そんな日常が続いて、早一ヶ月が経とうとしている。
家にいても気が休まる事無く、一切リラックスの出来ない状態での約一ヶ月だ。
当然、佐原からはある一点についてつっ込まれた。
「カイジさん…何か、凄いやつれてません?」
そりゃそうだ、バイト先まで来る間さえもビク付いているのだから、やつれて当然。
不安で、恐怖で、まともに食事も喉を通ってくれない。
青白い顔を更に青くして溜め息を吐き、重い口を開いて説明した。
話を聞き入れながら佐原は、徐々に驚愕の色を強くしている。
「えっ、今まで何度も、ですかっ!?…」
「ああ…もう、家に居ても落ち着かねぇ…」
「それ相当ヤバイっすよ!?」
「分かってるよ…でも、どうしたら良いのか分からねぇし…」
「いや、警察に行って相談するべきでしょコレっ!」
「まぁ…そうなんだろうけどさ…証拠品とか、全部気持ち悪いから処分しちまってるし…」
「じゃあ、次に何かモノが届いた時はそれ持って行くとか…っ!」
「あ、そっか…そうだな、そうする…っ!」
このまま放置しておく方が問題だという佐原の助言に、素直に頷いた。
今度こそ変なものが届いたら、速攻で警察に駆け込もう。
途中で佐原が気付いたように、少しの間オレの家に泊まります?と言ってくれたが、遠慮した。
オレの住所さえ知っているんだ、多分だがオレが何処に行こうが情報を掴んで追って来るだろう。
そうなると、佐原にまで迷惑が掛かってしまうかもしれない。
それはさすがに、申し訳なかった。
随分心配してくれる佐原と共に、仕事がもうすぐ上がりと言う時間になった時。
あの白髪男が来店してきた。
「どうも…随分顔色悪いですよ、大丈夫ですか?」
相変わらず一定のトーンで声を掛けてくる、白髪の男。
彼も佐原と同じように、少し洞察力があるらしい。
「まぁちょっと…色々あって…」
苦笑いで答えると、男はより心配そうな顔を向けてきた。
「聞かせて下さい、何があったんです?」
随分と食い込んでくるな、とは思ったが少しでも相談に乗ってもらえる方が、こちらとしてもありがたい。
「いやぁ、最近変な嫌がらせを受けてて…その、自宅に気持ち悪い荷物が届くんすよ頻繁に…それでちょっと、気が滅入ってるって言うか…まぁそんな事情なんすけど…」
すると白髪の男は、眉を顰めながら口を開く。
「そのプレゼントは、取って置いてあるんですか?」
「そりゃ捨ててますよ、気持ち悪いんで…」
「そうですか…もし、次に何か届いたら…どうするんです?」
真剣な顔で男は問い掛けてくる。
「勿論、警察に行きますよ…流石にノイローゼにはなりたくないんで」
「…そうですね、確かにそうだ」
と、ここで上がりの時間になった。
一旦佐原と共に事務所裏へと引っ込んで、着替えを済ませると別の従業員と交代で店を出る。
店先には先程の白髪が喫煙所でタバコを吸っていた。
「お疲れ様です」
出てきたオレ等に気付き、そう一声掛けてくれる。
「どうも…どうっすか、これから居酒屋にでも一緒に」
男も佐原も驚いたような顔をして見せてくる。
「いつものカイジさんなら断る立場なのに…珍しいっすね」
「この一月、全然無駄遣いしてねぇからな…アレのお陰で、余ってんだよ」
理由を述べてやると佐原は笑いながら、なるほど〜と納得した。
「佐原、お前も勿論来るんだろ?」
「当然じゃないすか、ご一緒しますよ」
珍しすぎる記念にと言っている佐原の隣から、男が静かに口を開く。
「オレも…行って良いんですか?」
「ああ、仲良くなれたのも、なんかの縁だろうし」
男はタバコを灰皿の中に放り込んで、嬉しそうに顔を上げた。
「じゃあ、お言葉に甘えて…ご一緒します」
その日は、明け方近くまで三人で飲み明かした。
確かに金が余っていたから盛大に使いたかった、と言う理由もあるが何より…独りで家に居るのが怖かったのだ。
このところ毎日、何かあったらどうする…と気が気じゃない時間を過ごしている。
たまには忘れたかった、普通に戻りたかった。
久しぶりに、何を気にする事も無く時間を過ごす事が出来て、佐原にも男にも感謝している。
ちなみに男と自己紹介を交わし、名を赤木しげる≠セと知った。
明け方5時少し前、店が閉店しそうな雰囲気と共に、オレ達もお開きにしようかと会計を済ませて店を出る。
「いやぁー楽しかった…っ!マジで恩にきるぜ」
言って二人に微笑みかける。
