高倉青
二月二十九日をご存知であろうか。
四年に一度くるという世にも奇妙な暦のことである。わたしはその仕組みをよくしらないのだが古代の文明ではエジプト人とやらも知っていたらしい。人間はよくそんなことも知っているなと思う。
「で、なにが言いたいわけ」
部屋の中だというのに学ランを着込み、脚を組んでベッドに座る不二くんは、まるで軍服でも着ているようである。
彼のトレードマークとも言える笑顔だというのに、エグい。エグすぎる。笑顔が軽くマシンガンレベルの攻撃力を併せ持っているというか、要は、おっそろしい。
菩薩が突然手のひら返して般若を向けてきたような感じだ。
わたしはそんなドの付くエスな不二くんに歯向かえる程、頭もよくないし肝っ玉も強くないのでとりあえずフローリングに正座をする。そうして、偉そうな不二くんを見上げてみる。
ヤベエ痛え脚が痛えというか不二くんの視線も痛えしとどのつまりなにもかもが、痛い。
部屋の空気はゴロゴロと淀んでおりピリリと肌を刺す。
「……いや〜、その〜、今日誕生日なんですね〜。めっずらしいなア、ウホホホホ」
「それで」
「いやあのエヘヘヘヘヘ」
「笑ってごまかさないでくれる?かわいくもないしむしろ気味が悪いんだから」
笑顔で罵りのブーメランをわたしに投げつける不二くんが、先ほどから鬼としか思えない。いや、まあ、わたしが悪いんだけどさ!素直に謝っときゃいい話なんだけどさ!
「ふ、不二くんの、お、お誕生日が、.……今日だと思わなかったんですすんませんでした!」
頭を一気に床に当てる。もうなんだかいっそ開き直っちまったほうがいいんじゃねえか、脳に張り詰めた理性の線がブツリ、と途切た。土下座だ。土下座に行き着くまでの判断は、情けないことに光のごとく速かった。
なんというか、不二くんの前ではひれ伏すことくらいしかわたしには出来ないのだ。
「本当だよね。まあ君が祝ってくれるだなんて甚だ信じられなかったけど、ボクの誕生日を憶えておくのは当然じゃないの」
不二くんの温厚な声は反比例するように自己中心的な言葉を連ねた。誕生日とは一日だけ自分が世界の中心になったと勘違いできる日だと思う。
ただ、不二くんは違う。
彼の場合、いつだって自分が世界の中心なのである。
「……すんません。……ほんっとにすんません」
理不尽だ、とか横暴だ、と反論することさえおこがましくわたしは謝る。わたしが反論したところで不二くんのことだから極めて無理矢理な手段で言いくるめるに決まっているのだ。だったら下手に反論するよりか先に下手に出る方が精神的ダメージは少ない。
「……絶対に謝れば大丈夫だと思ってるね」
口の端が思わず引きつる。図に星と書いて、図星。な、ななな、何故分かった……!
思わず頭を下げているというのに目線をそらすと、グワシ!と前髪を掴まれる。
イテテテテテ!ぬける!ぬけちまう!髪の毛!
強烈な痛さだ。不二くんは男子にしては華奢な体をしているというのに力が無駄に強い。
「今日は四年に一度なんだよ」
ぽつり、と痛みの合間に囁かれた言葉が死刑宣告のようにしか思えない。
───ようは「四年に一度なんだから盛大に祝えよこの下僕が」っていうことではないか……!
しっかし四年に一度?四年に一度っつーことはつまり……。
「不二くんってまだ三歳……?」
「キミはなんでどうでもいいことばっかり考えつくのかな。一体この脳みそに何を詰め込んだの?ジャム?味噌?それとも置いてけぼりにでもしたのかい?」
「え、ええと……、食べちゃいまして」
「ふざけんな」
メキョッ、人間の体から鳴らないはずの擬音。不二くんが頭をはたいたのである。ボコられた脳のどこかがノックダウン。あ、五七五じゃねこれ?
「なんかムカつくからこれ食べてよ」
一瞬、不二くんが何か白い物体を持ったと思えば、それは甲子園の豪速球のように顔にストレートで迫る。わたしはキャッチャーのミトンのごとく顔面で受け止めるしかなく、食べ物なのかもよくわからないものを食べさせられる。
それは無性に味が薄く美味しくない、というか粉っぽいので、喉に入り込むよくわからない食べ物にわたしは咳き込んだ。
「うえ……!げっふぇ、ごっふぉ!ちょなんすかこれエ!」
「ケーキ」
「うっわア斬新だなあ自分が食うんじゃなくて他人の顔面にぶつけたよこの人さっすが天才イ!」
粉まみれの顔で叫ぶわたしはそうとうの間抜けであろう。目に入り込むクリームは痛いわ視界を塞ぐわで色々と煩わしい。不二くんの顔がよく見えないが、おそらく不二くんのことだから粉まみれで慌てふためく白いわたしを馬鹿にしているのだろう。まるでモルモットだ。
実験に怯える哀れなモルモットのごとくきょどるわたしに、 不二くんは小声で何かを囁き、吐息を近づける。その時ようやくわたしは不二くんの麗しいお顔が近くにあることに気がついた。
え、なにこれ超至近距離っつーかゼロ距離なんですけど。
そう思った瞬間時すでに遅し、意味のわからないことに、不二くんの唇が、粉まみれのベットベトなわたしのそれに重なっていたのである。
「うわあ、やっぱり美味しくないや」
不二くんは苦々しそうな顔をして顔を離す。それから微笑んでとびっきりの爆弾をわたしに仕掛けていった。
「他人じゃなくて今から恋人だから」
え、なにこれなんの罰ゲーム?
すぐ目の前にある不二くんのお顔には、憎たらしいことに毛穴なんて見当たらず、わたしは落胆して腰を落とす。
これほどまでに女として、むしろ人間としてとして終わっているなあと思ったことはきっと生涯で二度とこないであろう。
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