一方、アカギを探して回っていた治はやっとの事で発見。
今は殆ど使われることのない、旧校舎側に建っている体育館倉庫にいた。
購買で買ったのであろうパンを地味に食べ進めている。
「…治、伊藤さんと一緒じゃなかったの」
「余りにも心配してたら、行ってこいって言ってくれたんです…アカギさん、何かあったんですか?」
咥えたパンを、本来の力よりも遙かに強く齧り切って、アカギは眼を細めた。
「別に…ただ気を遣っただけ、それがなに?」
治には視線を向けず、言ってはまたパンを齧るアカギ。
しかし、次の治の言葉に思わず顔を上げた。
「カイジさんも、心配してましたよ?…馴染みの無い自分が居ると言いにくい事もあるだろうからって、気を遣って一人学食に残って…」
そこまで聞いて、アカギは思った。
結局カイジにまで迷惑を掛けてしまったのだと。
食べかけのパンを眺め、それを袋に仕舞って立ち上がった。
「…アカギさん?」
「ごめん、変な態度を取って…学食、行こうか」
もう遅いかも知れないけど、と笑うと治がきっと大丈夫ですよ、と笑顔を返してくる。
急いで二人揃って学食へ到着すると、カイジが一人端っこのテーブルに座ってカレーを食べ進めていた。
何処か浮かない表情でスプーンを口に運ぶ彼の姿を見て、アカギは小さく溜め息を吐く。
その溜め息は、申し訳なさから来る物だった。
「アカギさん、先に行ってて貰えますか?俺、ご飯買わないと…」
「そうだね…分かった」
入り口で二手に分かれ、アカギは高鳴る鼓動を落ち着かせつつテーブルに向かう。
すると、視線を上げたカイジがアカギに気付き挙動不審になり始めた。
学園内では常に注目の的であるアカギからすれば、本来なら見慣れている筈の反応。
しかし、今はカイジに対してだけそんな反応を取って欲しくないというのも本音だった。
ただ普通に、アカギと言う一人の人間として見て欲しいのに、それも叶わないのだろうか。
少し悲しげに微笑みかけて、アカギは口を開いた。
「ここ、良いですか?」
「あ、あぁ!勿論…っ!」
だがしかし、席に着いたは良いがお互い口を開くこともなく気まずい雰囲気だけが流れていく。
カイジは元よりマドンナが目の前にいるのだから、ドギマギするなと言う方が難しい話。
アカギにとっては好きな人とどう接したら良いのかが、今は未だよく分かっていないからこそ口を噤んでいるのだ。
そんな中、お待たせしましたと治が戻ってくる。
カイジもアカギも、それで少しホッとした。
そして治の存在に背を押されるかのように、アカギは口を開き思いの丈を話し出す。
「伊藤さん、あんな言い方は無かったと思う…ごめん」
「あ…いや、全然…色々思う所があったんだろうし…オレなら別に平気だから、その…気に、すんなよ」
間近でこんなに沢山会話する事が出来るなんて、カイジにとっては悶えだしそうなほど嬉しい事だ。
それからは、三人で他愛ない話をしながら昼休みを過ごして終わった。
その後は最後の授業を終えると、三人はそれぞれ散る。
カイジは無論帰宅、アカギは生徒会役員の仕事、治はアカギを待ち教室で待機。
それぞれが様々な想いを抱いて過ごした一日だった。
そして、次の日がやってくるとカイジは項垂れながら学校へ登校する。
そう、昨日平井先生から宣告された居残り補習が原因だ。
ホームルームでも、堂々と伊藤忘れて無いだろうな?と念押しされたら首を縦に振るしかない。
更に本日の三限目には、平井先生の本来の授業を取っ払って文化祭の出し物を決めると言う。
全ての者に案を言わせるとまで言い出し、カイジは真っ青になった。
何も、考えていない。
こうなったら土壇場で何か思い付いた物を言えば良いや、と気持ちに踏ん切りを付けた。
あれよあれよと言う間に、三限目に突入。
席順に一人ずつ意見を発表していく中…アカギの番になり、その案が口から出た瞬間クラス中がざわめいた。
平井先生さえも、少し驚いたような顔で黒板にその案を書き足している。
