庭から来訪者の気配を感じたのは、家主と用心棒が家を空けている昼下がりのことだった。

セキュリティがしっかりしているこの屋敷に無断で入り込める人物は数少ない。

例えばオレンジ色の彼だったり、最近ボコボコにされた水色の彼だったり。

だが、インターホンが鳴らないことから推測すると…。

当たりをつけたスズはキッチンに下がり、庭を目指した。


広い庭に下り立つ。その腕には蓋つき小鉢が抱えられていた。

今日も草花は陽の光を浴びて元気そうだ。

少し微笑んだスズは庭の奥へ歩を進める。

突き当りの大きな茂みの裏をのぞき込めば、予想通りの姿。


「…。」

「…こんにちは。」


真っ白く小さな生き物は、大きなガラス玉をこちらに向けていた。


この子の名前は田楽マン。家主がそう教えてくれた。

一見そうは見えないが、家主が犬だと言い張るので、おそらく犬なのだろう。

彼は屋敷の飼い犬という訳ではないが、よく庭先に遊びに来る。

一体どこから入ってきているのやら…。

まぁ、家主がそれを許しているのだからあまり気にすることではないのだろう。

なかなか気難しい子らしく、用心棒の方は相手をするのにかなり苦戦していた。

どうやら敵認定されているらしい。

だが、スズには比較的早くなついた。

人を見てるんだな。と彼に言われたのは記憶に新しい。


そんな真っ白い来訪者だが、どうしたものか、食に対してもかなり気難しい。

奴が来たらこれをやってくれ。と家主から言いつけられているものがある。

それしか口にしないのだ。

試しに他の食べ物、一般的に犬が好物とするような物も与えてみたが見向きもしなかった。

果たして、本当に犬なのか…?

謎は深まるばかりだが、問いかけたところで答えてくれるわけがない。

ちなみに用心棒に聞いたところ「突然変異か何かだろ。察せ。」と言われた。何を察せというのか。


スズは小鉢を彼の前に下ろし、そっと蓋を開ける。

中から現れたのは、古風な作りの田楽だった。

温められたらしいそれは、ほんのりと湯気を纏いながら懐かしい香りを漂わせる。


「熱いので気を付けてくださいね。」


スズが言い終わる前に、その犬は前足で器用に串を掴んでいた。

そしてこれまた器用に口へ運んで一口頬張る。

もう見慣れた光景なので、絶対にツッコまない。

すると、最初の一口を飲み込んだ途端、勢いよく顔を上げた。

スズを見上げる瞳はいつもの数倍キラキラと輝いている。

その人間らしい表情にスズは思わず噴き出した。


「気づいたのですね。」


スズは田楽マンの頭をなでる。


「いつもはボーボボさんが買ってきてくださっていた物だったのですが、今日は私が作ってみました。」


「お口に合いましたか?」と問いかければ返事の代わりに頭を摺り寄せてきた。

どうやらお気に召したらしい。彼はすぐさま残りの田楽に食らいついた。

和食の勉強もしておいてよかった。


昨夜、もうそろそろ彼が来るのではないかと予想し、田楽の準備をしていたところ、いつものようにキッチンを覗きに来た用心棒に顔をしかめられた。

事情を説明すれば「お前も世話焼きだよな。」と言われる。

その顔がどうしようもなく優しかったことは彼女だけの秘密だ。


そこでスズははたと気付く。


私、さっきからあの人のことばかり思い浮かべてない?


頭を抱える。これは重症だ。

なんだかバツが悪くなり、来訪者から目を反らし、足元へ視線を向ける。

最近は何をしてもそうだった。

考え事をするとき。回想するとき。説明するとき。

決まって、そういえばあの用心棒はこう言っていた、と付け足してしまう。

加えて、これが無意識だというのだから困ったものだ。

この状況をスズは本で見たことがあった。

残念ながら自分の中での前例がない為、確信は得られないのだが。

これは…。


「私は、あの人のことが好きなのかしら。」


口に出してみた。

いまいちピンとこず、空白のパズルピースは埋まらない。

もちろん、目の前で食べ物にありつく来訪者から返答はなかった。

胸の中には少しのざわめきだけが置き去りにされる。

スズはそれらを空気に乗せて、ふぅと一思いに吐き出した。

いつか、答えの見える日が来るのだろうか。

来てほしくないような気持ちを抱えつつ、小さなゲップ音に視線を上げる。

目の前では小鉢を空にした白い来訪者が満足気に口周りを拭っていた。

そして満腹になったらしい彼は、くるりと背を向け歩き出す。

どうやらお帰りになられるようだ。

その小さな体が大きな茂みの陰に隠れた。

はずだったが、茂みの中から消えたはずの小さな前足だけが現れた。

今まで見たことがない光景にスズは思わず動きを止める。

すると、その小さな前足が左右に振られた。

それはまるで手を振って別れの挨拶をしているかのようだった。

数回瞬きをした彼女は、恐る恐る自らの手を振って見せる。

すると今度こそ白い影は茂みに吸い込まれていった。

残された小鉢と茂みを交互に見て、彼女は何かを察したのだった。



犬は口についた味噌をなめる

(深く考えたら、負けなのだわ。きっと。)


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