*恋人設定



あれは二日前の出来事。

へっくんと並んで河川敷に座り込んでいたときのことだ。

二人で旅を初めてから距離が近くなり、告白を受けて無事に付き合い始めてから、もう半年も経つ。

空に広がるのは茜色。

つい先ほど、買い出しを終え、後はホテルに帰るだけというところだった。

まだホテルまで距離があり、休憩をと腰をおろして川の流れを見つめる。

春が近いこの時期。髪をさらう風はほんのりと暖かかった。


「荷物持ってくれてありがとね。」

「いいよ。これくらい。」


買い出しの荷物はへっくんが持ってくれていた。

私が持つのは、お財布と小さな袋が1つだけ。

今回に限らず、買い出しのときは、いつも彼が率先して荷物を持ってくれるのだった。


「へっくんは紳士だね。」

「え、そんなことないよ。」

「そんなことあるよ。」


私は手を前に伸ばしながら、指を開いたり閉じたりする。


「知ってるよ。いっつも車道側歩いてくれてることとか。」

「それは…。」

「お店に入るときには、絶対私を先に入れてくれることとか。」

「……。」


隣の彼は、気まずそうに私が座る方とは反対側を向いた。

照れてるのね。

私はクスクスと肩を震わせる。

そういうところも好きなんだよな〜。

もちろん、これは口には出さない。


「へっくんは、いつも私を優先してくれるんだね。」

「…それが当然だと思ってる。」

「ありがとう。でも、へっくんはもっと欲張ってもいいんだよ?」


私は視線を白髪の彼から川へと移す。

夕日を受けた水はかすかに赤く輝いていて、へっくんの眼みたいだと素直に思った。


「たまには、へっくんの我儘聞きたいな〜。」


本音だった。

そりゃ、大事にしてくれてるのは身に沁みて感じているけれど、

私にとって、へっくんも大事な人だから。

私ばかり優しくされるのは、フェアじゃない。


と、言ったはいいものの、今度は私が照れ臭くなってきて、思わず視線を足元に移した。

妙にソワソワして、せわしなく手が動く。

そして、あちらこちらで遊んでいた手が膝上に舞い戻ってきたとき、



「本当にそんなこと言っていいの?」



横から聞こえた声は、いつもよりトーンの低い、男の人の声だった。

「えっ?」と口にする前に、私の腕に伸びてきた彼の手。

腕はそのまま彼に引かれ、その勢いのまま私は彼の方に倒れ込む。

慌ててへっくんの方に顔を向けたとき、私の視界にちらついたのは彼の真っ白な前髪だった。


見開いた眼には、目を閉じた彼のまつ毛が間近に映る。

そして、唇には少しかさついた感触。


事態を把握したのは、彼の顔が離れていってからだった。


一気に火を噴きだした顔に、慌てて両手を当てる。

彼に掴まれた腕の箇所が、焼けるように熱かった。

対する彼は、俯いていて顔が見えない。

しかし、固く結ばれた口元が、笑っていないことを物語っていた。

私はとにかく口を開いてみたものの、声がまったく出てこない。

次の瞬間、へっくんは自分の着ている上着を乱暴に脱ぎ、私の頭から被せた。


「わっふ。」


やっと出た声は、障害物により籠る。

見えない視界の先で、


「…俺は紳士なんかじゃないよ。」


彼の苦しげな声が聞こえた。


芝生の擦れる音と、遠ざかっていく足音。

真っ暗な視界が開けた先に、彼の姿はなかった。



あのあと、心ここにあらずのままホテルに帰るも彼の姿はなく、部屋には買い出しの袋だけが残されていた。

あれから二日経つが、未だに彼は帰ってきていない。

まさか、置いて行かれたのではないかと不安がよぎるが、首を振って否定する。

何も言わずに置いて行くほど、へっくんはいい加減な人じゃない。

自分に何度も言い聞かせては、手に爪を食い込ませていた。

彼に会ったら伝えないと。

それをまとめるのは至難の業で、冷静に言葉を選ぼうと頭を働かせるが、なにより心が彼に会いたいと叫んでいる。

外は空一面に黒い雲が広がり、窓ガラスを大粒の雨が叩いていた。

昨日は一日外を探したが、こんな天気じゃ外に探しに行くこともままならない。

大人しく部屋で彼の帰りを待っていたが、一人でいるとどうしても嫌な方向にばかり考えが偏ってしまう。


「はぁ〜。」


今日何度目かのため息が零れた時、ドアノブの回る音がした。

反射的に立ち上がった私は、扉に目を向ける。

そこには、相変わらず俯いたままの愛しい彼の姿があった。


「……おかえり。」


胸前で両手を握り、一歩、また一歩と彼に歩み寄る。

もう少しで彼に手が届くというところで、


「ごめん。」


言葉の違う「待て。」が聞こえた。

素直に歩みを止め、俯く彼を見つめ、次の言葉を待つ。


「いきなりあんなことして。」

「何で謝るの?」

「怖かっただろうし、嫌だっただろうから。」


やっと見えたへっくんの顔は青白かった。

きっと、雨で寒かったのだろう。

この二日でたくさん自分を責めたのだろう。


「だから…ごめん。」


私は堪らなくなって、彼に向って走り出した。

いきなりの行動に、今度はへっくんが驚きの表情を浮かべる。

その勢いのまま、震える彼に飛びついた。

まさか飛びついてくるとは思わなかったのだろう。

怯えの混じる声を上げながらも、へっくんは私をしっかりと受け止めてくれた。

彼の肩口に顔を埋めて、首に巻き付ける腕に力を込める。

表情は見えなくても、へっくんが息を飲むのが分かった。


「確かにびっくりしたよ。」


そのまま話しだす私の声は、へっくんの肩にせき止められて籠っている。


「でも、嫌なんかじゃなかった。」


私を受け止める腕に力がこもったのが分かった。


「嬉しかったんだよ。」


恋人という関係になって半年。

やっと、あなたに触れてもらえた。


「…そっか。」


彼の呟きに、私は見えていないと分かっていながら何度も頷く。

擦りつけたへっくんの服からは雨の匂いがした。


「ありがとう。」


「うん。」と返した私の声は掠れていた。


「帰ってきてくれてよかった。」


またあなたに触れられてよかった。


「…ただいま。」

「…おかえり。」


私が腕の力を緩めると、へっくんも手を離し、私はようやく地面に降り立った。

久々に見た笑顔は私にも伝播する。

そしてもう1つ、彼が帰ってきたらと考えていたことがあった。


「へっくんばっかり、ずるいから。」


唐突な私の言葉に彼は首をかしげる。

それはそうだろう。分からなくていい。

今から教えてあげるよ。


「今度は私の番。」



私がどれだけあなたが好きかってことを。



襟を立てて、背伸びをして、


(その唇、いただきます。)

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