治の呼び起こす声で目が覚め、校長室に行かなければならない事実を思い出す。

「ノートは、帰ってきてからにします?」

「そうするわ…んじゃ、ちょっくら行ってくる」

重い腰を上げ、いってらっしゃいと言う治の言葉に軽く返事をして、教室を出た。

目的地にたどり着くまでの間、カイジは深々と考える。

何故呼ばれる羽目になったのかと言う事と、今まで一度も校長の顔を拝んだ事が無かったと言う事を。

小学校も中学校も、全校朝礼という物があって、その際には必ず校長が挨拶や話をしていたが、この学校ではそれがない。

だから目にする機会がないのかと思ってはみたが、別に朝礼だけじゃなくとも拝む機会はあるはずだ。

例えば…入学式の挨拶の時とか。

その時でさえ、確か今の担任、平井銀次が行っていた気がする。

もしかしたら、この学校の校長ってあの担任なのだろうか。

すると、校長室への曲がり角の先には平井先生が立っていた。

「お、来たか…じゃぁ入るが、失礼はするなよ?」

「は、はぁ…」

と、言われるって事は校長が彼だと言う事実は、無くなったわけだ。

とすると、やはりちゃんとした校長が居る、と言う事である。

カイジは軽く深呼吸して、平井先生がゆっくりと開けてゆく扉の先を見据えていた。

「お邪魔するぜ、伊藤を連れて来たぞ?…赤木校長」

初めて目にする校長の座に就く者の姿に、カイジは挨拶も忘れて目が点になった。

外見が、あのアカギにそっくりだったからであり、苗字も一緒だったからである。

「…おい伊藤、口の開き方も忘れたのか?」

平井先生に突っ込まれ、漸く我に返ったカイジは急いで口を開いた。

「あっ!…す、すいません!失礼します…っ!」

その慌て振りを見てか、大笑いする校長。

その姿にカイジは、更に彼の人間性が見えなくて戸惑った。

「まぁ良いじゃねぇか…ありがとよ銀次、世話掛けたな」

「良いって事よ…伊藤、二限目の授業については心配するな、話は付けてある」

「は、はい…」

そう言い残し、彼は部屋から出て行ってしまった。

カイジは改めて校長へ向き直り、なんのお咎めが在るのか、その内容を待つ。

大きな黒いソファーに腰掛けたまま、校長は笑顔で口を開いた。

「もう気付いているとは思うが…お前のクラスにいるアカギはオレの息子だ」

これだけ似ているんだ、それ以外の事実があって堪るか。

「そう、ですね…凄く似てらっしゃるんで、すぐ、気付いたと言うか…分かったと言うか…」

「おいおい、そんなに緊張しなくたって取って食ったりしねぇさ…もっと普通に喋ろうや」

校長相手に、アカギの父親相手にそんな事が出来る筈はない。

しかし笑顔の奥にある鋭い眼光が見えた瞬間、否定も遠慮の言葉も吹っ飛んだ。

言われたとおり、失礼でもなんでも良いから、普通の口調で話そうとカイジは決め込む。

「はぁ、了解っす…それで、オレは何で呼ばれたんすか」

「そうそう、そんな感じで良いんだよ…でだな、何で呼んだかってぇと………」

お咎めを受ける原因さえ、まともに見当が付かない状況で、更に校長が必要以上に焦らし、溜めるものだから気が気ではない。

それでも一応返答を待っていたら、漸く答えが返ってきた。

「興味が湧いたんだよ、お前さんにな…だから呼んだ」

「………はぁ」

なんて脈略のない返答だろうか。

はいそうですか、としか返事のしようがない。

「ところでお前さんはよぉ…好きな奴とかいんのか?」

「…はい?」

「好きな奴だよ、いるんならこっそり教えてくれや…誰にも言わねぇから」

いやそう言う問題じゃない。

(どう言う意味で興味持たれてんだコレ…っ!)

