鼻につく火薬のにおいと散らばった木材。
耳を劈くばかりにあちこちで聞こえていた悲鳴も、いつの間にか聞こえなくなった。
そう。少女以外、いなくなったのだ。
散乱した瓦礫の上に裸足のまましゃがみ込む。
靴を履く暇もなく逃げ出したのだ。それが良い判断だったのか、今はよく分からない。
あのまま残っていればこんな気持ちにならなくてすんだのだろう。
そういった点で言えば、あの選択は失敗だったと言えよう。
小さな体に夜の寒さは堪える。
このまま目を瞑ってしまえば、きっと楽になれるのだろう。
あぁ、それならいっそ…。
「おい。」
久方ぶりに聞いた生きている声に、思わず体を震わせる。
敵かもしれない。生きているとバレれば殺されるかもしれない。
……それならそれもいいだろう。
少女は埋めていた顔を上げた。
まず目に付いたのは長い角のような髪。
目立ちすぎるそのフォルムはおおよそ兵士を名乗るには向いていない。
「生きているな。」
声の主は少女の前に屈んだ。
高すぎて影架かっていた表情が明るみにでる。
目つきこそ鋭いものの、悪いことを企んでいるようには見えなかった。
「お前、この村の娘か。」
頷く。
「他の奴は?」
首を振る。
「そうか。お前だけか。」
角の男は目線を下げた。少女は何も言えない。
「大きな音と煙が見えたのでな。近くにいたので寄ってみた。」
ということは、放浪者か何かだろうか?
この危ないご時世に随分と肝の冷えることをする。
文字通り、寿命を縮めているようなものだ。
言葉を飲み込んだらしい男は次の質問に移行した。
「お前、ここに居たいか?」
無言
「…俺と一緒にくるか?」
一瞬、光が灯ったような気がした。夜だというのに。
「お前みたいに残された奴らで集まって生活している場所がある。俺は今からそこへ帰るつもりだ。」
帰る。ということはこの男も…。
「お前が選ぶといい。」
少女は唇を噛みしめて男を見上げる。
さっきまで終わりたいと願っていたくせに。
帰る場所が、自分の居場所が欲しい、と幼い心は願ってしまった。
瓦礫の上に小さな足で立ち上がる。
絶望で塗りつぶされていた道に、白が差した気がした。
「決まりだな。」
男はうっすら目を細め、少女と目線を合わせた。
「俺は軍艦だ。お前は?」
「……スズ。」
それが、彼女という人間の始まりだった。
それから少女は男の下で育てられた。
男は、少女が入った集落の頭領を務めているらしい。
ぶっきらぼうで口数が多い訳ではない彼は、必要以上の深追いはせず、ただ彼女の傍にいた。
疑い深く、いつ捨てられてもおかしくないと覚悟していた少女だったが、そんな彼と一緒にいるうちに徐々に心を開き、彼に信頼を寄せるようになった。
そしてある日、少女は大きな決心をする。
「軍艦様。大事な話があるのですが聞いてくれますか?」
「あぁ。もちろんだ。」
少女は軍艦の前へ歩み寄り、自身の胸前で両手を握り、そして離す。
まるで時を止めるかのような動作。
次の瞬間、彼女の手には眩い閃光が瞬いていた。
「!? それは…!」
「私が生まれつき持っているものです。」
そう言い終えると、その手の閃光は辺りに散乱し、消えた。
少女は話す。
自分が生まれつき「超能力」と呼ばれるものを持っているということ。
人前で使うなと言いつけられていたこと。
この能力を使えば、辺りで燻っている論争を一掃できること。
だが、自分は人を傷つけるこの能力を使いたくないということ。
全て吐き出した後、目の前の男が見せたのは、恐れでも幻滅でもなく、微笑みだった。
少女の肩に節くれだった手を乗せ、告げる。
「お前が使いたくないなら使わなくていい。そして、これからも好きなだけここに居ていい。」
少女は声を上げて泣いた。