クラス中の生徒達がざわ付いた、その案とは…なんと、演劇。
しかしカイジはその時、自分は何を言おうか考えるので精一杯。
全然聞いていなかった。
案を用意していないとなると、平井先生に何を言われるか、またしても分かったもんじゃない。
因みに、治は合奏と答えていた。
カイジは自分の列が発表を始めた頃になって、漸く黒板に目を向けて今まで出た案を確認していた。
誰が出したのか、男子校で演劇って何するんだよ、と内心思いつつ考える。
オーソドックスで在り来たりな案は、もう殆ど出てしまっている。
自分の前の者が発言を終え席に着いた瞬間、カイジは冷や汗を滲ませながら立ち上がって、意を決したように言った。
「ばっ…博打…っ!」
クラスが静まりかえったと同時に、平井先生から声が飛んでくる。
「さてはお前さん、何も考えて無かったな?」
図星、圧倒的墓穴。
乾いた笑いを浮かべると、座れと溜め息を吐かれた。
全ての意見が出そろったところで、今度は多数決で何をするかを決める事になったのだが…。
治とカイジ以外の満場一致で、演劇になった。
流石はマドンナの意見である。
「それじゃあ、演劇で決定だな」
黒板を真っ新にして、右端に演劇と大きくチョークを走らせる平井先生を眺めつつ、カイジは何となく悟ってはいたが治に聞いてみた。
「なぁ治…あの案って、もしかして…」
「ははっ…アカギさんですよ」
流石の治も、苦笑いで答える。
お前ら自分で意見出したんじゃねぇのかよ!と言うカイジの内心の突っ込みはごもっともである。
続いては何を題材にした演劇にするかが決められる事になったが…。
圧倒的女性不足のため、本来女がやる役は全て男性に変換される事になった。
下手なラブロマンス題材を推薦すると大変な事になりそうだ。
この際、三匹の子豚とかで良いんじゃね?とカイジは思っていた。
にしても、どんな題材に決まろうが結局カイジは裏方に行くと決めている。
演技なんてまともに出来た物ではないからだ。
題材は急遽の為か、立候補で案が出されていく。
シンデレラとか白雪姫とか人魚姫とか眠れる森の美女とか。
お前等ディズニーオタクか!と言いたくなるような物ばかり。
黙って見守っていると、美女と野獣という意見を最後に平井先生から締め切られる。
「この意見の中で、良いと思った物に手を挙げろ、いいか?」
すると一つずつ平井先生が読み上げていく中、カイジはもう最後に手を挙げようと適当に決め込んでいた。
真剣に考えるのも面倒なラインナップの数々に呆れながら、ラストの美女と野獣に挙手。
案外数が多く、それに決まった。
今度は配役の振り分けを決める作業に移っていくが、勿論カイジは裏方希望。
だがそこで、大きな困惑が振ってくるとは考えもしていなかった。
「まずはヒロイン役を決める、立候補でも推薦でも良い…誰かいるか?」
それは当然アカギになるだろうな、とカイジは欠伸をしながら聞いていた。
思った通り、圧倒的推薦の数でアカギに白羽の矢が立ち、彼も涼しい顔でそれを了承している。
「続いては野獣役だ、方式は先程と同じ…誰かいるか?」
アカギの相手役なんて、名門競争率より高いだろうな、と予測したカイジは一人静かに吹き出した。
周りは治とアカギを覗いた全ての者が、立候補で挙手しているからだ。
だが、問題はここからだった。
平井先生が沢山いるなぁと呟いた後、アカギが静かに手を挙げて要らん事を発言したのである。
「先生…一人、推薦したい」
「あぁ構わんさ、誰だ?」
アカギが誰の名を言うのか、全ての者が切なる願いを込めた視線を送っている。
カイジは一人、治じゃねぇの?と思って適当に欠伸をしたその瞬間。
「伊藤さんを、推薦します」
「………っ!?」
アカギに向かっていた視線は、その一瞬で全てが大欠伸をしたままで固まるカイジの元に突き刺さる。
「…汚名返上するチャンスだな伊藤、どうだ?」
どうだ?じゃないっすよ先生!オレが演技とか有り得ないっしょ!
