久々に感じる異様な雰囲気に本能で体が震える。
音を立てそうな歯を必死に噛み殺して、鉄の扉に力を込めた。
「スズか。任務は終わったか?」
部屋の奥に見える派手な紅髪と相手をにらみ殺しそうな鋭い眼。
彼女の主、ツルリーナ3世は足を組み、禍々しい椅子にその腰を据えていた。
やけに分泌量の多い唾液を飲み込んで、彼の前へ歩を進め片膝をつく。
項垂れた顔に彼女の美しい金髪がひと房零れ落ちた。
吸い込んだ冷たい息に、、喉の奥が軋む。
「…申し訳ありません。」
目にするのも恐ろしく、主の足元を見つめて拳を握りしめた。
そう。
彼女は、男を殺せなかった。
冷たさが手に馴染む愛用の拳銃を標的に向ける。
トリガーに指をかけ、その人差し指にあと少しの力があれば息の根を絶てるという状況。
彼が部屋に来る前に使い鳥を放った。
今夜、作戦を決行するという旨を文に乗せる。
決して文字から怯えは悟られぬよう、いつもより丁寧に記した。
自分が標的をやれば、家主は別動体が片を付けてくれる。
そうすれば、またあの人を守ることが出来る。
久々に、相手を狙う手が震えた。
能力を使わず拳銃を使うのは、衝撃を生身で感じないため。罪悪感を減らすための逃げ道だった。
爪が拳銃の金属部に当たってカタカタと音を立てる。力を抜けば歯も共鳴しそうだ。
それと同時に彼女自らの力が暴走を始めた。
体のあちこちが熱を持ち、辺りに黄色い火花が散る。
その花はまるで彼女の最後の一振りをさせまいとしているようだった。
「…っ!」
拳銃にもう片方の手を添え、標準を合わせる。
対する標的は、何も知らず気持ちよさそうな寝息を立てていた。
彼女に咲く花が僅かな風を起こし、耳にかけた髪が揺らぐ。
『スズ。』
私の名を呼ぶ、優しい声を思い出した。
拳銃が音を立てて床に転がる。
次いで全身を脱力が襲い、後を追うように膝から崩れ落ちた。
「…嫌だ。」
掠れた小さな悲鳴は誰の耳にも届かない。
「…殺したくない。」
その言葉を口から音に乗せたのは数年ぶりだった。
「し損なったのか。」
殺気の宿った声音に一層全身が震え、どうにか逃げ出したい気持ちを抑え込んだ。
しかし背を向けた瞬間、彼女に訪れる結末のビジョンが見えるほどに頭は冷静だ。
大丈夫。私ならやれる。最後まで演れる。
渇ききった喉で訴えた。
「男に勘付かれました。跡はつけられていません。」
あらかじめ用意していた法螺を吹く。
長年培った演技力を主に向かって生かす日が来るとは思わなかった。
「私でも仕留められない程の男です。再度作戦の練り直しが必要かと思われます。」
決して私情で討てなかったわけでなく、あくまでも、自分の力が足りなかったという話で押し切る。
そうすることで最悪の事態は免れることができるだろう。
しばらく部屋に無音が鳴る。
目線は伏せたまま、スズは固唾を飲んで次の言葉を待った。
視界の端に映る組まれていた両足が地に触れる。
「そうか。」
意外に、予期もせず、存外あっさりさっぱりした返事に瞬きを数回。
殺気の消えたその返答にスズはネジの切れた人形のように恐る恐る視線を上げる。
途端、肩に走った激痛と共に、細い体は後方へ飛ばされた。
強く背を打ち、思わず息が止まる。
傷口を抑え、睨みつけるように視線を向ければ、銃口をこちらへ向けた主がいた。
人を見下すのが基本姿勢である主が、椅子から腰を上げた姿など数年ぶりにみた。
その視線を捕らえ、さっきの返答の結果を察する。あぁ、なるほどと。
「お前が使えなくなる日が来るとはな。」
彼が一歩踏み出せば、体中につけた装飾品が一斉に喧しい音色を奏でた。
続けてもう一発。今度は足を撃ち抜いた。
俯せに転がり、荒い息を吐く。口内に鉄の味が広がった。
「無能はゴミだ。さっさと処分しなければ。」
再度向けられた銃口が狙うのは彼女の頭。
「お待ちください!」
力を振り絞って声を張り上げる。
血という液体で潤った喉は先ほどより大きな声を叫ばせた。
それと同時に彼女の周りに迸る火花。今度は暴走ではなく彼女の意思でその花を咲かす。
