▼目隠し鬼さん吊り橋渡れ
「なまえ!」
「ふあぁっ!?」
なまえの背後から小太郎が声をかけると、なまえの心臓は大きく脈打った。
胸にファイルをギュッと抱きしめて、早くなる呼吸を抑えるように深く息を吸うなまえ。
小太郎はそんななまえの様子を見て、可笑しそうに笑った。
「なまえ驚きすぎー! いっつもそうだよなぁ」
「こっ、小太郎先輩がいっつも急に声かけるからじゃないですかー!」
なまえの呼吸は普段よりわずかに早く、合わせて心臓もどくどくと鼓動を速める。
しかし小太郎はそんななまえの様子に構わず話し出した。
「今日の帰りさぁ、一緒にカラオケ行こーぜ! レオ姉たちと4人で!」
「ええっ!? でも今日も練習終わるの遅いし、明日も普通に部活ですよ?」
「いーじゃん、息抜きっ」
「しかもその面子たぶん、女子も1年も私だけですよね!? むりむりむり……!」
「何でさー? レオ姉いるじゃん」
「いやいやいや、レオ姉はたしかに男子じゃないけど、女子でもないですからね!? 身長188センチって時点でだいぶアウトですからね!?」
「えー? でかくなかったらいいわけ?」
そう言って不満げに眉をしかめた小太郎の視線が、ちらりと僕を捉えた。
そしてキラリと光った彼の猫のような瞳に、僕はその場に居合わせたことを少し悔やむ。
「赤司ー! この後さぁ、オレらとカラオケ行こーぜ!」
「えっ、小太郎先輩!?」
ぶんぶんと僕に向かって手を振りながら、小太郎が僕の名を呼んだ瞬間、なまえの心臓が可哀そうなくらい、どくんと飛び跳ねる。
「ああああ赤司くんをお誘いするなんて、何考えてるんですか……!」
身体はこわばり、顔色はどこか青ざめているようにも見える。
体温が上昇し発汗する様は、具合が悪いようにもとれるが、大声で叫びながら小太郎の腕を力いっぱい握りしめる姿を見る限り心配の必要はなさそうだ。
「えー? だって赤司ならレオ姉ほどでかくねーし、なまえと同じ1年じゃん! それに赤司とカラオケとか何か面白そーだしっ」
「だからって、何でよりにもよって……!」
「なまえは僕が一緒では不満かい?」
「ひぐっ」
なまえに声をかけると、なまえの呼吸が一瞬止まった。
そのタイミングがおかしかったせいか、なまえの喉は変な音を鳴らす。
僕が声をかけると大抵なまえはこうなる。
その身体の強張り具合や発汗の仕方は、試合で僕と対峙した敵のようだ。
緊張しているのか、恐れおののいているのか、少なくともマネージャーが主将に対する反応ではない。
「なまえ、大丈夫? 何でそんな固まってんの?」
「だっ、いじょぶ……っ、です」
そう答えるなまえの心臓はどくどくと異常な速さで鼓動を刻む。
その様子を僕がじっと見つめていると、一瞬だけなまえと視線があったが、すぐになまえが顔を背けて視線が外される。
ますます強張るなまえの体中の筋肉の様子を見ていたら、少し不憫にもなってきた。これではまるで、蛇に睨まれた蛙。
僕はため息をつき、踵を返した。
「――僕はカラオケには行かないよ。遊んでいる暇はない。
だがお前たちに息抜きが必要なのも事実だろう。4人で行っておいで」
「えー、赤司行かねーの!? いいじゃん、たまにはー」
背後から上がった小太郎の不満げな声の陰に、なまえの安堵のため息が紛れている。
ここまで邪険にされるといっそ面白い、と僕はこっそり笑った。
***
それからしばらく経ったある日。
部活が終わって自主練をしていたら、ふと体育館の隅にしゃがみ込む玲央となまえが目に入った。
顔を寄せてこそこそと話しているから会話の内容までは聞こえないが、なまえの動悸が妙に激しいことが何となく気になった。
一体何の話をしているのだろうか。じっと見つめると、普段と比べて特になまえの顔が上気していることが分かる。
ああ、もしかして、そういうことなのか。
まぁなまえも年頃の女子だしな、と納得する。
玲央もわずかに興奮しているようだから、完全に脈がないわけでもないのか。
部内恋愛はあまり推奨はしないのだが、玲央なら節度を保った行動をするだろうし、許可しても構わないだろう。
そう判断して、僕は練習に戻った。
「いやいやいや! むりっ、むりです……!!」
突然なまえの大きな声が響く。
思わずそちらへ視線を向けると、真っ赤な顔をしたなまえと目があった。
「ほらっ、なまえちゃん!」
「レオ姉ぇ……もうホントだめ、だめだってばぁ……っ」
満面の笑みで僕の方向へ、泣き出す寸前のようななまえの背中を押す玲央。
完全に楽しんでいる様子の玲央に、僕はため息をついてそちらへ足を向ける。
「僕に何か用かい? なまえ、玲央」
「ひぐっ」
またなまえの喉が変な音を立てる。
玲央はそんななまえの背中をさすってやり、身を屈めてなまえの耳元に唇を寄せ、何事かを囁いた。
