不思議な人だと思った。

名前を聞いたら忘れられない外国煙草。
その青臭い匂いを消すように身に付けていたエゴイスト。


死神でエゴイストなんて悪趣味じゃない?ーーそう言う僕に彼は「陳腐な感じが俺らしくて良いんじゃないの」と笑いながら肩を窄める。

立花章。
僕の愛するエゴイストな死神。



□□第二章□□



一年後。

「何だか最近機嫌良いよね、茉央」

春休みを終えて五日ほど経過した校舎の隅に有る生徒会室。丁度、前年度の書類整理を終えて一息付いた所で、初等科からの幼馴染みである高月薔子が訪ねて来た。

すると桜の木を見下ろすに置かれた椅子に腰掛けながら、とりとめもなく携帯電話を眺めていた僕を見咎めたのか(本当にこんなことは長い付き合いの間柄じゃなければ許されないことだけれど)薔子は、僕の手から携帯電話を強引に引き抜き、液晶画面に表示されているメールの送り主の名前に目を見開いた。

「周防鷹彦?何で?!」

親友の絶叫が、のどかな春の午後に木霊する。

周防鷹彦と言うのはこの学校に程近い男子校の生徒会長の名前だ。華のある容姿から、近隣の学校の生徒ならばその名を知らぬ者はいないと言う超有名人。我が校にも根強いファンはいるようで、有志で結成した鷹彦様親衛隊まであるそうだから侮れない。けれども皆を魅了してしまう明るい太陽のような雰囲気を見てしまえば最後、騒がれるのも納得のような気がした。
そんな彼と出会ったのは去年の初秋。お互いの学校の学園祭に合わせて何か合同の催し物をしないかと言う申し出を受けた副会長と僕が、彼の通う高校に出向いた時のことーー僕はそれまで周防君と言う存在に特別な関心があった訳では無いけれど、実際に打ち合わせから本番までの数週間を共にして来て彼の魅力が単なる「見かけ倒し」だけではないことに気付かされた。

「それで何で周防様と茉央がメル友なのよ」

彼から滲み出る人柄の良さとカリスマ性。少年のように可愛らしい部分は残してあるけれど、生徒会長の名に恥じぬ凛とした眼差しにいつしか惹かれている自分に気付いた。とは言え想いを告げるつもりは最初からないけれど。

「返してよ、薔子」
「周防様なんて贅沢すぎるぞ?」

それに一年前の春の雨の日の事件以来、僕は自然と他人と深く関わるのを避けていたから今のように時折メールのやり取りが出来ればそれで構わない。人の命を奪うような真似をしておいて、未来に夢を見られるほど楽観的な性格ではないのだ。僕は座っていた椅子から身を乗り出して自分と同じほどの身長の薔子に飛び付くと彼女の手から携帯電話を奪還する。

「そんなことより、何か用事があるんじゃないの?」

この部屋は校舎の最上階の一番奥まった場所にあるので、生徒会に用事がない者が滅多に足を運ぶ所ではない。僕が根本的な疑問を思い出し口にすると、薔子は悪ふざけを企んだ子供のように口角を上げ「実は私のクラスに転入生が来たんだけどね」とあごに人差し指を添えながら本題らしきものを切り出した。

「転入生?」

詳しい事情は知らないが、この学園は途中からの編入が難しいと言う話を聞いたことがある。つまり今回の転入生は偏差値もそこそこ高い秀才と言うべきか。

「で、先生に転入生君の学校案内を頼まれたんだけどさ、悔しいことにモテそうな雰囲気なのよ。不本意だけどここは恋愛とは程遠い僧のような生活を送る誰かさんにモテる秘訣を盗んでもらおうと思いまして!」
「…誰が僧だ」

正直乗り気はしない。けれど軽そうに見えて実は昔気質で義理人情を大切にする薔子が、わざわざ親友に振ると言うことは特に問題のある生徒ではなさそうで。

「…仕方ないなあ」

渋々僕が頷くと薔子は隠し持っていた携帯をサッと取り出す。

「え?」
「善は急げよね?教室にまだいると思うから呼んでみる」
「え?そんな唐突に…!」
「平気平気!明らかに恋人ポジ狙いのナヨナヨ〜っとした連中に囲まれて質問攻めに合ってたから呼び出してあげれば喜ぶわ」
「え?え?ナヨナヨ?」

いつの間にか相手の電話番号を聞き出していたらしい彼女は、僕の制止を振り切りアドレス帳から相手の番号を選択すると、素早く通話ボタンを押してしまう。数コール目で相手が電話に出たらしい。薔子は簡潔に生徒会室の場所を説明すると「美貌の私もビックリな生徒会の役員が案内するから。男だけど」と勝手に大風呂敷らしきものを拡げて部屋を出て行こうとする。

