文学少女の逃走



(※文学少女の苦悩 の続き)



前略、お父さんお母さんお元気ですか。
私はあまり元気じゃありません。

要約すると、ヘルプミー。
そんな文章を便せんにしたため、私を助けて郵便屋さん、と叫びながらポストに投函。
しかしこの郵便屋さんはサボり魔で、お仕事をしてくれたことは一度もない。

だから、ほら。


「おい、なまえ」
今日もガングロ男が、私を威圧するのです。



「探したぜ、なまえ」

彼はどっかりと図書室の椅子に腰掛ける。
ああ、私の城が占拠された。

ビクビクと怯えながら私は机を挟んで正面に座るその男を恐々と見つめた。
青峰大輝。
同じクラスで隣の席という以外はなんの関わりもなかったはずだし、関わりたくなかった人。


「な、何のご用でしょう」

"本の山に埋もれて幸せな一時を過ごしましょうアンドこの小難しい本たちが青峰くん避けとして働くはず"作戦──略して図書室籠城作戦、失敗。

残念に思うと同時に、彼が図書室という神聖な空間に足を踏み入れることができたことに純粋に驚く。
悪魔は教会に入れないのに、青峰くんは図書室に入れるんだ。
人類史に残る大発見。


「気分、悪くない?」

一応尋ねてみると、青峰くんは怪訝そうに眉を寄せた。
そうすると顔の凄みが増して、反射的に私は身を竦ませる。

「別に何もねーけど、何だよいきなり」
「それならいいです、何でもないです、気にしないでください」

早口で会話を打ち切りながら私は本に目を戻した。
こうなったら私にできることはスルーもといシカトしかない。


今日のお供は名作文学と呼ばれる類の本。
あらすじを聞いた限りでは現代ではありふれた設定だと思ったが、実際に読んでみるとこれが中々奥が深い。

「なまえ」

特に主人公の葛藤の場面なんか、目から鱗の気分だ。
なんというか、着眼点が違う。
もし私が主人公と同じ状況に陥ったとしても、こういう考えは持てないだろう。

「おい、なまえ」

やはり名作は名作と呼ばれるだけの謂れがあるなと実感。
こういうお堅い本は何となく敬遠しがちだったけど、やはり教養として読んでおくべきかもしれない。


「なまえ!」
「っ!? ふぁい! え、あっ」

大きな声で現実に引き戻され、私は驚いて変な声をあげてしまった。
慌ててきょろきょろすると、正面で私を睨む青峰くんと視線がぶつかる。

「シカトしてんじゃねーよ」
「え、あ、ごめんなさい、聞いてなかった。何の話?」

本を読み始めたのは彼をシカトしようとしてのことだから、厳密にはわざとシカトしたことになるんだけど。
でも本を読み始めてからのことはわざとじゃない。
聞こえてなかった、本当だ。
集中すると周りが見えなくなる、私の悪い癖。


そんな私を見て青峰くんは、ため息をついて半眼で私を睨む。

「テツもお前も、本の何がそんなに面白れーんだか……わっかんね」
「はぁ」

テツってどなたでしょう。わっかんね。
真似っ子して心の中で呟く。


「あ、テツで思い出した。オレお前に言いたいことがあったんだわ」

青峰くんがぽんと手を叩いた。
しかしすぐに、あー、と唸りだす。
宙を泳ぐ視線。その彷徨い具合から察するに。


「…………言いたいこと、忘れたの?」

尋ねると、青峰くんはぼりぼりと頭をかきむしった。
図星のようだ。

「いや、おおよそは覚えてんだけど……テツから聞いたんだよ、何だったけな……本好きなら絶対喜ぶってテツが言ってたんだけど。テツが何て言ってたか分かるか?」

「すみません、私エスパーじゃないんで」

そのテツさんという人と知り合いでもない私がそれを察するのはほぼ不可能に近いと思う。
ていうか、言いたいこと忘れてここまで来るってどういうこと?


あー、うー、と唸りながら必死に記憶を掘り起こそうとしている青峰くんを黙って見つめる。

こうやって私を睨んでいなければ普通にカッコいいのにな、この人。
タイプだとか言って私をからかって付きまとうような、ちょっと難ありな性格も惜しい。

でももしこんなカッコいい人に本気に想ってもらえるなら、もう少し素直に喜べるのかも、と荒唐無稽なことをぼんやり考える。

なんてファンタジー、本の読みすぎ。
そう思ったそのとき、青峰くんがようやく思い出したらしくて、あっと声を上げた。


「そうだ! えーと、あれだ。『夜空が綺麗だな』!」


「…………はい?」
私はぽかんと口を開けてしまう。

残念ながら今はまだ夜空は現れない時間帯だ。
ていうか、ここ屋内。空見えない。


私のその反応を見て、青峰くんは怪訝そうな顔をする。

「んだよ、知らねーのかよ! お前本ばっか読んでるくせして」

お前なら絶対意味が分かるってテツは言ってたのに、と声を上げる青峰くん。
私から言わせてもらうと、無茶言うなって感じ。
テツさんも随分と無茶ぶりをしてくれたものだ。

「えーと、何か小説のセリフ?」
「ちげぇよ。野口英世の言葉だよ」

野口英世? ますますもって分からなくなった。
そりゃ野口英世だって夜空くらい見ただろうし、それを綺麗だって言うこともあっただろう。
私ですら言う。名言要素はゼロ。