なんだかもの凄く不安になってきたカイジは、オドオドしつつも返答することにした。

「同じクラスには、一人…」

「へぇ、そうか!…で、名前は」

これ以上明確に返答するのはプライバシーの何とやらと言う奴ではないのだろうか。

第一、貴方の息子さんが好きなんです、なんて言えたもんじゃない。

困った表情のままカイジが沈黙を守っていると、校長が静かにその沈黙を破った。

「…治、か?」

「はっ?…え、いや…」

まぁ確かに治がアカギの幼馴染みで、アカギが校長の息子ならば、昨日の事は既に耳に入っているのは当然だろう。

ましてやカイジが治を助けた、と言うのは何にも変わらぬ事実だ。

そう思われるのも、まぁ当然っちゃ当然かもしれない。

しかし、治がどう言う伝え方をしたのかにも寄ってくるから、一概には言えないわけだが。

カイジの返答の様子を見て、校長は椅子に座り直して笑った。

「変な事を聞いちまって悪かったな…ちょいと悪戯が過ぎた」

ククッと笑ったかと思うと、眼を細めカイジをじっと見つめてくる。

「息子から聞いた…治を助けてくれたんだってな」

「まぁ…でも偶然居合わせただけで…」

「でも助けた事に違いはない…そうだろ?」

「えぇ、まぁ…」

「アイツにとって治は大切な友人だ、オレにとっても同じ事さ…」

校長の言っている事を、カイジは何となくではあるものの理解していた。

校長にとってアカギは大切な息子、その息子の大切な友人なら、校長にとっても息子同様の存在だと言いたいのだろう。

幼い頃から沢山の時間を共有してきた仲だろうから、この考えで間違いはないと思う。

カイジは頭の片隅でそんな事を考えながら、校長の先の言葉を待っていた。

「それで、お前さんへ直々に礼を言いたくて、呼んだってわけさ」

「そうだったんすか…いやでも、そんな礼を言われる程の事じゃ…」

「素直に受け取れや…それもまた、礼儀って奴だぜ?なぁ、カイジよぉ」

そう言われてみれば、確かにそうかもしれない。

ここは素直に受け取るのも、敬意という物だとカイジは教えられた。

「確かに、そうっすね…」

「おぅ…お前さんには感謝してる、これからも治と仲良くしてやってくれや」

「はい…っ!」

「あぁ、ついでに…息子の事も宜しく頼むわ」

「え?…あ、はいっ!」

「…あぁそれから、オレがアイツの親父だって事は、内緒にしてくれねぇか?アイツにも校長がオレだってのもな」

色々面倒なんだろう、その事実が表沙汰になってしまうのは。

一瞬で理解したカイジは、真剣な眼差しで頷いて見せた。

カイジは、失礼しましたと言って部屋を出たが、その瞬間にどっと疲れがのし掛かってくる。

一気に緊張から解放されたせいだろうが、先程一限目に寝ていたにも関わらず、また眠くなってきてしまった。

そんなに時間も経っておらず、今教室に戻ると二限目の真っ最中だろう。

戻るのも何だか気が引けるが、サボってもそれはそれで後から平井先生に何を言われるか、分かったものでは無い。

(仕方ねぇ、ここは素直に戻っとくか…)

トボトボと教室へ戻り、ガラリと扉を開くとクラス中の視線がカイジの元へ集まった。

(げっ…やっぱ気まず…)

