窓の外では蝉のワンマンライブが連日開催されている昼下がり。

快適な温度に保たれた室内で、私はシャーペン片手に頭を抱えていた。

対峙するのは『夏休みの課題』なるもので、戦闘は劣勢を強いられている。

「分からなくなったら聞け。」と頼もしい一言をドローした強力な助っ人は、向かい側で『受験勉強』というボス戦に挑戦中だ。

誰かがいないと課題が進まないからと、家に押し掛けたのは何時間前だっただろうか。

呆れた顔をしながらも家に入れてくれることを見越し、ちゃっかりと最近お気に入りのお菓子まで持参してきた。

「拒否したときのことを考えてないだろ、お前。」と言われたが、まったくその通りである。

しかし、当たり前のように自室に上げ、あまつさえ冷たい飲み物まで用意してくれるのだから、どっちのせいだという話だ。


「4ページ前の問10見直せ。」


唐突に正面から投げられた言葉に私は顔を上げた。

目線の先には肘をつき、シャーペンを綺麗に回すランバダさん。吸い込まれそうな黒のガラス玉はまっすぐこちらを見つめている。


「分からなくなったら聞けって言っただろ。」


少し持ち上がった口角に、私の心臓が音を立てた。


「…まだ言ってないじゃないですか。」

「お前が手を止めてる間に俺は1ページ進んだんだ。考えるの止めてただろ。」

「ご名答です。」


素直にページを巻き戻し、言われた問題を指でなぞる。なるほど、この式を使えばいいのか。


「言っとくが、聞けば俺の勉強の邪魔になると思ってるんなら間違ってるぞ。学校の課題なんて雑魚キャラだ。ワンパンで倒せる。」

「さ、さすがです。」


私とは頭の出来が違うということだ。

私の課題1つ分とランバダさんの参考書1分野が同タイミングで試合終了となった為、休憩をはさむことになった。

持参した菓子袋をパーティー開けしている間に、新しい飲み物が用意される。用意がよろしいようで。

また向かい合って座り、2人そろって袋の中身をつまみ出し、口にした。


「お、意外といけるな。」

「ランバダさんも好きそうだと思って持ってきたんです。」

「よく分かってるな。」


付き合い長いですから。とは思っていても口には出せなかった。


この調子でいけばもう1つの課題も今日中になんとかなりそうだ。

部活の絵も、つい一昨日ランバダさんが一緒に持ち帰ってくれたおかげで順調に進んでいる。

昔から提出物や宿題を最終日までため込み、いくつかはその存在すらも忘れてしまっていた私を見かねて、長期休みになるとランバダさんが一緒にやろうと声をかけてくれた。

それに味を占めた私は、以降自主的にランバダさんを巻き込んで宿題を終わらせている。


…来年からはどうしようか。


来年、彼はここに居ないだろう。

志望校について尋ねたことはないが、この地域から通学できる距離に彼の学力に見合う大学は存在しない。

こうやって隣に居られるのも、あと1年。

そう思うと、言いようのない寂しさが込み上げてきて、口から溢れそうになった。

慌てて水分をとる。無理やり押し込められた寂しさは、文句を言いながらも喉の奥へと吸い込まれていった。


「そういえば、」


上から蓋をするように、話題を重ねる。


「スズが、今日は破天荒さんと初めて一緒に出掛けるって言っていましたよ。」

「あいつが?」

「はい。何でもおいしい定食屋さんを教えてくれるみたいです。」

「それって、隣町の郵便局の裏か?」

「そうです!ランバダさんも知っていたなんて、よっぽど有名なんですね。」


そう言えば、途端にランバダさんは笑い出した。それも彼比較でかなりツボに近い方。

私は驚いて瞬きを繰り返す。私は彼のツボを射止めるようなことを言っただろうか。


「いや、その店な。もとは俺があいつに教えたんだよ。」

「えぇ!?そうだったんですか!」

「俺が見つけた。って顔で「連れてってやる。」なんて言ってるあいつの顔が目に浮かぶ。」


それは確かに想像できるし、なんなら「連れてってやる。」と言われたと当人から聞いている。昨晩の情報で、非常にフレッシュな内容なので間違いない。


「まぁ、彼女の前では恰好つけたいんだろ。あいつ。」

「破天荒さんがですか?あんなに女の人からもてはやされているのに。」

「彼女相手には、あんまり余裕ないみたいだからな。」


そういう話も、男同士でしたりするのだろうか。単純に聞いてみたい気もする。


「だから、今回は内緒にしておいてやろう。」

「…しておいてやりましょう。」


2人で顔を見合わせて笑う。みんなには言えない惚気話が出来てしまった。

新しいお菓子を口に含んだとき、「そういえば、」と窓の外を見ながら、珍しくランバダさんから話を振ってくる。


「お前は好きな奴とかいないのか?」


さっきより、かみ砕いた菓子の音が大きく聞こえた。

咀嚼を続けることは叶わず、目の前の男性を凝視する。

今、なんと?