おそらく、というか絶対、青峰くんは覚え違いをしていると思う。
だって全く話が繋がってないもん。
いったい誰の何を間違えたら「夜空が綺麗だ」なんてセリフ――。


「あ」

ふと、思い浮かんだセリフがあった。
何となく、近い気がする。
けど、もしこのセリフのことだったら、ちょっと。


「どうしたよ」
「あ……えっと、いや、青峰くんもしかして…………」

これ、聞かなきゃいけないのかな。
まさかとは思いながらも、おそるおそる、私は尋ねた。


「……もしかして、夏目漱石の『月が綺麗ですね』のこと?」

違っていてほしい、そんな願いを込めながらそっと彼を伺うと。


「あ、それだ! やっべ、間違えたわ」
ぽんと手を叩く青峰くんに、くらりと眩暈がした。

まさか、まさか。

「テツがな、文学少女に告るならこの言葉がいいって教えてくれたんだよ」
その言葉が私に追い打ちをかける。

「こ……告白…………?」
「そ、告白」

驚きと焦りで震える私の言葉に、青峰くんはさらりと頷く。

「で、返事は?」

机に肘をついて私を見つめる青峰くんの視線が痛い。
私はスカートをギュッと握りしめた。


「返事、っていうか…………こういうのって他の人にした方が面白いんじゃ……?」
「は?」

怪訝そうに眉を寄せた青峰くんに私は畳みかけるように言う。

「わ、私、こういう方面でのからかいには慣れてないし、だからこういうの本気な感じにしちゃうっていうか、その、あんまり面白い反応できないから…………」


「おい、ちょっ、待てよなまえ」

青峰くんがぐっと身を乗り出してきて、私はビクリと肩を震わせた。
怖い、睨んでる、怖い。

「まさかてめぇ、ずっとオレがお前のことからかってると思ってたのか?」
「え、違うんですか」

その眼光の鋭さに怯えつつも驚いて言うと、青峰くんは目を見開いて愕然とした表情になった。

からかってたんじゃないなら何だろう。
罰ゲームとか? それだったらさすがに嫌すぎるな。
そうぼんやり考えていると、青峰くんははーっとため息をついた。


「お前って本当に…………どうしようもねぇヤツだな」
「は!? ひど……っ」

そこまでいわれる覚えはない。
ていうか、青峰くんには言われたくない。

「オレがこんな風に女をからかう最低な男に見えるってのか」
「え、いや、それは」

「いや、どう見えてるかはどうでもいーんだよ」

なら聞くな。
という言葉は口の中に留まった。

だって青峰くんが、その鋭い視線で私を射抜いたから。


「オレは本気だぜ、なまえ。さっきの言葉の意味もちゃんと知ってる。……ちょっと間違えたけど、まぁ細けぇことはどーでもいいんだよ。
オレは、本気だ」


大事なことだから二回言いました。
二度重ねる言葉は嘘です。
どちらが本当なのだろう。分からない。


私はまた脳内で手紙を書く。
助けて郵便屋さん。
そう叫ぶけれど、私の郵便屋さんはサボり魔だからこの状況を打開してくれる妙案なんて授けてくれない。

いや、よく考えたら妙案を授けるのは郵便屋さんの仕事じゃないな。
じゃあ誰に助けを求めればいいんでしょうか。分からない。


「――――返事は? なまえ」

言葉を失って硬直する私に、痺れを切らした青峰くんが尋ねてくる。


私はもうこの空気に耐えきれなくて、がたんと椅子を蹴倒して立ち上がった。
そして足早に図書室の出口に向かう。

が、ぱしっと手首を掴まれてしまった。青峰くんにだ。


「逃げんなよ、返事はって聞いてんだよ」


返事。私にどうしろと。
無茶言うな、わかんない、無理、助けて。

"月が綺麗ですね"なんて。
"I love you"なんて。
無理、わかんない、"I love you"なんて、ダメ、わかんない。


ぐるぐると回る思考の中で、そういえば"I love you"には他の訳し方もあったなとふと思い出す。
そう、あれはたしか二葉亭四迷の――。


「なまえ、返事」
「えっ、あっ、私」

まるで私の思考を打ち切るように手首をぐっと握りしめられてパニックになった結果、何故か私は反射的にその中断されたところの思考を大声で叫んでしまった。


「し、『死んでもいいわ』!」


叫んでから、はっと我に返って、しまったと思う。
青峰くんも驚いたのか、ぽかんとした顔をしてその手の力が少し緩んだ。
その隙を見計らって私はバッと彼の手を振り切り、駆け出した。


「あ、おい!」
静止の声も無視して図書室を飛び出し、廊下を走る。


ありえない。
何を口走ったんだ、私は。
いくら混乱していたからと言っても、あれはありえない。
青峰くんがあの言葉の意味を知ってるとは思えないけど、知っていても知らなくてもあの言葉はありえない。

「死んでもいいわ」なんて。
そんな。


心臓がうるさいのは走ってるせい。
顔が熱いのも走ってるせい。
あの言葉は反射的に出ちゃっただけで、けして深い意味はない。
あの場でそう言い訳していれば。
後悔しても遅い。


脳裏には、まっすぐに私を見つめてきた青峰くんの視線がちらついて離れてくれなかった。
"もし彼が本気だったなら"って考えた自分やら、"深い意味はない"とまるで自分に言い訳しているような自分やら。
そんな色んな自分と青峰くんの真っ直ぐな視線、すべて振り切るために、私はひたすらに走った。



(追いかけてきた彼に捕まるまで、あと3秒)


*100000hitフリリク企画 dropさま、秋さま、その他複数の方からリクエストいただき、200000hitお礼続編アンケート11位だった「文学少女の苦悩」続編です。
有名な和訳ネタですが、分からない方は「夏目漱石 I love you」や「二葉亭四迷 I love you」でググってみてください。


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