「あ、お帰り伊藤くん…じゃあ席について、授業を再開するから」

にこやかに言う森田先生へ素直に返事をし、カイジは自分の席へと着いた。

安堵感からか、先程よりももっと強烈な睡魔に襲われる。

しかし向けられた森田先生の笑顔で、寝る事への躊躇いが沸き、結局最後までボーッとしながらも授業を受けた。

その後、二限目終了のチャイムが鳴ると同時に、カイジは机に突っ伏す。

「カイジさん…大分疲れてますね、大丈夫ですか?」

隣から治の心配そうな声が聞こえてくる。

カイジは突っ伏した顔を上げて頷いた。

「んー…緊張し過ぎて疲れた…眠ぃ」

「ノートは取ってありますけど…後で貸しましょうか?」

「…ん、…悪ぃな、治…」

「いえ、こんな事で役に立つなら、幾らでも…」

笑顔で俯いた治が、膝の上で手を落ち尽きなく動かしていることに、カイジは睡魔と戦うのに必死で気付いていない。

「…あー…そう言えば、お前って好きな奴いんの?」

「…えぇっ!?」

「って、校長に聞かれた…今のお前と同じ様な反応しちまったよ…」

眠気混じりで笑ったカイジは、へにゃりと情けない顔になっている。

対して治は、ドギマギしたような顔で開けた口を閉じられない様子。

疲れているせいか、はたまた寝ぼけているせいか、治の顔もこうしてジッと見てみると、案外可愛い気がしてきた。

「…お前さぁ…案外、可愛いよなぁ…」

カイジはこの時、もう既に睡魔に支配されており、自分で何を口走っているのか理解していない。

治は困惑した声を漏らしつつ、目を右往左往させていた。

「…モテそう、だよなぁ…オレと…違って…」

その言葉を最後に、カイジは再び眠ってしまう。

「いえオレは、そんな…って、カイジさんっ?…もうすぐ二限始まっちゃいますよ…っ!?」

平井先生の授業だというのに、居眠りなんて以ての外だ。

必死に起こそうと身体を揺さぶった治だが、カイジの眠りは相当深いらしい。

全く起きる様子を見せない程の爆睡っぷり。

対して遠巻きで二人のやり取りを聞いていたアカギは、前方を見据えたまま少し険しい表情で固まっていた。

その原因は、理由の定かではない胸の痛み。

キュッと締め付けられるような圧迫感が、アカギの胸の中で起こっていたのだ。

今まで幼い頃から治としか親しい関係を持った事が無いアカギには、この胸の苦しみが一体何なのかは分からない。

弟のように大切にしてきた治が、彼に取られてしまうかも知れないと思っているからなのか。

(…違う、そんなんじゃない…)

むしろ、治が幸せになると言う事は、それだけでも素晴らしい事だと思う。

毎日を自分の隣で過ごし、ただそれだけで罵倒や中傷、更には暴力などに面して暮らしてきたのだ。

アカギにとっても、治に訪れる幸せには賛成する価値がある。

と言うことは…その相手が問題だと言うことだ。

(…伊藤さん)

アカギは気付いた。

昨日から続く、異様な胸の高鳴り、執拗な胸の切なさ、その意味を彼は今知ってしまったのだ。

それまでは治に想い人が出来た事を喜ぶ気持ちや、弟の如く親しい治が離れて行く事での淋しさだと思っていた。

全ては、アカギの勘違いだったのだ。

昨日の出来事は、丁度アカギも居合わせていた。

ただ表に出なかっただけで、影からこっそり見ていたのだ。

別に最初から見守るだけのつもりで、そこに居たわけではない。

出て行こうと、止めに入ろうとした矢先に、カイジが先を越したと言うだけ。

その後で治と合流し、カイジについて色々と話を聞いた。

そんな彼を好きになったと、治は嬉しそうに言っていた。

アカギはその時、心から祝福している…つもりだった。

だが今思えばそれは、立前だったのかも知れない。

治を傷付けまいとする、自分の無意識がそうさせたのかもしれなかった。

(親父は…気付いてそうだな…)