と言いたいが、アカギからの推薦と言うのが嬉しくて、なかなかに口籠もる。
しかし結局周りからの痛い視線と、目立ちたくないと言う自分の気持ちを優先させた。
「いや、あのオレは裏方が…」
「伊藤さんがやらないなら、オレもやりません」
いやアカギそれはマジでホント勘弁してくれ、と流石のカイジでも手で顔を覆ってしまった。
「だとよ伊藤、たまには腹括ったらどうだ?」
こんな所で腹を括って何になるんでしょうか先生!
「ちょっと、待っ…!」
「博打なんて案を出す奴がここで腹も括れないんじゃ、オレからの単位はやれねぇなぁ?」
カイジは、青い顔でYESと答えるしかなくなった。
クラス中が不満を漏らし始めたのを、平井先生が止める。
その中で残ったのは、アカギの柔らかな笑顔だけだった。
そして時は過ぎ放課後となって、カイジは一人教室で出された課題に悪戦苦闘している。
たった一枚のプリントにびっしりと詰まった問題の数々は、数えるだけでカイジを絶望に突き落とした。
「おぅ伊藤、頑張ってるな」
一時間が経とうかという頃、やっと三分の一を終えたときに平井先生が教室へと入ってくる。
「喜べ、助っ人だ…」
えっ?と声を漏らしながら入り口を見ると、アカギが笑顔で入ってきた。
生徒会の仕事を終えて、来てくれたのだという。
「終わったら提出しに来い」
しっかり教えて貰えと言い残して、平井先生は教室を出て行った。
アカギと二人きりとか、緊張する。
「どうですか、進み具合」
言いながらアカギが右隣の席へと腰を降ろしていた。
本来は治の席だが、アカギが座ると特別に見えるから不思議である。
「まぁ、それなりに…って言うか、治はどうした?」
「先に帰って良いと、言っておいた…生徒会の仕事が長引くから、とね」
カイジは宙を仰ぎ見ながら、二度三度頷いてみせる。
わざと、帰らせた様に聞こえるのは…気のせいだろうか。
「…そっか…生徒会終わったなら、すぐ帰りゃ良いのに…つまんねーだろ?こんなの…」
「オレじゃあ…ダメなの?」
気を遣って言ったつもりだったが、どことなく表情を暗くしてアカギは俯いてしまった。
カイジはそんな彼の様子に、慌てて口を開く。
「いやっ!そんなわけっ…生徒会仕事で疲れてんじゃねぇのかなって!誰か居てくれたらオレも励みになるし、それはそれで嬉しいって言うか…っ!」
伝わっているかどうか不安ながらも、必死で言葉を繋げるカイジ。
しかし顔を上げたアカギの表情からは、暗さが消えていなかった。
やはり伝わっていないんだろうか、と普段のコミュニケーション不足を悔やんだカイジだったが…。
「アンタにとって傍にいるなら、誰でも良いの?…」
別にそう言う事を言ってるんじゃなくて…と口をもごもごさせて困っていたカイジに、アカギが更に迫ってきた。
「どうして…選んでくれないの…」
いや、だからそうじゃなくて…と更に発言に困ったカイジは、目の前に置かれるプリントに目が行く。
「と、とにかく課題終わらせないかっ?…御礼にさ、帰りに飯でも奢っ…っ!?」
握っていたシャーペンを奪い取られ、それは少し強めに机へと伏せられた。
唖然としてそれを少し見つめた後、アカギに目を向けるとまた顔を伏せている。
何か悪いことでも言っただろうか。
ご飯を奢るというのが不味かったのだろうか。
わざわざ残って付き合ってくれていると言うのに、そんな物が御礼なんて烏滸がましかったのだろうか。
もっと上等な御礼の方が良いのか、ならばどんな物が良いだろうか。
いや、もしかしたらそれさえも勘違いで、もっと別の所に怒っているのだろうか。
あれやこれやと考えていたカイジだったが、次に発せられたアカギの言葉で思考も身体も硬直する事になった。
