オレは今日も、いつもの喫茶店へとやってきた。
そしていつもの席に座り、いつもの方向へと目を向ける。
L字型の通路にそって並んでいる席。
突き当たりの角に座っているオレから見て、右方向の窓際の席に彼はいつも座っていた。
5席ほど離れているその距離が、とてももどかしく感じる。
オレの方向から見ると、彼はいつも背中を見せていた。
だから気兼ねなく見詰める事が出来る。
いつも通り、コーヒーを頼んでそちらを見詰めていた。
切っ掛けはとても簡単なもの。
行き付けのこの店で、初めて彼とすれ違った時、一目惚れした。
だが意気地の無いオレは、こうしてただ見詰めている事しか出来ない。
話しかけるなんて、とてもじゃないが出来たものじゃない。
そんな毎日をどれほど続けていたのか。
沢山の時間、彼を見詰め続けていたが、オレが知っているのはたった二つだけ。
時たま友人か、はたまた恋人か定かではないが、連れと一緒の時があると言う事。
そして必ず、あそこの席へ座って背を向けていると言う事。
名前も歳も、普段何を注文しているのかさえも、知りはしない。
気付けばただ虚しくて切なくて、店に赴いて彼を目にするたびに、来た事を後悔する様になっていた。
彼が席を立つのが分かると、すぐに目を逸らしてテーブルの上の冷めたコーヒーを見つめる。
見詰めるだけの毎日。
そんな言葉を脳に起こした時、ハッとする。
これではまるでストーカーじゃないか、と。
その日は、それから彼を見詰める事無く、ひたすらテーブルのコーヒーと睨めっこしながら考えた。
これではいけない。
気付かれたら最後、気持ち悪いとか思われるに違いない。
むしろ、見詰め続けるだけの毎日に進展など、あるはずもないのだから。
止めよう、こんな事は、もう今日で止めにしよう。
今日で、最後にしよう。
小さく溜め息を吐いて、オレはガムシロップをコロコロと弄っていた。
そして悲しげに微笑し、眉を寄せ、さようならを込めた指弾きをガムシロップに打ち込む。
だが少し力が強すぎたらしい。
コロコロと転がったシロップはテーブルから落ちてしまった。
しまった、と腰を浮かせて拾おうと手を伸ばす。
すると…誰かが先に拾った。
礼と詫びを言おうとして顔を上げたら、そこには彼が笑顔で立っていて…。
「踏まなくて良かった…はい、コレ」
そう言って差し出されるシロップカップ。
「…あっ、どうもっ…すいません…っ!」
一呼吸遅れて、慌てながら受け取った。
焦りながらも手には触れない様にと、怪しまれない様にとしたはずだったが、ほんの微かに触れ合った指先。
それだけで、とても大きな幸福感が溢れた。
彼はクスリと笑って、そのままオレの席を通り過ぎ、奥のトイレへと向かっていく。
丁度席を立った所だったのか、気付かなかった。
だがしかし、こんな間近で見て触れて話せるなんて、思ってもみなかった。
最後の最後に、とても幸せな夢を見せてくれて、ありがとう神様。
泣きそうな程に嬉しくて、そのガムシロップを持ち帰った。
それからは、あの喫茶店には行っていない。
彼はどうしているのだろうか。
相変わらずあの店の、あの席に座って時間を過ごしているのだろうか。
行かなくなってから一ヶ月が経とうとしている。
やっと、気持ちが薄れ始めてきた。
彼の笑顔や声、触れた指先の感覚も、いい思い出になりつつある。
そんな、時だった。
道行くオレの前方から、あの日でもう逢わないだろうと思っていた彼が…歩いてきたのは。
「どうも、こんな所で逢うなんて、奇遇ですね」
これは幻想なのではないかと一瞬思ったが、目の前に迫る彼がこちらに微笑を向けながら声を掛けて来た事で、これは現実なのだと改めて思った。
「…あれ、人違いでしたか?なら、すいません…」
驚いて黙ったままのオレに勘違いしたようで、彼は申し訳なさそうに言って去ろうとする。
オレは急いで振り返り、口を開いた。
「いえっ…その、違わないっすよっ!…ガムシロップ、拾ってくれた人、ですよね…?」