「任務を失敗した私を殺すのは構いません。ですが無駄死にはできない!」
相も変わらず厳しい眼をこちらへ寄越す目の前の男は、銃口の焦点を変えることなく動きを止める。
いつでもお前を殺せると、安易に宣言しているようなものだ。
だが、彼女だってただ殺されに戻っただけじゃない。せめて、守りたいものくらいは守らなければ。
「交換条件を提示します。」
「…ほう。下部の分際で俺に条件とは。」
「…。」
「…いいだろう。言ってみろ。」
飲むかどうかはそれから決めよう。
聞いてくれるなら上出来だ。きっと彼は条件を飲んでくれるはず。
スズは大きく息を吸い込み、地面に掌を押し付けた。
「私は能力使いです。本気を出せば、一瞬でこの館を吹き飛ばすことが出来ます。」
「俺に勝てると?」
「いいえ。それは無理です。私では貴方を倒すことはできない。」
「…賢明だな。」
「ですが、この大きな館が崩れればさすがに一般市民も気付きます。警察の手も入る。」
「…。」
「そんな面倒は避けたいでしょう?」
「ふん。可愛くない下部だ。」
「結構です。条件は1つ。」
私の、守りたいもの。
「軍艦様を殺さないでください!」
私の命と引き換えに、あの人の命を守ってください。
どうやら出血が多いらしい。血の気が引き、手足が冷えていくのが分かる。
でも、言い切るまで倒れるわけにはいかない。次の一撃に貫かれるまで死んではいけないのだ。
「これは私の力が足りなかっただけなのです!だからあの人は…!」
「…俺がそんな約束できると?」
「できます。」
「根拠は?」
「あの人を守るために貴方に下っている人間は多くいます。そして皆、私の強さを知っている。」
「…。」
「貴方が私を殺したという事実を示せば、彼らは今まで以上に貴方に逆らえなくなる。私を殺すような人に、反逆なんて考えもしない。そんな意思すら恐ろしくて抱けない。」
「随分自分に価値を見出しているようだな。」
「そう思うほどまで貴方に育てられました。」
「…。」
「…条件、飲んで頂けますか?」
彼女が拳に力を集中させれば、先ほどより強い火力が広範囲に散った。
壁や天井を電撃が走り、彼女を取り囲む地面は大きな動物でも通ったかのように抉れている。
自分は本気だという決意を目に見える形で示した。
本気を出せば、建物1つ壊せるほどの力を、自分はまだ持っていると。
そんな彼女と周りを見た主は大きくため息をつく。
そして、
「その条件、飲んでやる。」
ゆっくり銃口を彼女に向けた。
スズはその真偽を確かめようと、一層目を鋭くし、眉間に皺を寄せる。
決して隙は作らない。作った途端、殺されるのは分かっている。
「二度は言わん。お前の死、大いに利用させてもらおう。」
その言葉で十分だった。
スズは地面から手を離す。途端に辺りを包んでいた電撃はピタリと凪いだ。
それは自らの死を受け入れたのと同じこと。
それなら、いい。
ごめんなさい、みんな。もっと辛いこれからになるかもしれない。
彼女はかつて同じ集落で暮らし、今もこうして主ならざるものに従っている仲間に詫びる。
自分の死を知った彼らが悲しむのは分かっている。
みんな見ず知らずの自分を受け入れてくれるほどに優しい人たちなのだから。
でも、
初めてわがままを貫きたいと思ってしまった。
あの人に呼ばれると、自分の存在に『意味』が、『価値』が、あるような気がしてしまった。
自分が人形じゃないと思えた。ちゃんと人間だったのだと思い出せた。
だから、私に彼は殺せない。
誰かを守りたいと思った力でたくさんの人を傷つけた。
最期に、この力を理由に恩人を守れるのなら本望だ。
元々、他の誰かより自分を殺して欲しいと願っていたのだ。
これでやっと終われる。
渇いた狙撃音と同時に、スズは自ら視界を閉じる。
閉じた暗闇の先には未練も後悔もなかった。
部屋に響いたのは肉を割く音でも、体が地面に転がる音でもなく、硬い金属音。
いくら待ってもこない衝撃に、スズはゆっくりと視界を開けた。
そこには…