「課題を教える代わりに…オレに教えて、アンタの全てを」
濃厚な口付けも。
愛撫する指先も。
恍惚な囁きも。
激しい快感も。
荒ぶる性器も。
まるで顔から火が出そうなほど真っ赤になったカイジだが、更に自分の上へ跨ってくるアカギが居る。
もうどうしたら良いのか、分からなくなってきた。
「アンタが欲しい…」
いや待て、なんかおかしいだろうが。
なんの脈略もなく昨日から急に距離を詰められているような気がする。
治は分かるさ百歩譲って、だって一応でもイジメから助けてはやったんだから。
だが彼はどうだ、挨拶交わして、一緒に飯食って、少し他愛ない話しただけだろ。
アカギを好きだと言うのは、カイジの中では勿論、至極当然。
しかしだ、人を信じるという部分に少し抵抗のあるカイジにとって、彼のこの行動は大胆すぎて疑わしい。
試されているのか?と考える頃には顔の赤みなどサッパリ消えていた。
「…止めろっ!」
元々目つきの悪いカイジが真剣な真顔になると、それはもう底知れぬほど悪くなる。
別にそこまで怒っているわけでもないのだが、少し声が低過ぎた。
アカギは素直にスッと身を引き、隣の椅子に再び静かに腰掛けている。
「…オレがイジメの首謀者だとか、そう言う考えがお前の中に少しでもあるのは分かってる…当然だ、オレみたいな劣等生に対してなら、きっとみんな同じ様な事を考えたりするはずだ…ましてや校長に呼ばれたなんて事実があるから、更にそう思っちまうのも無理はねぇけど…でも、オレはっ…」
「思ったこと無い、そんなことは」
カイジの言葉を遮るように言った彼の目は、ジッと此方の目を見据えていた。
強く鋭いその光に圧倒されるように、カイジは押し黙って喉を詰まらせる。
「疑われていると…疑われていたんだな…」
悲しげに呟いたアカギが、沈んだ顔で俯いてしまった。
別にそんな悲しませるつもりはなかったんだが、とカイジは逆に疑ったことに対して罪悪感が膨大に押し寄せてくる。
元から無駄に疑われる事を嫌い、それに伴って人を疑わんとする心があった筈だった。
それが何時しか、疑われすぎて何処か感覚が麻痺していたのだろうか。
その影響で、今度は自分が人を疑うようになっていたのだろうか。
簡単に考えが変わっていた事に、カイジは自分が情けなくなって、自分まで顔を伏せた。
気まずい沈黙が続く中、教室に設置された時計の針が時を刻む音のみ、ただそこに流れている。
だが、何時までもそうしている訳にはいかない。
目の前のプリントを終わらせなければ、帰れもしないのだから…。
気まずいながらも、カイジは再びシャーペンを手に取って、問題の続きを考え始めた。
だが隣のアカギの様子が気になって、まともに思考が回らない。
問題を解こうと考えていた筈が、気が付くとアカギの事を考えている始末。
小さく溜め息を吐いて、これじゃあ幾ら時間があっても終わらねぇな…と、諦めてアカギを振り返る。
チラリと此方に目を向け、様子を窺っていたのだろう彼と目が合うと、カイジはすぐに口を開いた。
「疑っちまって…その、悪かった…」
するとアカギも、顔を上げて言う。
「オレも、ごめん…やり方が少し、強引だった…」
確かにさっきのは強引すぎて対応に困ったな、と言うのは内心だけで呟いてアカギを見据えていると、驚愕の言葉が飛んできた。
「そこまでアンタが治を真剣に想っているって言うなら、仕方ない…でも治には悪いけど、オレも諦めるつもりは無いから」
はい?え?どう言うこと?と、カイジが唖然としていると、今度はアカギから、必ず振り向かせてみせるから、と続けられて更に困惑する。
ん?諦めない?振り向かせる?え、誰を?って言うか、オレが治の事好きって事になってねぇ?どうしてそうなった?
