「ここがカイジさんの言う、取って置きの場所…?」
「ああ!」
鬱蒼と生い茂る森の奥地に放置された、古びた井戸に二人はいた。
15歳の伊藤カイジと、13歳の赤木しげるだ。
遙かな奈落を覗き込み、闇の奥に何があるのか二人は誰も居ないそこで静かに話しをしている。
「お前は何があると思う?」
「さぁ…死よりも深い何か、かな…」
「そっか…オレは」
カイジが話し出そうとした瞬間、背後から雑草を踏みしめる音が響いてきた。
ハッと二人は話すのを止め、振り返る。
しかし、物体は見当たらなかった。
二人は顔を見合わせて、もう一度不思議そうに雑木林の先へと視線を戻す。
「…気のせい、だったのか?」
「何かの動物じゃない?」
そう言って二人が井戸の方へと視線を戻そうとした時だった、先ほど目を向けていた雑木林の間から、突然何かが飛び出してきたのだ。
声を上げてビクリと震えたカイジと、その声に驚いてカイジにしがみ付いたしげる。
だがよく見てみると、飛び出してきたのはただのウサギだった。
ホッとした二人は、置かれている状況に続いて驚く。
ぴったりと密着した体に、一気に体温が上昇した。
パッと互いに少し距離を置いて、顔さえ合わせられずに居る。
それでも、片方がクスクスと笑い出せば、二人揃って声を上げて笑いあった。
それは二人にとって最初で最後の談笑となるとは…この時、誰もが知る由もない…―――。

―カイジさん…必ず迎えに来てよ―
―ああ、約束だ…―

「ただいま、父さん」
カイジはしげると別れを告げ、森の中にたたずむ一軒の小さな家に戻ってきた。
「おぉ、帰ったか…夕食は出来ておる、冷めぬ前に食うといい」
彼の父は盲目で、しかし不自由などまるで感じぬ生活を送っていた。
「ありがとう、父さん!いただきまーす!」
優しく微笑みながらカイジの食す様子を見守る父だが、その瞳の奥は…。
暫くカイジを見つめていた父だが、ふと思い出したようにある物を手にとって差し出した。
「カイジよ…ほれ、これをやろう」
「え?…」
カイジが目を向けると、父の手には白髪の白い肌に赤い目をした人形が抱かれていた。
「父さん、これ…」
「友達が欲しいと、言っていたろう?…ささやかではあるが、ワシからのプレゼントだ」
ありがとう!と嬉しそうに受け取ったカイジに、父は小さく笑いを零す。
その日から、カイジがその人形を肌身離すことは無く過ごしていた。
来る日も来る日も、楽しそうに人形を抱えて笑うカイジがいる。
彼の姿に父は、幸せを肌身に感じていた。
そんな…ある日のことだ。
カイジは父にお使いを頼まれ、森の奥にて教わった薬草を採っている所だった。
勿論、その傍らにはあの人形もきちんと持って来ている。
籠に詰め込んだ沢山の薬草を見て、カイジはコレくらいでいいだろうと踵を返した。
右手に薬草籠を、左手に人形を抱えて…。
「なぁ坊ちゃん、ちょっとええか?」
「…?」
しかし家に戻るその道中、掛けられた声に振り返った。
そこには二人の男が立っている。
「…なんですか?」
小首を傾げながらカイジが問いかけると、男二人はニコリと笑って答える。
「ワイら、ちょっと道に迷ってもうてな?」
「教えてくれないかなぁ〜?」
関西弁の男と小太りメガネの男は、またニコリと笑った。
心根の優しいカイジは、困っていると理解し二人を先導すると返答する。
だが…それが全ての誤りだということを、後に知る事となった。
「父さん、ただいま!」
「お帰り…っ、誰だっ?」
盲目の父だが耳は良く、カイジ以外の足音が聞こえることで、そう察したのだ。
カイジが説明しようと口を開こうとしたとき、雷光が走る。
先ほどまであんなに天気が良かったと言うのに、だ。
森の天気は気紛れだと言うが、こうも気分を害すのは何か悪いことが起こる兆候かもしれなかった。
カイジがそんな思考を一瞬巡らせた隙に、二人の男はカイジの首筋に拳を叩き込んだ。
「…っ!」
その音を耳にした父は、相手の二人を危険な人物だと認識したようだ。
身近にあったナイフを手に取り、追い払おうと目論んだが、盲目が害をなした。
難なく腹を抉られ、その場に横たわった父の姿を、カイジは朦朧とした意識の中で見つめる。
「…父さ、ん………」
頭上からは鼻で笑う男二人が居た。
次の瞬間には、ふわりと体が中を舞う感覚に覆われる。
視界が霞み、森を漂っている。
そして、ある物が目に映ったとき意識は覚醒した。
しかし時すでに遅く、再びふわりと宙を舞う体を止めることは出来ない。
「あああああぁぁぁぁあぁぁぁぁ…っ!」
その身は闇に溺れ、光は朽ち果ててゆく。
目に映る光景は、丸く模られた夜の空。
それは段々と小さくなって、完全に見えなくなった。