「…なんだよその反応。」


妙な反応と空白に気付いた彼が、外の緑から私へと視線を移す。

その表情は怒りではなく、単なる興味と少しの照れ隠し。

それが目に入り、何かを悟った気がした。


あぁ、たぶん私は『女性』という土俵に立てていない。


個人的に、意図して避けてきた話題だった。

他の友達とは楽しんできた恋愛話も、ランバダさんとはしないようにしてきた。

だって、私は彼が好きなのだから。

自分の好きな人を前にして他人の色恋沙汰なんて、何を食べれば平然と口にできるのか分からない。

でもスズの一件があって、勇気を出して少しだけ踏み込んでみた。

当事者両人を知る人はごく少なく、話題を共有できる仲間が欲しかったというのが1つ。

そして、残り1年というリミットに知らず知らず焦っていたというのも1つ。

彼への想いを自覚してから、どうなりたいのかずっと考えながら歩いてきた。

彼の望む私は今の私ではないかもしれない。その上で、私はどうしたいのか。

具体的なゴールを決めないまま、とにかく彼を困らせないよう、自分なりに配慮して進んできたつもりだ。

恋話題を避け、後ろに引っ付きまわるのも止め、敬語だって板についてきた。

それでもなお、世話のやける妹を抜け出せていないのが現実だと言うのなら。


少しくらい、困ればいいのに。


「いますよ。」


口をついて出た言葉は、もう取り消せない。

ランバダさんの眉が微かに動いたことだけを確認し、私は彼から顔を背けた。

彼が咀嚼を止めたことで、部屋から音が消える。

うるさいと嘆いていた蝉の大合唱も、今だけは耳に入ってこなかった。

訪れた静寂に、口にした内容の恐ろしさを遅れて実感する。


「で、でも…。」


気まずくて、慌てて取り繕おうと言葉を探した。


「私は対象に見られていないので…。」


人間とは素直なものだ。繕うどころか、ぐるぐると考えていたことがそのまま口からこぼれ出た。

ついさっき自覚した現実を言葉として消化したことで、より一層虚しさが胸を絞め、先が続かない。


「…なんでそんなこと分かるんだよ。」

「分かりますよ、それくらい。」

「答えになってない。」

「感情論なんです。理由なんて説明できません。」

「屁理屈だろ。」


何でそんなに突っかかってくるのだ。もうそれでいいじゃないか。

これ以上、膿んだ傷口を抉らないで。


「私なんかじゃ無理だって話ですよ。」


いつもみたいにヘラヘラしながら答えた。流してくれればそれでいい。


だけど、明晰な彼の考えを私なんかが読み取れるわけがなかった。


小さな衝撃と、揺らいだ視界。

何が起きたのか分からぬまま、気付けば私は、固いフローリングを背負っていた。


誰か、今の過程を見ていた人は説明をしてほしい。

そう思っても、答えてくれるのは窓の外で私の知らない言葉で愛を叫ぶ昆虫だけだ。


時間の止まった空間で、

目の前には、深い髪で顔を覆ったランバダさんがいっぱいに広がっていた。


所詮、押し倒されたということだろう。いや、なんで?

いや、この際なぜかはもう置いておこう。

普通なら喜ぶべき状況だ。だって私は彼のことが好きなのだから。

だけど、手放しで喜べない。

彼の纏う雰囲気が、その反応は相応しくないと言っているから。


「ら…ランバダ…さん…?」


何か言わなければ状況は変わらない気がして、喉を鳴らす。

掠れた声には、少し怯えが混じってしまった。

その瞬間、微かに動いたことにより髪の切れ目から彼の瞳が見え、私は確信する。


彼は、とてつもなく怒っていた。


ここ数年どころか、私には向けたことがない程大きな感情。

今度こそ本当に言葉を詰まらせてしまった。


どれくらい時間が経っただろう。もしかすると、数秒も経っていないのかもしれない。

呼吸の仕方すら忘れたころに、枝垂れかかっていた髪は、何も言い残さず離れていった。

視界に白い天井が映り、心臓が大きく音を立て始める。

本当に息の止まる出来事だった。


「お前、今日は帰れ。」


落ち着く間もなく落とされた言葉に、私は体を起こす。

もう、目は合わなかった。


「お前といると、辛気臭くて勉強が進まない。」


その一言一言が鋭い刃となって胸に刺さる。

貴方のせいだ。と言えたならばどれほど楽だっただろう。

事実、私は楽な生き方をできない性分だった。


「ランバダさ…」


「いいから、帰れ!!」


その怒鳴り声に、私は思わず荷物を抱えて部屋を飛び出した。

別れの挨拶もせず、蹴り破るような勢いで玄関戸から転がり出る。

そして足の感覚もまともにないまま、自分の家へ飛び込んだ。

鍵をかけ、扉を背にしてズルズルと座り込む。足元には引っ掴んできた自らの課題と筆記用具が無残にも散らばっていた。


『辛気臭い。』


きっと、私が「無理」というネガティブな言葉を度重ね口にしたからだろう。

自分の将来に向けて前を目指している人からすれば、頭にくる言葉だったかもしれない。

でも、あんなに怒らなくてもいいじゃないか。ランバダさんだって悪い。

頭では彼に対する恨みつらみを並べるものの、結論は至ってシンプルだ。

私は…。


「ランバダさんに嫌われちゃったのかな。」


手の甲に涙が落ちた。



緑の若葉は時を止める

(困らせたいなんて、欲張らなければよかった。)




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