オドオドしながら言った言葉に、彼は振り返って微笑んだ。
「間違いじゃなくて、良かった…」
遠ざかっていた彼が、再び歩み寄ってくる。
浮き足立ってしまうほどの、夢のような時間。
こうしてまた再び出会えるとは、思ってもいなかった。
でも、進展出来るかどうかは、分からない。
やっとの事で諦めがつき始めた頃に、こうして鉢合わせる神様は、一体何を考えているのだろうか。
嬉しくない訳ではないが、このまま何も無いのなら、酷く悲しい思いをする事になるだろう。
多少複雑な気分だった。
「これから何処か、ご予定でも?」
笑顔で問い掛けてくる彼に、首を横に振って見せた。
「ただ、タバコを買いに出ただけで…別に何も…」
「そうなんですか…」
少し間を空け、彼は再び口を開いた。
「あの、今から少し時間を頂けませんか?」
「え?…」
オレが不思議そうな顔と声を出した所為か、彼は少し笑顔を薄くして続けた。
「こんな所で逢えたので、折角だから一緒にお茶でもどうかと思ったんですが」
あまりにも嬉しくて、先の事などどうでも良くなり、オレは笑顔で言い切る。
「…はいっ、オレなんかで良ければ是非っ!」
「良かった、じゃあ行きましょう」
彼も了承してもらえた事で安心したのか、笑顔に戻った。

彼の先導で到着したのは、言わずもがなあの喫茶店だった。
中へと入り、彼がいつも座っていた席に座るのかと思っていたが、予想に反してオレが好んで座っていた席へと着く。
ソワソワしながら飲み物を注文し、改めて彼が面と向かって座っているのを意識すると、未だ夢を見ているような気がした。
「…あの日の事、覚えていてくれて嬉しかった」
すると、彼は静かに口を開き、語り始める。
恥ずかしくて落としていた視線を上げると、彼は微笑みながらこちらを見ていた。
「正直、忘れられているだろうと思っていたので…時間も大分経っているから」
「まぁ、確かに…」
同意の言葉を返しながら、内心では忘れる筈が無いと呟く。
あんなに嬉しくて、幸せな気分になれたのだ。
忘れられる筈はない。
彼はスッとある方向へと顔を向けた。
そこはいつも彼が座っていた席。
「オレはいつも、あそこの席に座っていたんですよ」
認識はされていないと思いますが、と彼は続けて悲しげに笑った。
むしろ逆だ、知りすぎている。
いつも背を向け、座っている姿を見つめていたのだから。
「そして、席を立つたびに、ここに座っていたアンタを見てました…」
「え、オレを…っすか?…」
「えぇ…いつ見てもアンタは、酷く悲しそうに俯いているだけだった…」
ジッと見つめられ、恥ずかしくて目を逸らした。
「この席に目を向けるたびに、悲しげなアンタの横顔を見ていたら、ある日自分まで胸が痛み出したんです」
おかしいでしょ?と笑いながら問いかけて来た彼に、オレは首を横に振った。
「いえ…おかしいんですよ、オレは少し…変わってるので」
何処か遠くを見ながら、彼は窓の外へ視線を向けてしまった。
「何度目を向けても、アンタと目が合う事は一度も無く…それでも、悲しげな目の理由を知りたくて…最終的には、笑顔を見てみたいと望むようになりました」
外に目を向けたまま、悲しげに語る彼の様子が、日々見つめるだけの自分と重なって見えた。
「でも、認識もされていないオレが話しかけた所で…怪しまれるのは目に見えていたので、それは出来なかった…」
話し掛ける事は出来なかった、そこにオレはとても共感した。
「だから、見つめ続けるしかなかった…」
オレも激しく、そうだったからだ。
「でもあの日、やっとチャンスが来たと思ったんですよ…」
落ちたガムシロップと、重なった視線。
「これで違和感無く、アンタに話し掛ける事が出来る…次に見掛けたら、一緒のテーブルに着く事も出来るかも知れない、と…」
あの日の光景が、綺麗に蘇って来た。
そんな風に思ってくれていたなんて、知らなかった。
それなのにオレときたら…。
ゆっくりと視線を外からオレへと向けた彼は、眉を歪めた悲しげな顔で続けた。
