フワフワと体が浮いているような感覚に、霞む視界。
口の中は甘い上質な味が尾を引き、薄暗い視界の隅には青白い光が空から差し込む。
薄暗い光を頼りに、破天荒は目を覚ました。
ソファーの重みを背負いながら瞬きを繰り返す。
視線だけを動かして周囲を確認。並行して現状を考察。
人の気配がないことを察すと、ゆっくりとソファーから立ち上がった。
木で出来た接合部が、古臭い音をたてる。それは思いのほか大きく響いた。
彼は腹の中に溜まった重たいものを一気に呼気として吐き出し、頭をかく。
やられた。
疑いたくないが、犯人は明白。
近頃、彼女の纏う雰囲気がどこか変わったことに気付いていたが、こんな行動にでるとは予想外だった。
完全に自分の落ち度。自業自得というやつだ。
また大きく、今度は声も乗せてため息を吐き出す。
すると、机の端に白い封筒を見つけた。
宛名も差出人も記されていないそれは、机と紙の縁を揃えてそこに鎮座する。
まるで絵の世界のような光景。
なんとも几帳面な彼女らしい飾り方だった。
破天荒はもう一度周囲に目をやった後、その封筒をおもむろに手にし、綺麗に止めらた封を少々乱暴にこじ開ける。
見られていたら行儀が悪いと小言を言われるだろうが、いないのだから気にするまい。
手紙には彼女らしい美しい字がお行儀よく並べられていた。
『おはようございます。
置き手紙で失礼致します。
聡明な貴方なら、私が何をしたのか理解なさっていると思います。
とんだ無礼を働きました。申し訳ありません。
そして、
幸せな時間をありがとうございました。』
短い文章。
何をしたか。
恐らく、いや十中八九、自分を眠らせたのは彼女だ。
大方、紅茶に睡眠薬でも混ぜたのだろう。
美味しいからと調子に乗って飲みすぎた自分にも非がある。
しかし。 それ以外は何もしていない。
体に傷はもちろんのこと、部屋も荒れていないし、この様子だと盗みを働いたという訳でもないだろう。
そして破天荒は、綺麗な丸で括られた最後の一文に違和感を覚えた。
この『時間』とは。
普通に考えれば2人で開いた夜会のことだろう。
しかし、その言葉をそんな安易な役にしていいのかと胸がざわつく。
そのとき、封筒がまだ微かに重みを残していることに気付いた。
封筒の底に眠るそれを返してみれば、転がり出てきたのは白い花をつけた小枝。
この花と香りには覚えがあった。
最近、屋敷の庭で色づき、爽やかな香りを風に乗せて奏でている彼女のお気に入り。
「ハナミズキ…?」
彼の声は返事を待つことなく、空気に溶けた。
真っ白な花弁が月の光を帯びて青白く浮かぶ。
どうして、この花が…。
『この木は?』
『これはハナミズキですね。春に咲く花ですけれど秋の紅葉や果実もキレイですよ。』
『とてもいい香り。花言葉は?』
『「返礼」「永続性」あとは「私の思いを受けてください」といったところでしょうか?』
『「返礼」か…頂き物のお返しとかに送ったらいいのかな?』
『きっと、とても喜ばれますよ。』
勢いよく顔を上げる。
そう。先日、隣町の令嬢を案内していた時の会話を思い出した。
『頂き物のお返し』…。
『幸せな時間をありがとうございました。』
困ったように笑顔を携える彼女が浮かんだ。
破天荒は勢いよく部屋を飛び出す。
扉がものすごい音を立てたが、気にしていられるものか。
その手には手紙と花枝。
『あいつ…っ!』
歯を食いしばる。
息が上がることも、握りしめた手紙にしわがよることも忘れた。
短い文章に込められた彼女の真意。
きっと最後の『幸せな時間』というのは、
『屋敷に来てから今までの時間』という意味だろう。
そして、その『時間』を貰ったお礼にと、彼女はハナミズキを贈った。
お礼を贈るということは、つまり…。
『もう俺たちと会わないつもりか…!』
己の不甲斐無さを嘆いた。
どうして言ってやらなかった。
いつも傍にいたのに。
そんな覚悟をするまで、彼女は追い詰められていたのに。
また、彼女の眉を潜めた笑顔が頭に浮かび、そして消えた。
今度こそ言おう。
彼の目は真っ直ぐ前を向いた。
想うのはただ1つ。
「…っ!
――スズ!」
男は地を蹴る
( 「会いたい。」 )