお前、言えよ」
「っ…ほら、タイムカード切らないと、遅刻になっちゃいますよっ?」
サッと隣を通り過ぎて、佐原は手にしたカードを機械に通し始めた。
隠したって無駄だ。
お前が洞察力に長けてるのは分かってる。
でもオレは、解れを見つけるのが得意なんだよ。
諦めたフリをして、オレはその日の仕事を佐原と終えた。
経ったの5時間だが、それでもオレには長く感じる。
いつもよりも。
それはきっと、いつもとは違う佐原の微妙な変化のせいだと思う。
「お先でーすっ…」
「おい、待てよ佐原」
ユニフォームから着替えて、さっさと店を出ようとした佐原を引き止めた。
「カイジさん、すいません…今日はちょっと」
「待てってっ!」
それでも立ち去ろうとする佐原の腕を掴んで、さらに引き止める。
どうして急にオレを避け始めたのか、それが気になって仕方なかった。
仕事中も、いつもなら他愛ない話をしながら過ごしていたが、今日は業務的会話だけで、笑顔も歪な作り物。
「…離してくださいよ、痛いじゃないっすか…」
「佐原、今日は何か変だぞお前…」
「別に変わりませんよ、いつもと…」
変わってるから言ってるんだろうが。
何も変化がないなら、オレだって無理やり引き止めたりはしないだろ。
「何でオレを避けるんだよ…何か隠してんだろお前」
「隠してませんって…」
答えるなら、オレの目を見て答えろよ。
それで誤魔化せると思ってんのか、嘘吐いてんのがバレバレなんだよ。
「いいから言えよ…隠さないでくれよ、お前だけは」
その言葉を聞いた佐原は、ハッと目を見開いて握っていた拳を解いた。
力んでいた肩もなでらかになって、小さくため息を吐く。
「…分かりましたよ、白状します」
そこで初めてオレは掴んでいた佐原の腕を放してやった。
強く握りすぎですよ、と言われ苦笑いで、悪かったと詫びてやる。
「ここじゃアレなんで…少し歩きませんかカイジさん」
「え?ああ…別にいいけど」
「じゃあ、行きましょう…」
歩き出した佐原の後ろを付いていくと、彼はあの時の公園に入っていった。
一緒に中へ入っていくと、公園の片隅に設置されているベンチに腰掛け始めた佐原に続いて、オレもその隣へと腰掛ける。
佐原はまた小さく溜息を付いた後で、ゆっくりと語りだした。
「自分の気持ちに気付いちゃったんすよ…いきなりだったから、気持ちの整理もままならず、カイジさんに変な違和感を与えてしまったみたいで…なんか、すいません」
理由を聞いても、未だピンとこない。
佐原が気付いたというその何かは、オレにも何処かしら掠っていると言うことなのか?
「あー…まぁ、お前も色々あるんだな…」
「はぁー…ホントっすよ、本人は鈍感だからまるで気付いてないみたいだし…」
「………?」
思わず疑問視すると、佐原は呆れたように肩を落として、やっぱりと呟いた。
「鈍感すぎでしょカイジさん…」
「えっ、なんでだよ…っ!?」
「………」
急に黙り込んだ佐原は、俯いて口を噤み始める。
オレが鈍感だってどう言う事だよ。
まぁ確かに、過去に何度か言われた事がある気がするけど、鈍感だから何が悪いのかってのが未だによく分からない。
前に向き直って考えてはみるものの、やはり幾ら思考を凝らしても佐原の言いたい事が、オレには伝わって来ず、理解が出来なかった。
もう一度佐原に尋ねようと、隣に視線を戻したときだ。
俯いている佐原の頬や耳が、真っ赤になっている事に気がついた。
「さ…佐原?…」
呼んでも顔を上げる気配がなく、俯いたまま変わらない佐原の名前をもう一度呼んでみる。
「…佐原?…」
「………き、なんすよ…オレ…」
声が小さすぎて、大事だと思われる部分が聞き取れなかった。
首を傾げて、もう一度言って欲しいと言う意を含んでみると、バッと顔を上げた佐原が真剣な表情で先ほどよりも大きな声で言う。
「好きなんすよ!カイジさんのことが…っ!」
「………へっ!?」
思わず素っ頓狂な声を上げ、一寸身体が後退した。
なに、コイツ今…なんて言った?
オレのことが…好き?
この発言の所為で、佐原の変化について疑問に思っていたことが全て消え去り、代わりに動揺と困惑で脳内の思考回路がパンクし真っ白になった。
数少ない大切な友人が、一種の恋愛感情と言う目でオレを見ていた事に対して、嬉しくない訳ではないが多少複雑な気分になる。
「…だから、あの人がまだ家に居ると聞いたときに…ちょっとイラッとしてしまったというか…まぁ、そんな感じっす」
赤い顔のまま、佐原はそっぽを向いて続きを語った。
オレはどう答えていいのか分からず、黙って佐原の繋いでいる言葉を聞いている。
「元気になったなら早く帰せば良いのにって…懐いたからって居座らせてるカイジさんにも、少しイラッとして…すいません…」
そっぽを向いたままで俯いてしまった佐原に、未だなんと声を掛けたら良いものか分からず、オレも黙って俯いてしまった。
そのまま少し時間が経って、オレも佐原も何も言わぬまま、動きもせずそのままだった。
夕方にバイトが終わったにも関わらず、時はすでに夜の刻。
何か言わないと、だが…何を言えばいい?