佐原も、楽しかったですね!と笑顔で返してくれて、アカギも微笑ではあるが頷いてくれた。
「また一緒に呑み、行きましょうねカイジさん!じゃ、お疲れ様っす!」
そう言って佐原はヒラヒラと手を振りながら、笑顔で帰っていった。
「さて、オレ達も帰るか…ホントに今日はありがとな?アカギ」
「いえ、全然」
「オレはこっちなんだけど、お前どっち方向だ?」
「オレも同じですよ」
「じゃあ、一緒に帰るか!」
「はい、そうしましょう」
良かった、これで帰り道も一人じゃない。
そう思った瞬間、今まで忘れていた気が滅入るような事実を思い出した。
一気に現実に引き戻されるとは、こう言う事か…。
帰ったとき、また何か変な物が届いていたら、と思うと怖くて堪らない。
そんなネガティブな考えを廻らせていると、ついにアパート前へ到着。
ふと隣を見ると、アカギが眠そうに小さく欠伸をしていた。
「あ、良かったらオレの家で寝て帰るか?」
すると、ゆっくりとアカギが振り返り、良いんですか?と小さな声で問い返してくる。
「勿論、嫌じゃなければだけどな」
笑いながら言うと、アカギは微笑を作って答える。
「むしろ嬉しいですよ、丁度眠かったので」
「そりゃお前、欠伸してるから聞いたんだよ」
そういって笑うと、アカギもクスクスと笑った。
「なら、遠慮なくお邪魔します」
「おぅ」
鍵を開けて部屋に入ると、アカギのために布団を敷いた。
彼が持っていた荷物は適当にそこら辺へ置かせて、眠りに付く。
酔いと自分以外の人が部屋にいる安心感で、すぐに眠る事が出来た。
それからはアカギとも連絡先を交換し、急速に仲良くなった。
そのお陰で、頻繁に家に泊まりに来てくれる。
気が付けばほぼ毎日アカギが家に居て、まるで同居しているかのような生活になっていた。
そしてなんと言うか、アカギとは…軽く体の関係と言えばいいか。
そんな深い関係になっていた。
それに加え、あの忌々しい荷物は、もう届いていない。
あのキチガイも、アカギとの生活を見て、興醒めしてくれたのだろう。
これで普通の生活に戻れる、良かった…その時は凄く有難かった、アカギの存在が。
そう…その時は。
「ただいまぁ〜…っ!」
佐原と呑んで帰ってきて、現在時刻は真夜中の3時頃。
しかし、アカギは口も開かず台所に立ったまま、ダンッダンッと大きな音を立てて食材を切り刻んでいた。
その姿に、一瞬で酔いが醒める。
「あ…の、ただいまアカギ…」
「………何処行ってたの」
強烈な打撃音の合間から聞こえてきた、問い掛けの言葉。
圧倒的なトーンの低さで、更に怖くなった。
「え、佐原と一緒に呑んで帰ってきただけ、なんだけど…」
「そう…ならもう絶対行くな、居酒屋ならオレが一緒に付き合ってあげるから、分かったか?」
そう言って振り返ったアカギの目が…淀んでいる。
更に口を開いたアカギは、誰かと出掛けるのは金輪際許さない、と続いた。
オレは困惑しながらも、アカギの怖さに負けて二言返事をしてしまう。
だが後から考えれば、そんな事を指示されるのはおかしな話。
例え体の関係だとしても、恋人じゃない。
行動の規制をされるまでの関係じゃないはずだ。
疑問に思いながらも、そのまま二人暮らしを続けていたが、ふとした切っ掛けでとんでもない事実を知る事になる。
あの要求を受けてからと言うもの、日を増すごとにアカギの要求がエスカレートし始めた。
他の奴の話をするな、自分以外とは話すな、一人で出掛けるな、携帯は解約しろ、最終的にはバイトを辞めろ、との指示まで寄越してくる。
流石のオレも痺れを切らして抗議した。
「お前いい加減にしろよ…っ!」
思い切り机を叩き付けながら言ったオレに対し、アカギは悪びれた様子も無く見つめ返してくる。
「オレは当然の要求をしてるだけ、それの何がいけない?」
「何が当然、なんだよっ!オレの人生度外視じゃねぇかっ!」
「なに言ってんの、むしろアンタを見ているからこそ言ってるんだよ」
「見てねぇだろ全然っ!」
「ちゃんと見てるよ、恋人なんだから当然だろ」
その言葉を聞いた瞬間、脳内回路がフリーズした。
こいつ…何を言ってる…?
「むしろ見てないのはアンタの方だろ…カイジさん、ちゃんとオレを見てよ」
お前はまず…現実を見ろ…。
「ずっと我慢してきたけど…そろそろ、ちゃんと意識して欲しい」
我慢とか何…意識って何を…?