その頃、城下町では大変な混乱を招いていた。
森の奥に住む魔法使いを葬れと、この世に害をなす魔法使いを抹殺しろと住民たちが騒ぎ立てている。
しかし彼らはそれが勘違いだとは思っておらず、己の考えが正しいのだと主張していた。
発端はただの噂話。
だが、月日を追う毎に大きく膨れ上がり、有ることも無いことも全てが含まれた物となってしまったのだ。
「…だが手を出さず居れば、害はなかろうが!」
そう言って声を荒げたのは、しげるの父だった。
食事の席でのことだ、秘書の報告に対しての父の返答がこれである。
「しかし、住民たちを静めるためにはそれ以外に方法が…」
「愚か者めが、無駄な労力を裂く必要など無い…噂話など時間が経てば消えるだろう!」
「はぁ…」
「吉岡、忘れたわけでは無かろう」
無言で食事を取りつつ会話を聞いていたしげるだが、途端にその手を止めてご馳走様と呟いた。
「しげる様、もうよろしいのですか?」
「うん…部屋に戻る」
そう言って、大広間から出て行った。
宛がわれた豪華な自室に戻ってきたしげるは、大きな窓から外を眺める。
なかなか外に出る許しが降りぬ苦痛を、彼の笑顔を思い出して宥めていた。
窓に映る景色の端にある、深い森。
あそこには今でも、愛している彼が居て、会いに行くのを待ってくれているのだろうか。
しげるは今宵もまた、ただ想いに耽る夜が来るものだと思っていた。
だがしかし…その期待は完全に打ち砕かれ、絶望だけが残る結果となる。
夜も更けた星のきらめくその時、住民たちが一声に騒ぎ立て始めたのだ。
その声に目を覚ましたしげるは、何事かと窓の外から見下ろす。
「………っ!」
騒ぎ立てる住民たち、その真ん中に立てられた十字架と、貼り付けられた魔法使いの姿があった。
次の瞬間には…その身が炎に包まれる。
しげるは言葉を失った。
身を焼かれ、言葉を殺がれる魔法使いは紛れも無く…カイジの父であったからだ。
「…カイジ、さん…」
急いで部屋から出、しげるは監視を掻い潜って城から脱走。
息を切らせ、ひたすら走った。
森の中にたたずむ、一軒の家へと。
「カイジさんっ?…」
扉を開けて中へ駆け込んだが、そこには彼の姿は見当たらなかった。
床には薬草が散らばり、籠が転がっている。
「どこ…どこなの、カイジさん…っ!」
森の中を駆け回り、必死でカイジを探すしげるの姿だけが月に照らされていた。
だが見付からない。
息を切らして、必死で探しても、彼を見付ける事は出来なかった。
動かしつかれた脚は、自然とあの場所へ向かっている。
悲しみに淀んだ瞳を擦り、しげるは顔を上げた。
あの日カイジと訪れた、思い出の井戸だ。
井戸の淵に手を付いて、あの日のように中を覗き込む。
「どこに居るの…カイジさん」
すると深い水面にふわりと自分の顔が月明かりで浮かび上がってきた。
しかしよく見ると、それは自分の顔ではない。
自分とよく似た、人形。
まさかと思ったしげるは、急いで城に戻り父や秘書を叩き起こして、事の全てを話した。
そして井戸に赴き、底の調査をしてもらう。
混沌の暗闇から引き上げられたそれは…。
「…そんな…」
二目と見られぬ無残な姿と化した、彼だった。
涙を流すことも忘れ、黙したまま埋葬されるその様子を見守る。

