※アカギ視点。
本当は、去ろうと思っていた。
でもそれは、一緒に居る事が辛かったと言う訳じゃない。
一緒に居続けても良いものかどうか、酷く不安になったからだった。
あの人は、いつも何も言わない。
酷く冷たいわけでもなければ、凄く暖かいわけでもない。
ただ、親切にしてくれているだけなのだろうと思う。
雨に打たれつつ、傘に跳ねる雨粒を見ながら考えていた。
どうして、こんなにも不安になるのか。
まだ何も始まってさえ、いないと言うのに…。
「おかしいな…一緒に居ても離れてみても、どのみち苦しい…」
彼の部屋から出る前に、決意を固めたはずだった。
それなのに、少し歩いて気が付いて立ち止まってみれば、あの日の公園に来ている。
無意識に期待しているらしい。
あの人が迎えに来てくれる事を…。
何もかも、消えてしまえばいいのに。
身も心も存在も、記憶さえも全て。
そうすれば…楽になれるのだろうに。
きっとこれは、あの人の所為だろうね。
あっさりと約束を破ってくれた、あの人の。
徐々に瞳が湿り始めた頃だった、アンタが来てくれたのは…。
「…また待ってんのかよ」
「っ…カイジさん…」
背後から声を掛けられ、振り返るとそこには彼が居た。
少し不機嫌そうな顔で、見詰められる。
お前には本当に振り回される、とでも言いたそうな顔だ。
ごめんな、そんなつもりは無いんだよ…。
「風邪ひきてぇっつーなら止めねぇし、居続けたいってんならそれも良しだ…」
申し訳なくて、ただ口を噤んでいると、彼が先に言葉を投げてきた。
アンタの言い方は一見すると、確かに冷たく見える。
だけど意思を尊重してくれている、って言うのが冷たいながらも伝わる。
凄く特徴的で、それが嫌いじゃないんだ。
本当は、去ろうと思っていた。
…だけど、もし迎えに来てくれたら戻ろうかな、とも思っていた。
「いや、満足した…それに御免だよ、そんな事」
最後に小さく、ありがとう…と言って、カイジさんの隣を掠める様に通り過ぎた。
「お腹、減ってんじゃない?…帰ってすぐに作るよ」
身を振り向かせるカイジさんに、オレは笑顔で振り返り、そう言った。
「ああ頼む、もう腹ペコだ」
腹を押さえながら、彼はゆっくりとオレの隣へ並ぶ。
クスリと笑うオレの声が合図のように、同時にゆっくりと歩き出した。
すると不意にカイジさんが、あっ…と声を出したかと思うと、徐にモゾモゾと動き出す。
「何してんの…?」
どうしたのかと目を向けると、事もあろうに彼は上着を脱ぎ始めた。
こんなに寒い夜空の元で、家に着いたわけでもないのに何をしているのか。
疑問いっぱいで尋ねてみれば、彼は黙ってろと言いながら完全に脱いでしまった。
「寒いんだから家に着くまで脱がない方が…っ」
続けようとしていた言葉が、途絶える。
カイジさんが脱いだ上着は、今オレの肩に掛けられた。
「お前見てると、こっちが余計寒くなるんだよ…」
彼が今の今まで羽織っていた上着の温かさは、きっと彼自身の心の温かさを表しているんだと思う。
そんな温もりに包まれて、オレはきっと今凄く柔らかい笑顔を作っている事だろう。
「…ありがとう、カイジさん」
「…ったく、ばーか…」
「そうだね…これからは、ちゃんと着込むようにする」
「そうしろ…」
「うん…」
苦しかった気持ちが、少しだけ和らぐのを感じる。
そして思う、まだ一緒に居たい…と。
その願いを叶えるかの様に、オレは晒されている彼の手を繋いだ。
彼の手は、とても冷たかった。
「なぁ、カイジさん…」
「んー?…」
「…分かった気がするよ」
「何を?…」
「カイジさんの手の、冷たさの意味」
「んなのお前、この寒さの所為だろ…」
「…それもまぁ、あるだろうね」
「…?」
手が冷たい人は、心が温かいと良く言ったもんだ。
人を気遣って、自分を犠牲にするからこそ、手が冷えてしまうんだろうな。
それがオレなりの解釈。
カイジさんの、良い所。
だからアンタの変わりに、オレが暖めてあげる。
冷えてしまった、アンタの優しい手を…。
ゆっくりと歩いてはいたが、もうすぐ家に着きそうだ。
気が付けば、雨は大分小粒になっていた。
まるでオレの心の不安を象徴しているかの様に…。
「アンタの好きな物を言って、それを作るから」
「えっ?…あぁ、そうだな…じゃぁ………ハンバーグが…いい…」
「ククッ…ハンバーグね、分かった」
「…お前今オレの事、ガキくせぇと思ったろ…?」
「思ってないよ、そんな事」
ぶすくれた顔で問い掛けられ、オレは笑いながら返す。
笑ったじゃねぇか…とボソッと言っている彼の隣で、オレはただ楽しくて笑みを浮かべたまま歩いていた。
この何でもない彼との時間が、凄く好きだ。
これを、普通と呼ぶのだと思うから。
「カイジさん、一緒に作ろう…ハンバーグ」
「えっ!?…まぁ、いいけど…」
「もしかして、分からない?…作り方」
「んなわけねぇだろ…っ!」
「なら平気だな」
「おぅ、お前の指示通りやるし大丈夫だろ…っ!」
「ククッ…」
それって知らないって事じゃない…とは言わないけど、その代わりまた少しだけ、握っている手を強めた。
きっと今晩作って食べるハンバーグは、この世のどんな料理よりも格別に美味しいだろうね。
だって…アンタと一緒に用意するんだから。