視線を捕まえて



その人に気づいたのは、いつのことだろうか。


例えば、全校集会。登下校中の生徒の流れ。昼休みの雑踏。
無個性な人ごみの中で、気づけばいつの間にか、私の視線の先にいる人。

けして目立つ存在ではない。
外見にこれといった特徴があるわけでもない。

無個性な他人の中でも際立って無個性な彼。
それなのに、何故か私は彼から目が離せなくなってしまうのだ。


この話には続きがある。
そして、ここからの方が大事。


「目が大きくて、ちょっとぼんやりした男子? うちのクラスにはいないと思うけど」
「んー、ちょっと分かんない。他のクラスじゃない?」
「そんな人知らないなぁ。見覚えもないと思う」

どのクラスの誰に尋ねても。
彼の正体を知っている人がいないのだ。


最初は、「そういえばあの人はどこのクラスなんだろう」と気安い気持ちで始めた人探しが予想外の事態に転び始めて、私は戸惑うしかない。
信じられなくて、友達にしつこく聞きまわっていたら、ついに言われてしまった。


「そんな人、本当にいるの?」



***



「だから、本当にいるんだってば! 目が大きくて、眉毛太めで、すっごい無表情の人!」
「まーた始まった。あんた、何が見えてんの?」

中庭で仲のいいグループでランチタイム。
どこからどう発展したのか思い出せないけど、とにかく今の話題は"例の男子"についてだった。


「こないださぁ、なまえがまたその人見つけたらしくて『見て見て! あそこ!』とかめっちゃ言ってくるんだけど、そんな人どっこにもいないの! マジでなまえには人には見えない何かが見えてるとしか思えないんだけど」

「あのときは、その人すぐいなくなっちゃったから……!」

「何それ、めっちゃ怖くない? もう憑りつかれてるとしか思えないんだけど」
「あー、地縛霊的な?」
「ここ新設校なのにもう地縛霊いんの?」


そう言って楽しそうに笑う友達。
完全に他人事だと思っているようだ。
そんな友達の言葉に反論しながら内心で、そりゃ仕方ないか、とため息をつく。

だって現に、私以外に彼を見た人がいないんだもん。
休み時間の廊下でも見かけるからたぶん同じ1年生だと思うんだけど、全クラスの知り合いに尋ねたのに、全員に「そんな人はクラスにいない」と言われてしまった。
友達といるときに彼を見かけて友達に知らせてみても、友達はどうしても彼を見つけられないという。

ここまで来るともういっそ、私にしか見えていない幽霊だ、とすっぱり言われてしまった方が納得がいくくらいだ。

「私、霊感とか全然ないのに……」
でもやっぱり納得したくなくて、悔し紛れに呟いたそのときだった。


校舎から体育館に続いている渡り廊下が目に入った。
正しくは、そこを歩いている彼が。


「いた!」

「えっどこ?」


目を凝らしている友達に、あそこあそこ、と必死に指差してみせるが、どうしても見つけられないらしい。

あんなにはっきり見えているのに。
何で彼女たちには見えないんだろう。

ふと、苛立ちに似た感情を覚えた私は、膝においていた弁当箱を急いで片づけ、バッと立ち上がる。


「私、彼に声かけてみる! 絶対幽霊なんかじゃないもん!」

言うが早いか、私は駆け出していた。
友達の制止する声が聞こえていたが、無視。


こうなったら、彼を直接彼女たちに紹介して「ホントにいたでしょ」と胸を張りたい。
そんな小さな意地のために私は、彼を追いかけて校舎に飛び込んだ。

瞬間。
目の前に人が現れ、勢いを殺せなかった私は驚く間もなくその人に思い切りぶつかってしまう。
転んじゃう、と思ったが、私がぶつかった人はしっかりと私を受け止めてくれて、その事態は免れることができた。


「ごっ、ごめんなさ……っ」
謝ろうと顔を上げて、驚く。


「こちらこそ。大丈夫ですか?」

私を覗き込む大きな目。
それは私がずっと探していた。


「みっ……見つけた!」

反射的にがしっと彼の袖を掴んでしまう。
そんな私の様子を見て目を丸くした彼に、ハッと我に返った。


「ご、ごめんなさい!」
「いいえ、構いませんよ」

慌てて謝ると、彼はクスクス笑いながらそう言ってくれる。

物腰が柔らかくて、丁寧な人。
初めて会話する彼にそんな印象を抱いた。


そんな彼を私は逃がしたくなくて、袖を掴んだままこれからどうしようかと思案する。
だってようやく捕まえたんだもん。
ここで逃がしたら、今度はいつ捕まえられるか分からない。
そしたら、いつ友達に彼を紹介できるか。

今日、少しでも仲よくなっておかないといけない。
けど、どうやって仲よくなろうか、と考えていると。


「ところで、今お暇ですか?」

不意に彼がそう言った。
ほぼ反射的に頷くと、彼はニコリと柔らかな笑みを浮かべる。


「それなら、少しだけボクに付き合ってもらえませんか? ぶつかってしまったお詫びに、飲み物でもご馳走させてください」


渡りに舟、とはこのことを言うのだろう。
願ってもない申し出に、私は二つ返事で了承した。



***



がこん、と自販機が缶ジュースを吐き出す。

「どうぞ」
「あ、ありがとう」

彼が拾って手渡してくれたそれをありがたく受け取った。
この前に、私が奢る、ボクが奢ります、でひと悶着あったのだが、そこは割愛。
結局私が折れて、彼に奢ってもらうことになったジュースを一口飲んで、私は考える。


ずっと彼と直接話したいと思っていたのに、いざとなったら何を話したらいいのか全く分からない。
まさか「幽霊ですか?」なんて尋ねるわけにもいかないし。
どうしよう、困った。

とりあえず無難な話題に逃げることにした。


「あ、あの、あなた1年生、だよね」
「はい、B組です」
「えっ」

その答えに私は驚く。
だって、さっき一緒にランチをしていた子の中にも、B組の子がいたから。


(あいつ、嘘ついた……!)

