あなたまで後三秒



「真ちゃん、ちょっとストップ」

なまえと並んで階段を昇っている途中、なまえは唐突にそう言った。

「何だいきなり」
「いいから。ちょっとストップ」

再度繰り返されるその言葉を訝しみながらもオレは足を止める。
一体何だというのだ。黙ってなまえを見つめると。

なまえは一歩、階段を上った。
そしてくるりとオレを振り返る。

「うーん……」

少し不満げな顔をして、また段差を一段上った。

「……ホントに何なのだよ」

オレより二段上にいるなまえをじろりと睨む。
オレとなまえでは身長差がかなりあるため、なまえが二段上にいてちょうど目線が同じくらいだ。
この不可思議な行動は一体何なのか、そう尋ねたのになまえは黙って首を傾げながら、もう一段、上った。
そこでようやく納得がいったように頷く。

一体何を考えているのか分からない不可思議な恋人の行動に、苛立ちのような感情が沸き起こる。


「なまえ、いったい何なのだ、……っ!?」

苦情のようなその言葉は途中までしか言えなかった。
その瞬間、三段上に立つなまえの身体が傾いだかと思うと、そのままオレの方に向かって倒れてきたからだ。

「バッ……!!」

バカ、と言おうとしたが最後まで言えずに、慌ててなまえに向かって手を伸ばす。
彼女の身体を捉えた瞬間に受けたなまえの体重に重力加速度をかけた衝撃を、オレは踏ん張って何とか受け止めた。


ばくばくと心臓が騒がしくなり、冷や汗のようなものが背中を伝う。
一体何を、受け止められてよかった、ケガはしていないのか、何でこんなこと。
色んな言葉が一気に心にあふれ出てきたが、結局最初に口をついたのは罵声だった。

「何を考えているのだよ、この愚図!! オレが受け止めなかったらどうなっていたと思う!!」

「ごっ……ごめんなさい……!! あ、ありがと」

その困惑した声に、この落下はなまえにとっても予想外だったのだと知る。

どうせまた無計画に行動したのだろう。
思い立ったが吉日、が信条のようなこの女は、深く考えずに動き出すという悪い病気を持っている。
それで上手くいくならまだしも、なまえの無計画さが吉と出たことは未だかつて一度もない。


このバカが。そう詰る代わりになまえを睨みつけながらオレは低い声で言う。

「いったい何をしようとしていたのだよ。返答次第ではここから改めて叩き落としてやる」

オレの言葉になまえはひっと一瞬息を呑んで、そしてチラリと伺うようにオレを見上げてきた。


「真ちゃん……怒った?」

「いいから三秒以内に答えろ。でないと叩き落とす。3、2……」

「わーごめんなさいー! 真ちゃんにキスしようとしましたっ!!」

「………………は?」


思わず、怒りも忘れて間抜けな声が出てしまった。
ぽかんとするオレに構わず、なまえは言い訳を重ねるように続ける。


「私いっつも真ちゃんに上からキスされてるから、たまには私も上からしてみたいなーと思って、階段の上からならキスできるって思って魔がさして……!!」

その言葉に、ようやくオレは何となく状況を呑み込む。

「つまり、オレとの身長差を段差で埋めようとしたのか。で、いざキスしようとしたら今度は身体の距離が遠すぎて勢い余って落っこちた、と」

「そう! さっすが真ちゃん、察しがい、った!」

ぴーんとオレを指差して笑うなまえに、いらぁっと神経を逆なでされたオレは、その感情に任せてなまえの額を思い切り指で弾いた。
びしっと案外いい音がして、少しだけ溜飲を下げるが、涙目のなまえは抗議するようにオレを睨みあげる。


「痛い……」
「当たり前なのだよ、痛くしたのだから」
「何で痛くするの」
「お前が手の付けようもないほどにアホだからなのだよ」
「ひっど……! そこまで言わなくても……!」

喚くなまえを無視して、オレは辺りに視線を配らせた。
放課後のこの階段を利用する者はほとんどおらず、周囲に人の気配はない。
それを確認してオレはなまえの腰と膝裏に手を回した。

「ひゃっ、真ちゃん、っ……!?」

ぐい、と持ち上げるとオレは身体を反転させて階段に腰を下ろす。
少し行儀が悪いが、今日くらいはいいだろう。
何段か下の階段に足をつけて、オレは自分の膝の上に横抱きにしたなまえを下ろした。

こうするとわずかではあるがなまえの方が目線が高くなる。
なまえを下から眺めるというその新鮮な光景を、オレはしばし無言で楽しんだ。

「っ…………真ちゃん、あの……!」

やがて、その沈黙に耐えきれなくなったのか、顔を真っ赤にしたなまえが困ったようにオレの名を呼ぶ。
その声を聴きながら、オレはなまえの後頭部に手を回し、くしゃりと撫でた。

「どうした。望みどおり、お前を上にしてやったぞ」

「え?」

「……しないのか?」

あえて、主語は言わなかった。
そうして意地悪に笑ってやると、なまえの顔はますます赤みを帯びる。

「人が来ないうちだぞ。あと三秒たったら、ここから叩き落とす」

そうカウントダウンをしてやると、なまえは意を決したように瞳をつぶり、オレの両頬を小さな掌でそっと包む。
そしてゆっくり近づく距離に、オレはふっと笑ってなまえの腰に腕を回し、あと数センチという距離を首を伸ばしてこちらから埋めてやった。


やがて名残惜しそうにゆっくりと離れていく唇に舌を伸ばしてぺろりと舐めてやり、「上からの感触はどうだ」と尋ねると、彼女は真っ赤な顔の熱を冷ますように、オレの首筋に額をくっつけた。

(たとえ体勢が変わっても主導権は譲らない)


*セナさまリクエスト作品。
最初はこれ、むっくんの予定でした。


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