自分を含めた三人の人間関係状況を整理出来ず、カイジは一人ひたすら湧き続ける疑問を捌くので精一杯。
アカギからアンタが好きだ、と遠回しに告白されている事さえ気付けない程、カイジの脳内はテンパっていた。
一人オロオロと考えるカイジへ、アカギが笑みを送りながら続ける。
「さて、早く問題集を終わらせて、一緒に帰りましょうか」
「え?…あ、おぅ…」
何だかよく分からないが、アカギの機嫌が戻ったようだから一安心だ。
カイジは気を取り直し、プリント制覇を目指す事にした。
アカギに手伝って貰うと、あれよあれよと言う間に問題はスラスラと解けていく。
先生代わりのアカギの解説は、とても分かりやすくて簡単に頭に入っていった。
コレは凄い、と感心しながら終わったプリントを手に、帰り支度を済ませて職員室へ、アカギと向かう。
ノックをして扉を開けると、平井先生の他にも、まだ森田先生も残っていた。
「お、伊藤か…終わったようだな」
カイジの手に目を落とした平井先生は、それを察して此方が言うよりも先に言い切った。
プリントを平井先生に手渡すと、隣に立っていた森田先生が笑顔で、二人ともお疲れ様、と言ってくれた。
「それじゃあ先生、さようなら」
「お先っす…」
アカギが言い、カイジも言った。
「おぅ、ご苦労さん…気を付けて帰れよ」
軽く一礼して、二人は職員室を出た。
時刻は5時を回っており、もう校内には部活の者以外残っては居ない様子。
小さく溜め息を吐いて、カイジは今後平井先生の授業では、絶対に居眠りをしないようにしよう、と誓ったのであった。
「アカギ、付き合わせて悪かったな…じゃあ帰ろうぜ」
頷いたアカギと一緒に、昇降口へと向かい靴を履き替える。
「…あ、オレちょっとチャリ取ってくるわ」
「オレも行く…」
「え?…チャリ登校だっけ?アカギも」
「いや…ただ、一緒に行きたいだけ」
「えっ?あぁ…そうか」
言いながら自転車置き場に二人で向かい、カイジは止まっている数少ない中から、自分の使い古した自転車を見付け、押して歩きアカギに近付いた。
「それじゃ、行くか」
「うん…」
「…後、乗るか?」
「…良いの?」
「送ってやるよ、家まで」
そう言って微笑みかけると、アカギは考え込むように目を伏せて答える。
「知ってんの?…オレの家、何処にあるか」
「それ、オレが知ってたらストーカーじゃねぇか…」
「まぁね…確かにそうだ」
クスクス笑いながら、アカギは言った。
「道案内してくれるならって事だ…まぁ、家知られるのが嫌だったら、途中までで」
「良いよ、案内する…乗せて欲しいから」
カイジが言い終わる前に、アカギが食い気味で答えてきた。
「じゃあ、道案内よろしくな」
自転車に跨ると後部座席に、アカギがそっと跨った感覚がする。
それを合図に、カイジはペダルを漕ぎ出した。
カラカラと音を鳴らす自転車は、夕焼けに晒された赤い町並みの中を、流れるように走っていく。
指示を受けながら自転車を走らせるカイジだが、背にピッタリとくっ付いているアカギに、凄くドキドキしていた。
事故らない様にハンドルを操作する事に必死だ。