「あの人…ホント綺麗な顔してましたよね…」
「え?…ああ、まぁな…」
「…良いなぁ、オレもあれくらい整ってれば…少しは意識してもらえたんすかね」
「べ、別にあいつに関しては何も思っちゃ…っ!」
「家から追い出さないって事は、そう言う事でしょ…違いますか?カイジさん」
あんなわけの分からない奴に好意を抱いてると言いたいのか?
ふざけんな、だったらオレは…。
「行く宛があるなら、アイツだってさっさと帰る筈だろうが…」
って、何でアイツの肩持ってんだよオレは、何考えてんだアホか。
「そうでしょうね…まぁ、今日の話は聞かなかった事にして下さいよ…明日からまた普通に、よろしくお願いしますカイジさん」
そう言ってにこやかに立ち上がると、佐原はまた明日と帰っていった。
そんなアイツの後姿を見えなくなるまで見送って、オレも立ち上がる。
確かにアカギは綺麗な整っている顔をしているのは間違いない。
事実だ、それは。
だがそれで好きになるかどうかは別だろ。
少なくとも面食いとかだったら分かるが、オレは別にそんなことには拘らない。
まぁ、あまりにも酷過ぎたら少しは考えるけど…。
とにかく、明日のバイトが少し行きづらくなっちまったってのは、正直ある。
でも佐原のことは嫌いじゃない。
むしろこんなオレに懐いてくれて、良い奴だとも思ってるけど…。
そんな事をあれやこれやと考えているうちに、アパートにたどり着いていた。
二階の自分の部屋を見上げてみると、電気は灯っている。
アカギは居るようだ。
佐原だけではなく、アイツと顔を合わせるのも少し気まずいが、行き場のないオレにはどうする事も出来ない。
仕方なく部屋へ帰ると、その瞬間に食欲をそそる良い香りがした。
小さなテーブルの前には、アカギがちょこんと座っている。
しかし、俯いていたその姿が佐原と被って見えてしまった。
「ただいま…悪い、夕飯作ってくれてたのか…」
「…おかえり、そうだよ」
俯いたまま返事を返してくるアカギが、妙に怖くて困る。
「あ、ありがとな…美味そうじゃん、凄いなお前…」
テーブルを挟んでアカギの対面に座ると、改めて机に並べられた料理の数々に驚いた。
まるで高級料理店に来たかのような錯覚を覚える程の出来栄え。
小さく、おぉ…と歓喜の声を漏らしていると、目の前のアカギが口を開いた。
「…遅いから」
「あぁ、ごめん冷めちまったよな…」
「違う…帰ってこないのかと思った…」
言ったアカギが顔を上げると、涙を浮かべてきらきらと綺麗に輝く赤い双眼を向けてくる。
それを見た途端、金縛りにあったように動けなくなった。
あまりにも綺麗過ぎる瞳は、一寸も狂わず射抜いてくる。
元恋人に振られた後だからか、こう言う事に敏感になってるのかもしれない。
「わ、悪かった…」
やっと口が動いて、何とか言葉を発すると、アカギは安心したように笑った。
「温め直すから、少し待ってよ」
「あ、あぁ…分かった…」
皿を持って立ち上がったアカギの後姿を見て、何だか良妻みたいだなと思う。
すぐに思考を切り替えて、佐原にどんな顔をして会えばいいかと考えるが、それも十分思考する前に止められた。
「明日の夜、オレはちょっと出掛けるけど…鍵は、どうすればいい?」
温めながら言うアカギに、オレは持って行っても良いと言ってやる。
ありがとうと返してきたアカギは、温めた料理を手に戻ってきた。
「お待たせ…さぁ、食べよう」
微笑むアカギが取り分けてくれるのを黙って見守りつつ、そういえばと思い出す。
コイツに帰る宛があるのかどうか、を。
二人揃って頂きますと声を揃えてから、箸を取るがどのタイミングで聞けばいいのか悩んでその手が少し遅れた。
「どうしたの…何か嫌いな物でも?」
「いや………あのさ、アカギ」
「…なに」
「お前って…帰る宛とか、無いのか?」
「…どうしてそんな事を聞くの」
「え…いや、別に…」
その瞬間、テーブルにカタッと箸を置く音が響く。
顔を上げると、アカギは悲しそうな顔で俯いていた。
「厄介なら…言ってくれればすぐにでも出て行く…」
「別にそんなつもりで言ったんじゃねぇって…ただ気になったから聞いただけだ」
「そう…オレには帰る場所なんて無いよ、元々ね…」
悲しげに俯いたまま答えたアカギは、また静かに箸を取って食事を再開し始めた。
変な事を聞いてしまった気がして、オレはなぜか、ゴメン…と小さく誤り、食事を再開する。
一口頬張ってみると、あまりの美味さに頬が解けるかと思った。
「うめぇ…っ!」
「…そう、良かった」
感激しながら食い続けていたオレは、アカギの何処か悲しそうな視線に気付かなかった。