珍しく玄関から女性の声がしたのは、ちょうど時計の短い針が3に重なる頃合いだった。
屋敷へ赴く人々の中で女性といえば、ごく限られている。
声のトーンから察するに…。
スズが足早に玄関へ出向くと、予想通りの女性が勇ましく佇んでる。
「こんにちは。魚雷ガール様。」
スズの笑顔に、赤い口紅を緩めた彼女は片手を上げた。
「こんにちは。スズ。ボーボボはいるかしら?」
「申し訳ありません。まだお帰りになられていないのです。もうそろそろだとは思うのですが。」
「お茶をご用意しますので客間までどうぞ。」と案内しようとする彼女を、また片手で制止する。
「ちょうどよかったわ。貴方に手伝ってほしいことがあるの。」
「私にですか?」
向き直ると、彼女は人差し指を口元に添え軽くウインクを飛ばす。
「女同士の秘密のお仕事よ。」
――――。
「たでーまー。」
間延びし、気の抜けた声が玄関ホールにこだます。
家主のお帰りだ。もちろん後ろには用心棒の姿。
家主が仕事終わりの深いため息をついた時、パタパタといつもより慌ただしい足音が聞こえてくる。
「お、おかえりなさいませ。お勤めご苦労様でした。」
いつも通り足先を揃え背筋を伸ばし、いつもと違って目線を泳がせているスズが出迎えた。
それを見た家主は開口一番
「おぉスズ!いいじゃないか!」
と手を叩いて笑顔を見せた。
対するスズは、足元で揺れるレースがいつもより多いことに眉をひそめ、苦笑いを浮かべる。
「私の新デザインよ。」
廊下の奥から踏ん反りがえった来訪者が顔を覗かせた。
「あぁ!先生!いらっしゃってたんですね。」
「可愛い生徒に会いに来てあげたわよ。」
あの家主が下手に出ているというのは、なかなかに珍しい光景だ。
彼は来訪者を先生と呼び慕っているが、何の先生であるかは知らないし、この先もきっと知らないままなのだと思う。
黒光りが美しい彼女は大手ファッションブランドの女社長であり、自社のファッションデザイナーでもある。
時折、屋敷にやってくる彼女だが、どうやらスズのことを気に入っているらしく、ある時彼女にと服を持ってきた。
『使用人とはいえ女は美しく着飾らないと!』
自分を着飾ることに無頓着だったスズは最初こそ拒んでいたものの、それ以降彼女が定期的に新しい使用人服を持ってくるので最近は諦めて受け取ることにしている。
スズを着飾ることよりも、彼女自身の制作欲解消が目的のような気がするので、拒むことを止めたのだ。
「スズ。飲み物を部屋まで頼む。2人分。」
「かしこまりました。」
スズが首を垂れると、家主と来訪者は階段上の闇へと姿を消した。
さてと…
「…破天荒さん?」
スズは帰宅早々、いつもは驚くほどよく動く口の機能を停止させている用心棒へ声をかける。
というのも、彼と来訪者は犬猿の仲であり、彼女がやって来る度暴言を吐いて、いつもフルボッコにされていることを彼女は知っている。
だが今日はどうだろう。何故か一言もつっかかかっていかなかった。
犬猿の仲と言っても彼が彼女を嫌っているだけなので、こちらからアクションを起こさない限りは平和であり、困ることは何もないのだが。
しばらくの沈黙の後「あぁ…。」と微妙な返事を吐き出した破天荒はスズに歩み寄る。
「悪ぃ。ちょっと思考停止してたわ。」
ゆっくりとした動作でスズの右手をとる。
そして、
「…よく似合ってるな。」
白い手の甲に口付けた。
意味のない開閉を続ける口からは何の文字も出てこない。
そんな彼女の顔を見てフッと笑った彼は折った腰を伸ばし、背を向けた。
「さて、コーヒーの準備するか。」
っ!一体何だというのだ!
スズは死ぬほど熱くなった顔を一度軽く叩いた後、わざと足音を立ててその背中を追う。
行儀は悪いが仕方がない。他にこの気持ちをどこへやればいいのか分からないのだから。
準備した飲み物と菓子を手に、スズは一人で階段に足をかける。
何でも「俺が行ったらギョラ公と喧嘩になるからな。」だそうだ。
3回ノックの後扉を開ければ、二人は机に向かい合って何やら話し込んでいた。
家主にしては珍しく、真面目に打ち合わせをしているようだ。
大変失礼だが、事実なのだから仕方がない。決して口には出さないが。
というのも、基本的にふざけたことを許さないスタンスの魚雷ガール。
少しでも妙なことをすれば即、屋敷の外へぶっ飛ばされるのだ。
スズも何度か目撃しているが、あれは相当効いているらしい。
持ってきたものを置き、軽く会釈して部屋を後にする。
キッチンへ戻ろうと下りた階段の踊り場で、ふと足を止めた。
踊り場の壁には写真が飾られている。
顔立ちの幼い、まだ目を覆う前の家主とマフラーを口元まで引き上げた用心棒。
幼馴染だと言っていた彼らの幼い写真の隣には、スズを含めた3人の写真があった。
屋敷に来て少し経った頃、家主が一緒に撮ろうと言い出した。
恐れ多いからとスズは遠慮したが、家主はそれを許さなかった。
『一緒に住むんだから、家族みたいなものだろ?』
写真を撮りなれていないスズの表情は強張っているが、2人の顔には笑顔が張り付いている。
今ならもう少し上手に撮れるかもしれないな。とスズは写真に手を伸ばした。
破天荒の笑顔に触れる。
同時に、先ほど彼に触れられた右手の甲がひどく熱を帯びた。
私は…。
その時、ものすごい音をたてて家主の部屋の扉が開いた。
思わず伸ばしていた腕を引っ込めて背筋を伸ばす。
すると二階からとんでもない勢いで来訪者が飛んできた。
文字通り、飛んできた。
彼女はスズの真横を音速で通り抜け、キッチンの方へと消えていく。
ものの数秒で戻ってきた彼女の後ろには、縄を体中に巻き付けられた破天荒が吊られていた。
「何すんだよギョラ公!」
「新しい案を思いついたのよ!さっそく今から実験よ!あんたを使って!」
「俺は物じゃねーぞ!!」
文字に起こせないような暴言を吐きまくる破天荒を引きずる彼女は、またスズの隣を通り抜け、家主の部屋へと消えた。
後には静寂が広がるばかり。
その少し後に男性の悲鳴が聞こえたような気がしたが、スズにはどうすることもできなかった。
兵器は意外と女子に優しい
(男には、言わずもがな)