また新しい彼氏とデートかと嫌味を言おうとした時には既に姿を消していた。

まるで集中豪雨のようだ。

僕は大切な幼馴染みの快活な明るさに呆れつつ静かに窓辺の椅子に腰を下ろす。開け放した窓から滑り込んで来た桜の花びらを見つめながら、柔らかな春の空気を感じる。若者は平穏な日々は刺激がないと嘆くけれど、平凡と言うものがどれほど幸福でかけがえのないものかを知らないから言えるのだ。

「…綺麗」

だけどそう。
こんな風景を見ていると、あれは夢だったような気もしてくるけれど。

その時。

「失礼します」

以前確かに聞いた事のある声に心臓がドクリと脈打つ。

「…そんな」

颯爽と扉を開けて部屋に足を踏み入れて来た人物。反射的に振り向いた視線の先に立っていたのはあの日に出会った虎ーー僕の優しい死神に他ならなかったから。

呼吸が止まる。

春の雨の日。生徒会長に一緒に帰らないかと誘われた僕は、その申し出を受け入れたが為に促されるまま連れて行かれた高架下で襲われた。そして半狂乱になりながら相手を突き飛ばした結果、バランスを崩した先輩は運悪く命を落とした。その時に助けてくれたのが彼。もちろん僕は、未だに事件を隠蔽し、逃亡することが正しい選択だったかとは思わないのだけれど。

けれど、僕の犯した罪の共犯者の死神は。

「久し振り」

まるで現実から目を背けることは許さないと言うように、しかしこの上もなく慈愛に満ちた笑みを湛えて、今僕の目の前に悠然とした仕草で恭しく頭を下げる。

着ているのは紛れもないこの学校の制服だ。
もし薔子の言う転入生が彼のことだとしたら。

余りの衝撃に言葉もでない僕をよそに、彼は扉を閉めてこちらに歩み寄ると僕の足元に騎士の様に跪く。視覚だけでは信じられない光景に震える指先を伸ばして滑らかな頬に触れると、香水で誤魔化していても僕には分かるわ。だっていくら隠していても彼からは独特な煙草の香りがするんだから。

「何?積極的だね」

彼は気持ち良さそうに目を細めると、僕の態度に苦笑をしながら首を傾げる。容姿が整っているので冷たそうな印象を受けるけど、屈託なく笑う顔は何だか可愛い。忘れもしないその声も髪も。僕は思わず至近距離まで顔を近付けて彼の夜の闇のような色をした瞳を見つめ、重なり合う視線に吸い込まれるように目を閉じて身を乗り出すと彼の唇に自分の唇を重ねていた。

背徳のキス。

校庭から聞こえる運動部員の掛け声も、音楽室から流れて来るブラスバンド部の演奏も遠くなり、体が痺れて行くよう感覚に、これがようやくリアルであることを認めた僕はまるで一年間の空白を埋め合うように青年の首に腕を回して繰返し与えられるキスの雨に身を委ねた。

立花章。
神奈川の旧家の出身で政治家の息子。

独身の叔父が仕事の都合で海外に行くことになり、高校三年の一年間この高校から程近い自宅マンションの管理を任されて東京に来たそうだ。この学校を選んだのは自宅から近いから。全ては偶然だけど運命。比較的年齢の近い叔父とは仲が良く、東京には頻繁に遊びに来ていたらしいーー僕と高架下で会ったのも、偶然学校の創立記念日で遊びに来ていた日と言うのだから運命とは分からないものだ。

「で。いつまでそうしてるつもり?」
「…あ、ごめん」

一体どれ程そうしていたのだろう。
僕はふとその心地良い声に目を開く。

どうやら僕は立花の首に抱き付いて、微かにウツラウツラとしていたらしい。既に日は暮れ始め、開け放した窓からはひんやりとした春の夜の生温い空気が忍び込んでいて。僕は急いで彼から体を離すと自分の大胆な行為に頬を染めながらパイプ椅子の上で不格好に慌てる。

「あれ?もうしてくれないの?」

立花は僕を上目遣いで見つめると、唇の端を歪めて笑う。

「してくれないって何を?」
「キス」
「あ、あれは勢いみたいなもので!」

だってあの時の僕には貴方が自分の半身の様に思えたからーー何て恥ずかしいことは口が避けても言える訳がない。拗ねるように唇を尖らせ冗談混じりに睨み付けると「全然怖くない」と言いたげに噴き出して、彼は僕の鼻を冗談任せにつまんで見せる。


彼は僕の共犯者。
高校三年生の春。僕は立花章と再会した。


しかし愚かな僕はその時もまだ信じていたのだ。
何の見返りをも求めずに自己犠牲を払ってくれるヒーローが世界のどこかにはいると言うことを。









そして忘れていたのだ。
彼の煙草の銘柄を。



第二章完
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