そんな人クラスにいない、なんて大嘘じゃないか。
もしかして、あの子クラスの顔をまだ全員覚えていないんじゃなかったのかな。
人の顔を覚えるのは得意、とか言っていたくせに。

ほら、やっぱり幽霊なんかじゃなかった。
何だか肩の力が抜けて、壁に背中を預けたら、今度はだんだんと笑いがこみあげてくる。


「どうしました?」
「ふっ……あはは……っ、ごめんなさい、何でもないの」

どうしても抑えきれなくてクスクス笑ってしまうと、彼はそんな私を目を細めて見つめ返してきた。
妙に暖かい視線がくすぐったい。
慈しむような目ってこういうのかな、と馬鹿なことを考えてしまい、恥ずかしくて私は慌てて他の話題をふってみた。


「そういえば、自己紹介してなかったよね。私、みょうじなまえっていいます」
「ええ、知ってます」
「え?」
「ボクは黒子テツヤです。バスケ部に所属しています。よろしくお願いします」
「あ、よろしく」

彼の言葉が一瞬引っかかったが、あまりに自然に流されて、もしかして聞き間違いだったのかな、と自分を納得させた。
それよりも、彼がバスケ部という事実に驚く。


「バスケ部なの? 何か意外」
「よく言われます。ボク、そんなに運動できなさそうに見えるんでしょうか?」
「あ、ううん、そういうのじゃなくて……なんか、文学少年、って雰囲気だから」
「ああ、それはあながち間違いではないと思います。文学少年と名乗れるほどではありませんが、本は好きですから」
「あっ、ホント? よかった、私のイメージ、あんまり間違ってなかった」

そんな他愛もない話に流されて、何気なく私は切り出した。


「そういえばね、私よく黒子くんのこと見かけるんだ。何度か目あってたんだけど、気づいてた?」

彼はこくりと頷いて言った。


「ええ、もちろん。ボクが視線誘導していましたから」
「…………はっ?」


彼の言葉に、私は目を丸くする。
視線誘導って何? どういうこと?

ぽかんとする私と対照的に、黒子くんは涼しい顔で自分のジュースを飲みほした。
そして、空になった缶を掲げて言う。


「ボクを見ていてください」
一拍の間をおいて、黒子くんはいきなりその缶を放り投げた。
その突然の行動に驚くと、缶は自販機横に設置されていたゴミ箱に真っ直ぐ吸い込まれていく。
「……ほら、もうボクを見ていない」
言われて、ハッと彼に顔を向けた。思わず缶を目で追ってしまったのだと気づく。

「ボクは今、あなたの視線をボクから外し、缶を追うように誘導しました。これが視線誘導です。これは簡単な例ですが、ボクこういうのが得意で」
「そう……なんだ?」

と言われても、なんかイマイチぴんとこない。
それと私が黒子くんをよく見かけることに何か関係があるのだろうか。
首を傾げながらもとりあえず頷いてみると、黒子くんがニコリと微笑んだ。

その笑みに、何故かぎくりとする。
柔和な表情なのに、冷や汗が出てくる。何で。


「実は、ボクすごく影が薄いらしいんです。クラスメイトに覚えてもらえることはほとんどありませんし、目の前に立っても気づかれないこととかしょっちゅうです。
ましてや、人ごみの中でボクを見つけられる人なんて、未だ出会ったことがありません」

「え? でも私……」


私はあなたをいつも見かけていたのに、と言おうとしたけど、言葉が出てこなかった。
彼が、私に迫ってきていたからだ。
本能的に後ずさろうとしたけど、壁が邪魔をしてこれ以上下がれない。
どうしよう、どうしようと混乱している私の顔の横に、黒子くんの手がそっと置かれて、私は目を見開いた。


「あなたは、ボクに視線誘導されて、ボクを見るよう仕向けられていたんです。
みょうじさんに、ボクを意識してもらうために」


黒子くんが近い。壁と彼の間に挟まれて、私には逃げ場がない。
彼の大きな目に見つめられて、息がうまくできなくなった。
穏やかに細められたその瞳に灯る獣の熱に気づくと、だんだんと動悸が激しくなる。


「ところでみょうじさん」


彼の顔が近づいてくる。
反射的にぎゅっと目を瞑ると、耳に熱い吐息がかかって、私は身を竦ませた。
そして彼は囁く。


「あなたのことが好きです。ボクと、付き合ってくれませんか?」


唐突な告白に、頭の中が真っ白になると同時に。
物腰の柔らかい文学少年、という彼の第一印象は間違っていたことを悟った。



(私は彼を捕まえて、彼は私を捕まえた)


*キリ番280000 あさざさまリクエスト作品。
捕まえたのは、視線と恋とその他もろもろ。


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