―初めて出来た友達は…とても綺麗な子だった…。
―名も知らぬ感情を最後まで、知ることも無く…。
―二人で交わした小さな約束も、最後まで守られることは無く…。

月日が経つのは、なんと早いものか。
アレからもう、6年の歳月が過ぎていた。
どうやっても拭い切れない悲しみは、嫁ぐ来さえ起こさせない。
カイジを失ったしげるは、誰とも関わりを持とうとはしなくなった。
父の死後、兄の幸雄が父親代わりとなり、幾多の婚礼話を持ってくる。
だがどの話も、しげるが首を縦に振ることは無かった。
胸の痛みに耐えながらも、しげるは生き続けている。
そして…。
「お父様がお待ちです…どうぞこちらへ、しげる様」
吉岡の促しで大きな扉を開いて入れば、幸雄が椅子に腰掛けてこちらを見ていた。
「しげる…もういい加減にしろ、そろそろ身納め時だ…今回の婚礼は」
「しつこいな、誰の元にも行かないと言ってるだろ…」
幸雄はため息を吐いて立ち上がると、小さく執事へ一言命令を下す。
「…この馬鹿息子を磔にしろ」
執事や周りの者も、その言葉に動揺しているようだが王の命令とあっては、逆らうことは出来なかった。
しげるの中で愛せるのは、今でもたった一人なのだから…。
横を掠めるように通り過ぎていく幸雄を目で追うことも無く、しげるは佇んだまま動かなかった。
拘束されたまま連れて行かれたのは、街の中心に位置する広場。
そこに十字を立てられ、手足を打ち付けられた。
寂しげな瞳は、何を見ているのか。

―…なるほどな、それでお前は磔にされたわけか…―

頭の中に声が響いてくる。
これは、誰なのだろうか…。
答えを求めるように、瞼を閉じた。
そこには…。

―…一途ってのも悪くないけど、果たしてお前が死ぬことで、それを…お前の想い人は、本当に望んでるのか?…―

違うよ…。
オレが望んでいるのは、そんな事じゃない。
もっと、簡単なことだよ…。

―…まぁいいか、じゃあ、復讐劇を始めようぜ…―

「オレはそんな事、望んでないよ…」
その瞬間、瞼の裏の彼が口を噤んだ。
驚いたようにこちらを見つめてくる。
とてもとても、懐かしい。
「アンタが逢いに来てくれただけで、それで十分だよ…」
遙か昔に交わした、小さな二人だけの約束。
「なぁ、憶えてないのか…?」
二人の足元に、懐かしいあの日の情景が浮かび上がる。
鬱蒼と茂る雑木林の中、古井戸の前で笑い合い、別れ際に交わした…小さな約束。

『…カイジさん、どうしたの?
そんな奴の言葉を聴く必要なんか無いよ
オレ達はずっと一緒に復讐を続けるんでしょ?
この世の恨み辛みを全部、手助けするんでしょ?
やだよ、オレはアンタとこの先もずっと…
ずっと一緒にいるんだ
そして、復讐を続けるんだから
…別れるなんてユルサナイヨ
やめてよ…なんでなの?やだ…やだよっ…』

小さな小さな人形≠ヘ弾け飛んだ。
彼の手にはもう、何も残っていない。
しげるを見つめたまま、立ち尽くしているカイジを、しげるもまた見つめ返した。
そして、ゆっくりと小さくしげるは口を開く。

―…カイジさん…そんなになってまで、約束を守ってくれたんだな…―
でもな、分かってるんだ。
アンタと一緒に居られるのはきっと、これが最後だと…。

―…ありがとう、カイジさん………

沢山の罪だけが、カイジの手に残っていた。
タイトルの記されていない本は、最後に赤く染まる。
償う時間さえも、残されていない。
もう、しげるの声は聞こえてこない。
スルリと手から抜け落ちた本は、黒い地にページを乱雑に開きながら転がった。
最終ページに刻まれた、悲しき物語の結末。

七つ目の、哀れなエンディングは………

BLOOD END





†―――――――――†

※この小説はサウンドホライズンの『イドへ至る森へ至るイド』の三曲をイメージ&参照させて頂きました。
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