少女が10歳を迎えた頃、貧しいながらも温かかった今までの生活は突如として終わりを遂げる。
彼女らの集団が生活していた地域に、突如部族が攻め込んできたのだ。
予兆も余震も予感もなく、突然の侵入。
成す術なく、住処は占拠された。
捕らえられた少女と頭領である男の前に、侵入者のリーダーが歩み寄ってきた。
紅い髪に禍々しいオーラ。
その威圧感に当てられた少女は思わず生唾を飲み込む。息をするのもやっとだった。
男は頭である軍艦には見向きもせず、少女の方へ歩み寄る。
「お前、超能力者なのだろう?」
全身の血の気が引いた。
水面に映さずとも、顔が青くなっていくのが分かる。
なぜ、知られているのか。ずっと隠して生きてきたのに。
「我が名はツル・ツルリーナ3世。お前はこれより我が下部となり、俺の為にその力を使うのだ。」
少女は大きく首を振った。
嫌だ。こんな力使いたくない。
「ほう。嫌というのか。」
殺してくれたって構わない。
人を傷つけるくらいなら自分が死んだほうがマシだ。
「それならば…」
ツルリーナ3世と名乗る男は、少女の元から離れていく。
そして次の瞬間、少女の傍で捕らえられていた頭領である男を勢いよく蹴り上げた。
少女は声にならない悲鳴をあげる。
地に叩きつけられ蹲る彼は、激しく咳込んでいた。
「もう一度言う。お前は俺の為にその力を使え。」
少女の頬を涙が伝う。
いっそ自分を殺してくれればいいものを。
ロボットのような動きで地に付す軍艦に目を向ければ、彼は必死に制止を目で訴えていた。
聞かなくていい。使わなくていい。
そう叫ばれている気がした。
けれども…
命の恩人を、
大事な人を、
死なせる訳にはいかなかった。
「…はい。」
拒否権など初めからない。
それが、彼女という殺戮人形の始まりだった。
命の恩人を人質に取られた彼女は、作法や身のこなしを一から叩きこまれる。
それと同時に能力の開発も行われ、彼女を殺し屋としての泥道に進ませた。
どんな状況にも対応できる順応力と、洗練された動き。
嫌がってずっと使っていなかった能力もその身に馴染み、瞬間移動もお手の物。
初めの頃は泣きながらこなしていた人の頭を打ち抜く感覚も、10人を超えたあたりから何も感じなくなってしまった。
心が死んだのだと、彼女は悟る。
そして彼女が15を迎えるころには、立派な殺し屋になっていた。
その間も3世を筆頭とする組合は着実に勢力を広げ、裏社会を牛耳っていく。
表社会でも噂を小耳に挟むようになった頃、3世の部屋に呼ばれた。
「次の潜入先だ。」
そう言って投げられた写真には、小さな屋敷と、大きなアフロ男と、金髪男の姿。
「そのアフロは外航関係の上層部だ。そいつを抑えれば自由に船を使える。」
それはつまり、陸だけでなく、海も支配下におけることを意味する。
「お前はアフロのSPである金髪を殺せ。手薄になったアフロを別動体が仕留める。」
「かしこまりました。」
何度も繰り返した膝を折る所作の後、彼女は重苦しい部屋を去った。
その足で外へ向かい、息をつく。
すると頭上で地の鳴る音が聞こえた。
思わず顔を上げれば、空は一面、真っ黒い雲で覆われ、雷の鳴き声が仕切りなく響く。
一雨くるな。と思った次の瞬間には、全身が雨に叩かれていた。
それでも屋根のある所へ行く気になれず、されるがままに水を被る。
どれだけ雨音で耳を塞いでも、人の悲鳴が聞こえる気がした。
どれだけ雨に打たれても、両手にこびり付いた見えない人の血は洗われる気がしなかった。
足取りが重い。行きたくない。殺したくない。
それでも彼女は向かうのだ。
恩人の命を守る為、心を殺して人を殺す。
彼女には未来を選ぶ自由などなかった。
少女は雨空を見上げた
(こんな血の枷がついた足では、どこにも行けない)