「だけど、その日を境に…アンタがここに座っている姿は、無くなってしまった…」
今度は視線をテーブルのコーヒーへと移し、彼は悲しげな顔のまま続ける。
「来る日も来る日も、アンタがまたここへ座って視線を落とす姿を望んでました…でも、それさえも辛くなって、時期にここへ通う事も止めにしたんです…」
ふと顔を上げ、今にも泣きそうな顔で笑顔を作りながら、彼は言う。
「なんか、すいません…気色の悪い話をしていると言うのは、自覚してるんです…ただ、どうしても伝えておきたくて…」
オレは何ひとつ口を挟む事無く、黙って聞き入れる。
「気になっていた理由が、どうしても分からなかった…でも、やっと分かったんですよ…アンタが消えてしまって始めて、気付いたんです…」
固唾を呑んで、彼の言葉を待った。
「…悲しげなアンタの横顔に、恋をしていたのだと…」
彼は言い終わると、目を伏せてしまった。
多分、オレの驚いた顔を見た事も相まって、とんでもない事を口にしているとの自覚から伏せたのだと思う。
少しの間あまりの事実に呆然としていたが、ハッと気付いて口を開こうとした。
しかし、それより先に彼の方から言葉が紡がれる。
「お時間頂いたのに、変な話で本当に申し訳ないと思ってます…お代はオレが全部支払いますから、気にしないで下さ…」
「いやっ!…あの、オレも…」
「いえ、本当に良いんですよ、オレが」
「違うっ!そうじゃなくて、その…」
「え…?」
不思議そうにこちらを見つめてくる視線を避けるように、目を逸らして自らの中にある想いをぶちまける覚悟を決めた。
彼も言ってくれたのだから、オレが言わずしてどうする。
「知って、たんだ…あの席に、座っている事も認識してたしっ…毎日のようにここに居たことも…オレがこの店に来てたのだって…アンタの事、見てたからで…その…」
彼は驚いたように、薄っすらと口を開いたまま固まっていた。
「一目見たときに…好きに、なって…それからずっと………でも、そんな風に想って貰えてるとは思ってなくて、見つめ続けるのが辛くなって…来るのを、止めたんだ…」
目を上げると、彼はキュッと縮こまって顔を伏せていた。
「…その、急に来なくなって、悲しませちまったのは…本当にごめん…知ってたら、そんな事…しなかったんだけどさ…あの、もしまだ…その想いが残ってるなら…」
小さく深呼吸をして、オレは最後の言葉を繋ぐ。
「よ…良かったら、オレと…付き合って、貰えませんかっ?…」
ジッと彼の様子を見詰めながら、返答を待っていた。
すると時期に、彼が顔を上げる。
その時間が恐ろしい程にスローモーションになって見えた。
前髪で見えぬ目元、薄っすらと開かれてゆく唇から漏れ出でる言葉は…。
固唾を呑む、息が詰まりそうだ。
「…はい、オレで良ければ、一緒に居させて下さい」
完全に顔が上がった彼の見せた表情は、満面の笑みだった。
ホッとして、腰が抜けそうになる。
「こんな事なら、もっと早くに話し掛けておけば良かった」
そう言ってクスクスと彼は笑った。
「ああ、確かに」
つられて、オレも笑った。
そこでふと思い出す、互いの名前も知らないと言う事に。
「あ、オレ…伊藤カイジ、呼び方はまぁ…お好きなように」
「ククッ、なら遠慮なく…オレは赤木しげるですよ、カイジさん」

最期の日まで合わさる事の無かった視線は、互いの想いの所為でもあったらしい。
その時、本当に神様は存在するのかもしれないと、密かに思った。
今まで遠回りしてしまった時間の分、これからは沢山の時間を共有しよう。
そして…いつまでも、二人一緒に…。

The End






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パッと見、綺麗な話に見えるけど…
よく見たらコレ、互いに軽くストーカーしてるじゃねぇか
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