「……破天荒さん。」
「よう。生きてるな。」
大きな背中が見えた。
「ほう。跡は付けられていなかったのではなかったか?」
「付けてねぇよ。前から割れてたからな。」
返された言葉に無言を貫く3世。
あの男が眉を動かすところを、彼女は初めて目の当たりにした。
「ついでにいうと。」と、破天荒は地につけていた膝を上げ、スズの前へ踊り出る。
「俺だけじゃないからな。」
その言葉を合図に、背後で大嫌いな重い扉が開いた。
あの扉が開くことをこんなにも喜ばしく思う日が来るなんて、誰が想像できただろう。
向こう側の景色に、思わず張りつめていた体の力が抜けた。
顔には下手くそな笑顔が張り付く。
扉の向こうには、ボーボボを始めとする、スズの見知った顔が並んでいた。
「お前ら、どうやってここに…!」
3世が焦りを表情に出した一瞬の隙。
次の瞬間、彼はスズと同じ地面を味わっていた。
その上に乗り上げるのは、ボーボボと首領パッチ。屋敷でもスズが散々手を焼いていたツーコンビだった。
なんなら2人ともそのうえでコーヒーを啜っているではないか。しかも、ちゃっかり屋敷のお気に入りを持参している。
下敷きにされた紅い悪魔は喚き散らしているが、上の2人は涼しい顔をしている。
目の前で繰り広げられるあり得ない光景に、スズはただ口を開けるしかなかった。
「スズさん!」
背後から名前を呼ばれ、ようやく意識が現実に戻る。
振り返れば、小走りでこちらへやって来るビュティの姿。
「ビュティさん。どうして…。」
「助けに来たんですよ!」
「大変!血が…!」とビュティは膝を折り、包帯を取り出す。
そういえば自分は撃たれたのだった。と他人事のように思い出す。
言われてみれば何だか目の前がクラクラするし、全身に冷えが回っている気がした。
ビュティはというと、お金持ちのご令嬢だというのに慣れた手つきでスズの傷口を塞いでいく。
「お前の思い、全部受け取ったよ。」
彼女への礼もままならぬまま、恋焦がれた声にまた視線を前へ向ければ、背中越しに彼が紙切れを見せる。
それは死を覚悟した彼女が屋敷に残した置手紙。
助けて。なんて胸にしまった陳皮な言葉は一言も書いていなかったはずだ。
それなのに…。
突如部屋に響いた大きな悲鳴。
軋む体に鞭打って目をやれば、声の主である3世が白目を剥き、床に倒れていた。
その横で、まるで掃除後かのように手を払う「家主」と「橙色の友人」。
手際よく彼を拘束する「心優しい郵便屋」と「妹思いの大富豪」。
白目をむいた3世の口によく分からないチューブを差し込む「崖っぷち経営者」。
拘束された3世をいたるところにぶつけながら飛び回る「凄腕女社長」。
気が付けば、スズの傍には「花好きのご令嬢」だけでなく「犬かどうか怪しい彼」も擦り寄って来ていた。
あの3世を、一瞬で追い込むなんて。
「…貴方たちは一体…。」
軋む体を起こしながら彼らを見上げる。
すると口元に曲線を描くボーボボが腰に手を当て、誇らしげに声を上げた。
「俺たちは国家直属特殊部隊。9極戦士だ。」
高らかな宣言と共に、彼らはスズに笑いかけた。
そんなの聞いていない。だって、貴方は屋敷の主であって…。
「スズ。」
不意に名前を呼ばれた。
巡っていた思考は考えることを止め、視線は自然と声の元へ向かう。
背中ばかり見せていた「用心棒」がようやく顔を向けた。
何ですか、その顔は…。
彼がこちらに歩み寄り、膝を折る。
それに合わせてスズは身を起こし、床に座り込んだ。
まっすぐな瞳がスズを覗き込む。
時間が止まったかのような出来事の後、彼は一言口にした。
「助けにきたぞ。」
手を伸ばし、彼の袖を掴む。
「…はいっ。」
やっと、生きている実感が湧いた。
両手を彼の背に伸ばしてみる。
すると、彼の方から勢いよく抱きしめられた。
傷口は痛みを訴えるが、そんなことは後回しだ。
がむしゃらに体を掻き抱かれ、心と視界が揺らぐ。
彼女は声を上げて泣いた。
優しい眼差しが彼女に降り注ぎ、
彼らは口々にこぼした
( 「おかえり。」 )