だがアカギは校長が父親だと知らない。

赤木校長がカイジを校長室まで呼んだのは、アカギが影響を受けたからだと悟ったからであった。

何に対しても興味を示さなかったアカギが、初めて興味を示した者を一目見てみたくて、そして判断するために。

破天荒な息子に見合う、相手であるかどうかを。

そしてさっき言っていたような質問をし、彼の心の中を盗み見したのだった。

次期に二限目のチャイムが鳴ると同時に、平井先生が教室へ入ってくる。

そしてすぐさま眠りこけているカイジを見付け、溜め息を吐きながら出席簿の角で思い切り叩き起こした。

「いってぇ〜…っ!」

「良い度胸だな伊藤…明日補習だ、放課後残れよ?分かったな」

「えぇっ!?そんな…っ!」

「聞こえたろう?良いな…」

「…は、はい…」

「さぁて…授業を始めるぞ」

そう言って教卓へ戻っていく平井先生の後ろ姿を眺めつつ、治がごめんなさいと謝り始めた。

「…なんでお前が謝んだよ…」

殴られた頭をさすりながらカイジがボソボソッと言うと、治は真底申し訳なさそうな顔で理由を述べる。

「頑張ったんですけど…俺、起こせなくて…」

「はぁ…お前の所為じゃないから、そんな顔すんなよ」

「でも…」

「笑えよ、いーから…笑う門には何とやらって、よく言うだろ?」

「…そうですね、分かりました」

暗い顔から一変、明るい笑顔に変わった治に、カイジは納得したような頷きを返してやった。

そんな二人の様子を横目で見ていたアカギは、眉を潜めて悲しげに小さく溜め息を吐く。

目の前で繰り広げられている光景は、微笑ましさが一目瞭然。

何だかとても良い雰囲気過ぎて、授業の内容もまともに頭へ入らない。

アカギは治と過ごして来た沢山の時間の中で今初めて、彼が居なくなってしまえば良いと思った。

数え切れない者達が自分を巡って争う中、本気で好きになった相手には振り向いて貰えない。

その現実を突き付けられると、誰であれ豹変してしまう程に、色恋沙汰とは実に恐ろしいものだ。

あのアカギでさえ、こうも変わってしまうのだから。

三限が終わり、四限も過ぎて昼休みになる。

弁当を広げ食事を取り始めたり、購買に行くなど思い思いに行動するクラスメイト達の中で、治だけがオロオロと困った様子を醸し出していた。

その原因は一つ、アカギと行くか、カイジと行くかの選択に困っていたのだ。

カイジはと言うと、治はてっきりアカギと食事をするもんだと思っていた。

対してアカギは、治がカイジと食事をするものだと思い込んでいる。

しかし、一行に行動を起こさない彼の様子に疑問を持って、二人が同時に治へ声を掛ける結果に…。

「おい、どうした?」

「治、どうしたの?」

「あ…えっと…」

「「………」」

中央で一人困る治に対し、カイジとアカギは黙りと互いに目を合わせていた。

「昼ご飯…どうしようかと、思って…」

実は治も色々と考えてはいたのだ。

二人があまり面識を持っていない事は知っていた。

それでいて三人でご飯を食べると言うのは、些か気まずくなってしまうんじゃないかと考え、どちらと行こうか迷っていたのだ。

しかし治にとっては二人とも大事な人であるため、決められずにいた。

「アカギと行けよ…ほら、幼馴染みなんだろ?」

「オレは良いから、伊藤さんと行きなよ…」

更に困惑した治は、思い切って先程の考案を聞いてみる事にした。

「あの…じゃあ三人でご飯を食べるのは…どうでしょうか」

その提案に、カイジは元よりお人好しのためぎこちない笑顔で、たまにはそんなのも良いかもな、と言ってみせる。

が、アカギの回答がかなり大問題。

「オレは行かない…たまには、一人で食べたい時もあるから」

と言って、そのまま教室を去って行ってしまった。

呆然と立ち尽くす二人は、ポカンと口を開けたまま顔を見合わせた。

カイジは元からアカギの事をあまり知らないため、あんな発言をするのかと言う驚愕からの呆然。

治は小さい頃からのアカギを知っているため、あんな発言を初めて聞いたと言う驚愕からの呆然。

「…じゃ、じゃあ…二人で、食おうか…」

「そ…そうです、ね…」

呆気に取られたまま財布を持ってふらりと教室を出、学食に向かう。

その道中、治が俯いたまま言った。

「なんか、すみません…」

また謝ってきた。

別に治が悪いわけではないんだろうに。

「いや別に…って言うか、いつもあんな感じなのか?」

「違いますっ、普段はもっと落ち着いているし…俺だって初めて聞いたんですよ、アカギさんがあんな言い方するの…」

「へぇ〜…そっか…」

ああ、やはり校長室に呼び付けられたと言う事実が、彼に変な警戒心を植え付けてしまったのだろうか。

危ない奴と連んで何が楽しいんだ、とでも内心で思われてそうで怖い。

って言うかアカギは校長が自分の親だと知らないわけだから、校長室に呼ばれると言う事実だけ見る事になる。

そうすると当然、大体の人間はそこだけ見れば悪い子ってイメージを付けてしまうものだ。

「アカギさん…何かあったのかなぁ…」

真底心配そうにしている治を横目に、カイジは後頭部の髪をぐしゃぐしゃと掻き乱して言った。

「行って…聞いてみたらどうだ?」

正直、カイジもかなり気になっている。

普段があんな感じでは無い筈の彼が、どうしてあんな言い方をしたのか。

しかし変なイメージを持たれているんじゃないか、と言う疑念であまり付いていく気にはなれなかった。

仮に治の付き添いで行ったとしても、自分が傍に居ては素直に言えない事もあるだろうし。

例えば…この人と食事とか有り得ないから、とか…。

「一緒に、来てくれないんですか?…」

少し悲しそうな治が上目遣いで訊ねてくる。

「いやぁ…何というか、行っても良いけど…オレが居ると、素直に言える事も、言えないんじゃないか?…ほら、あんま馴染みが無いだろ?オレってさ…」

治からすればカイジは救世主だが、アカギからするとカイジはただのグレーゾーン、そう自分の中で己を位置付けていた。

「とにかく、何があったのか聞いてこい」

そうすれば明日からはスッキリ三人で飯に行けるようになるかも知れないだろ。

そう続けて行くように促すと、治は少し強気な顔で頷いた。

踵を返していった彼を見送ってから、さて何を食べようかなぁと、財布の中身を見ながら改めて考えるカイジだった。

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