次期にアカギが、あそこがオレの家、と告げてきたので、その前で自転車を止めた。
改めて見上げてみて、彼の家の大きさに思わず驚きの声が漏れる。
「うわっ…スゲェな、お前ん家…」
「そうかな…」
言いながらアカギが身を離し、自転車から降りるのを感覚で捉えて振り返った。
「ありがとう、伊藤さん…」
「おぅ、じゃあまた明日な」
「え?…もう帰るの?」
「…え?」
「まだ良いじゃない…家、寄っていきなよ」
折角だし、なんて言いながらアカギは笑顔で自転車を止める場所を指示してくる。
別に断る理由も無いので、遠慮がちながらお言葉に甘えて招かれることにした。
アカギに続きながら、お邪魔しますと言いつつ中へ入ると…。
「おかえりぃ…お?珍しいな、ダチ連れてくるたぁ」
そう言ってリビングの真ん中、テーブルの前で新聞を広げている校長…いや、アカギの親父さんが笑って迎えてくれた。
「こぉっ………んにちは…っ!」
言うなよ?と言う無言の圧力に、カイジはすぐに間違えそうになった言葉を訂正する。
冷や汗を額に滲ませながら、乾いた笑いを浮かべて軽く会釈した。
「おぅ、いらっしゃい」
穏やかな笑顔に戻ったのを確認して、カイジは小さくホッと息を吐く。
「親父、紹介する…同じクラスの伊藤カイジさん、あの時話した人」
「あぁ〜あん時のかぁ、治が世話になったな」
「…あ、いえ、全然…っ!」
もう既にそれについての会話を先日しているため、カイジはアカギにバレない様に、細心の注意を払って返答した。
「伊藤さん…これがオレの親父」
そう言ってアカギがカイジの方へと振り向いてくる。
「は、初めまして…い、伊藤です…その、宜しくお願いします…っ!」
声が裏返りそうになったのを堪えて、カイジはアカギの親父さんとして初めて挨拶した。
「おぅ、よろしくなぁ…所でお前さん達、付き合ってんのか?」
うえっ!?と、カイジは変な声が出て、隣からアカギが口を開く。
「親父…いきなり何言ってんの」
「いやぁ、お前が治以外を連れてくるのはそう言う事かと思ってなぁ」
「変な詮索するな…ほら、伊藤さんが困ってる」
目を泳がせていたカイジに、二人揃って視線を向けてくるもんだから、更に目が泳ぐ。
「もう部屋に行こう、伊藤さん…」
「まぁ、ゆっくりしてけや」
そう言って手を引くアカギに戸惑いつつ、ヒラヒラと手を振る親父さんに軽く会釈した。
部屋に着くと溜め息を吐きながらアカギがポツリと言う。
「ごめん、親父はいつもああだから…」
「いや、別に…」
とは言いつつも気まずさが部屋の中を覆っている気がする。
と言うか、部屋に来た良いけど…どうしよう、とカイジは困っていた。
改めて部屋を見回してみると、あまり物が置かれていない殺風景とも言える内装。
勉強机とベッド、服を仕舞ってあるのだろうタンスがあるだけで、他は何も無い。
話題の出しようも無い部屋だと、カイジは更に困る。
唯一話題に出来るといえば…。
「あ…なんか、スゲェ片付いてて綺麗な部屋だなっ…オレの部屋とは、大違いだ、うん…見習わないとな…っ!」
部屋を横断しながらアカギがカバンを机に置き、こちらの方へと視線を向けて微笑んだ。
「今度、伊藤さんの部屋も見てみたいな」