その瞬間、なまえの鼓動がどきりと飛び跳ね、かーっと体温が上昇する。
玲央なら分別をわきまえていると思ったのだが、部活中にこのような行動が続くようならば、注意しなければならない。
呆れながら玲央を見ると、何故かぱちりと片目をつぶられた。一体何の合図だろうか。
「あっ、ごっめーん! アタシ、部室に忘れ物してきちゃったー!」
次の瞬間、玲央がわざとらしい甲高い声をあげる。
「えっ、レオ姉! やだっ、行かないで……っ!」
慌ててなまえが玲央の腕を掴むが、玲央はそっとその手を外し、そしてくしゃくしゃとなまえの頭を撫でた。
そして立ち去ってしまった玲央の背中を、なまえは絶望の表情で見つめている。
「……玲央がいなくなって、そんなに嫌かい?」
「だって……だってレオ姉、ずっと一緒にいてくれるって言ったのに……!!」
ありふれた口約束ではあるが、部室に行く間のほんの数分くらいいいじゃないか、と思わずにはいられない。
なまえは少し臆病なところはあるけれど自分の芯を持った気丈な女性だと思っていたのだが、少し買い被っていたようだ。
色恋沙汰になると盲目になる人種はあまり好ましくない。
「それでなまえ、僕に何か用があったのではないのかい?」
とにかく、手短に終わらせてしまおう。
なまえを促すと、彼女はまたひっと小さく息を呑んだ。
「えええええっと、それは……」
なまえがますます涙目になり、心なしか顔色も悪くなってくる。
言う決心がつかないのか、口をもごもごと動かすばかりのなまえの態度に、痺れを切らして僕はため息をついた。
「……大した用でないのなら、僕はもう行っても構わないだろうか」
「っ! あ……あのっ……ぅ」
そうして何か言おうとするも、やはり言葉にすることのできないなまえに、再度ため息をついて僕は踵を返した。
次の瞬間。
どんっと背中に衝撃があって、ぎゅっと絞められる腰。
見ると、胸の少し下あたりに細い腕が回されていて、僕にしがみついている。
「待って、お願い、待って赤司くん!」
僕の背中に額を押し当てながら、なまえは思い切り叫んだ。
「あっ、明日私とデートしてください!!」
その言葉に、僕はわずかに瞠目した。
僕は今、なまえにデートに誘われた。デートとは少なくとも片方が相手に恋慕を抱いている状態で2人で出かけることだと認識している。しかしなまえは先ほど玲央と。
……いや違う、これはつまり。
「そうか、僕は勘違いしていたようだ」
「……え?」
僕は胸に回されたなまえの細腕を掴み、身体を捻って振り向くとなまえを正面から抱きしめた。
「あああああ赤司くん!?」
裏返ったなまえの戸惑った声。
混乱しているのか、抵抗してくるなまえをますます強く抱きしめることで静かにさせる。
「いいよ、デートしよう。明日の10時に、君の家へ迎えに行くよ」
「……ええええっ!? うそっ、うそ……!」
「嘘じゃないよ。意外と疑り深い子なのかな、君は。
ところでなまえ、『吊り橋効果理論』というものを知っているかい?」
「は? えっ……ええ?」
デートを了承すると驚きと喜びが入り交ざった声を上げたなまえだったが、さらに僕が矢継ぎ早に尋ねると、なまえの処理速度は追いつかず思考回路がショートしてしまったようだった。
僕はなまえの後頭部に手を回し、指先で髪を梳きながら続ける。
「吊り橋効果理論というのは、男女で吊り橋を渡る際の緊張を恋愛感情だと勘違いしてしまうという理論のことだ。俗説に近い理論だが、今回のことでひとつだけ証明されたことがある」
もう片方の手を彼女の腰に回し、ぐっと引き寄せてますます身体を密着させると、なまえの身体はますますこわばった。
僕は固まったままのなまえの耳元へ唇を寄せ、囁く。
「恐怖による緊張と、恋愛感情による緊張は確かに似ている。僕でも見分けがつかないくらいにね」
よく考えたら分かることだった。
僕に対してだけ違う態度、速くなる鼓動、上昇する体温。
分かりやすいことこの上ない。
それなのに、僕がなまえの恋愛感情に気づけなかった要因、それは。
「僕も、どうやら君が気になっているようだよ、なまえ」
僕がそう囁くと、腕の中でなまえの心臓が一際大きな音を立てて跳ね、同時になまえの呼吸が止まった。
一度自覚すると、そんな息も絶え絶えな様子すら可愛く見えてくる。
ああ、恋は盲目とはよく言ったものだ。
(征ちゃんったらダイターン!)
(ねぇレオ姉、オレ練習したいんだけど)
(バカ、まだダメよ小太郎! 邪魔するんじゃないわよ!)
*翔さまリクエスト作品。
チキンっていうか、ただのビビり症。
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