「オレ達、恋人だろ?」
いや…それは単にお前の…。
「勝手な妄想で話を膨らませてんじゃねぇよっ!」
「…どうしてそんな事を言うんだ?」
「どうしても何も無いだろっ!」
告白に適されるようなワンシーンが一度でもあったら、オレだって納得する。
しかし、そんな事柄は思い当たらないし、存在もしていない。
体を重ねているとは言え、世間で言えばそれはセフレと言う概念だ。
行為の最中、オレは一言だって愛の言葉を口にした事はない。
それをどう受け取る?セフレ以外のなんでも無い。
「オレはこんなに愛してる…アンタも同じだと、ずっと信じていたのに」
「決め付けるな勝手にっ!」
「アンタはオレを、必要としてくれてるって思っていたのに」
「思い過ごしだそれはっ!」
すると、アカギは黙り込んで俯く。
微かにだが、机に置かれている腕が震えているように見えた。
しかし時期に彼の唇が動く。
「………うそ…」
「あ?…」
「…アンタは嘘を吐いてる」
「このタイミングで何処に嘘吐くメリットがあんだよっ!」
「恥ずかしいんだろ?カイジさん…分かるよ、確かに愛の言葉を口にするのは気恥ずかしいからね…でも自分の心に嘘を吐くのは良く無いよ」
つらつらと続いた言葉に、もうダメだこいつ、と何処か冷静に思う。
オレは立ち上がって、玄関を指差した。
「出てけ…」
「カイジさん…?」
「出てけっつってんだろ、聞こえねぇのかっ!」
困惑しながら立ち上がったアカギは、出て行くのかと思いきやオレの方へ歩み寄ってくる。
「分かったよ、愛の言葉は言ってくれなくてもいい…でも考えなよ、アンタはオレが居なきゃ生きていけないだろ?」
この期に及んでまだ言うか。
オレはアカギの荷物と腕を引っ掴み、玄関まで無理矢理連れて行く。
そして強く扉へ押し飛ばすと、荷物も乱暴に放った。
その時だ…激しい衝撃でバッグの中身が、玄関先にぶちまけられる。
足元にヒラリと舞い落ちた物を見て、オレは絶句した。
まさかと思い、恐る恐る手を伸ばして拾い上げる。
葉書ほどの小さな紙…今目にしている面は真っ白だが、裏をめくると。
―…貴方はオレだけのモノ…―
顔面蒼白で、他にも散らばっている紙を拾い上げては確認した。
―…大丈夫、オレはここにいるよ…―
―…貴方の精液が欲しい…―
―…早く、こっちを見て…―
―…愛しているから、壊したい…―
気付けば全身が小刻みに震えていた。
見てはいけない物を、見てしまった。
気付いてはいけない事に、気付いてしまった。
知らずにおくべき姿を、知ってしまった。
「あらら…バレちゃったな」
言いながら、アカギは微笑で静かに荷物を片付けている。
こんな状態でも悠長に散らばった物を片せる、コイツの神経を疑った。
そのまま片付いたバッグを持って出て行ってくれるなら、こちらとしてはもうそれで良い。
むしろ、それが良い。
しかし彼は事もあろうに、バッグを元の位置へと戻し始めた。
恐る恐る視線を上げると、アカギは大層な笑顔でこちらを見下ろしている。
「一応遠慮はしていたんだよ、アンタが今までオレのプレゼント全部…捨ててしまっていたみたいだから」
その時、思い返す。
―ニヤ付きながらこっちを見てた―
―レジを毎回オレが打ってる―
―男の荒い息遣いが聞こえる変な通話―
『そのプレゼントは、取って置いてあるんですか?』
何故、気付かなかったのか。
オレのあの説明で、プレゼントなんて言葉を使うのは、まず有り得ないんだ。
佐原のように、モノと言う表現の方が自然に出てくるもんだ。
「凄く胸が痛んだよ…アンタの喜ぶ顔が見たくて、必死で選んだものばかりだったのに」
今すぐこの場から逃げ去りたい。
「酷く悲しい思いをしたけど、でもそれがアンタの愛情表現なんだろうね」
だが、恐怖で体が硬直したまま。
「不器用なアンタの事も、オレは甘んじて受け入れるよ」
動く事も、許されない。
「だって…愛してるから」
オレは、どうなってしまうのだろう。
屈み込んでジッと目を合わせてくる。
アカギの狂気めいた笑顔が、滲んでいく。
殺される。
その考えが頭の中を廻って消えない。
「なぁ、カイジさん」
ビクリと体が大きく震える。
嫌な汗が噴き出して、衣類を濡らしていく。
「だからさ、許してよ」
誰が許すもんか。
せめてもの抵抗にと、目付きの悪さを利用して思いっ切り睨んでやった。
すると、笑顔を解いて悲しそうな顔を見せてくる。
「傍にいても良いだろ?アンタを心の底から永遠に愛し続けられるのは、オレだけなんだから」
「…気色悪ぃんだよっ、この勘違い野朗っ!」
心の底から思っている事を口に出してやった。
するとアカギは、小さく溜め息を吐き始める。
「そう…どんなアンタも好きでいたいけど、そう言う態度は…正直好きじゃないな」
「…っ!…ぐはっ…っ…」
スッと立ち上がったかと思うと、アカギは強烈な膝蹴りを抉りこんできた。
倒れこんだそのまま、オレは意識を失う。