近距離恋愛



(※遠距離電話 の続き)



『新幹線をご利用いただきましてありがとうございます。まもなく14番線にのぞみ58号が到着いたします。黄色い線の内側までお下がりください。』


そのアナウンスに、私はドキドキと高鳴る胸を押さえて線路の先を見つめる。
やがて見えてきた滑らかな流線型。
静かにホームに滑り込んできたそいつは、私の前に8号車の扉をぴったりと止めてくれる。

その扉が開くまでのわずかな時間がもどかしい。
逸る心を抑えながらも、降りてくる人の邪魔にならないために私は数歩下がって、その瞬間を待った。

永遠のような一瞬の間をおいて、車両の扉が開くと他の車両からは、疲れた顔のサラリーマンたちが大量に吐き出される。
金曜の夜23時前といえば、まぁ乗客層はサラリーマンがほとんどだろう。


しかし、この8号車の扉から降り立ったのは。
ラフな格好、赤い髪、肩にかけられた洛山バスケ部のエナメルバッグ。
モノクロのサラリーマンたちの中では場違いに鮮やかな彼の姿。


「なまえ」

名前を呼ばれて彼の瞳に私が映った瞬間、きゅうっと胸が締め付けられた。
機械越しじゃない彼の声が、柔らかく鼓膜を震わせる。


「征十郎」

私が名前を呼ぶと、征十郎が何かを堪えるようにわずかに唇を引き結ぶ。
ほんの少し頬が赤くなったような気がして、もしかして彼も私と同じように心臓が変な音を立ててるのかな、と思うと何だか嬉しくなり、私は彼の胸に飛び込んだ。


「お帰りなさい、征十郎」

彼の胸あたりのシャツをそっと掴んでぴったりと身体をくっつけると、征十郎がクスリと笑ったのが分かった。
しかし、いつもならここで私を包み込んでくれる腕が、いつまでたっても来てくれない。
不思議に思って征十郎を見上げると、苦笑しながら両腕を持ち上げた。

「熱烈な歓迎ありがとう。しかし残念ながら、手が塞がっているんだ」
その両手に下げられた紙袋の数に仰天する。

「何これ、どうしたの?」
「土産だ」
「えっ、これ全部!?」

ますます仰天する。
それなりの大きさの紙袋が右手に3つ、左手に4つ。
よく見ると小さい紙袋やビニール袋がいくつかまとめられて大きい紙袋に入れられている。


「どこかに行く予定があるの?」
私が尋ねると、征十郎は怪訝そうに眉をひそめる。

「何でだ」
「だって……この量。どっか親戚の家とかに挨拶に行かなきゃいけないのかと思って」
「そんなわけないだろう。今回はお前のために帰ってきたんだぞ。全部お前への土産だ」
「えっ」

私は征十郎の顔とその手の紙袋を見比べた。

「これ、全部?」
「もちろん。…………ああ、違うな。こっちの青い紙袋だけは親御さんに渡してくれ。よろしく伝えておいてくれるとありがたい」

そう言って示されたのは、7つの紙袋の中では一番小さい、老舗和菓子屋の紙袋。
小さいとは言っても、その中では、というだけで単体で見るとこれもなかなかの大きさだ。
それは私の両親が好きなお菓子で、そのソツのなさに思わずため息が零れた。


「どうした。違うものがよかったか」
「ううん、そうじゃなくて………………まぁ、いいや」

いろいろ言いたい気もするけど、よく考えてみれば征十郎のお土産攻撃は、今に始まった話じゃない。
それにしても今回は多すぎるが、まぁ征十郎だし仕方ないか、と受け入れる。


「とにかく、お帰りなさい。会いたかった」

彼を見上げながら、ニッコリ笑ってそう言うと。
征十郎の首が軽く傾けられ、次の瞬間には唇にキス。

「んっ、うわっ」
驚いて飛び退くと、征十郎の瞳に剣呑の色が浮かんだ。

「何で驚く」
「普通驚くよ! こんな、いきなり」

しかも公共の場で。
羞恥心に顔を赤く染めると、征十郎が不機嫌そうな顔をした。

「キスしに帰る、と言っておいただろう。こんな夜遅く危ないのにわざわざ迎えに来させたのも何のためだと思っている」
「それはそうだけど………………っ」


そりゃあ、何となく覚悟はしていた。
伊達に征十郎の彼女をやっているわけじゃないから、意外と常識外れな征十郎が人前でのこういう行為に羞恥心を持たないことも身を持って知っている。

だけど私は人並みに羞恥心を持っているし、心の準備だって要る。
征十郎とは違うのだ。
そこは分かってほしい、と目で訴えると、征十郎はため息をついた。


「仕方のない奴だな。分かった、舌はいれない」
「そういう問題じゃないっ」

トンチンカンな彼の言葉に思わず額を押さえる。
こんなところでディープキスするつもりだった彼の羞恥心は一体どこに忘れ去られてきたのか。何でそういう大事なものを京都に置いてきてしまったの。

羞恥心と複雑な怒りを込めた瞳で彼を睨むと、征十郎はまたため息をついて。


「…………分かった。来い」

そう言って歩きだした征十郎に安堵する。
諦めて、家に帰るのだろう。と思ったのに。

まっすぐ階段に向かうと思った征十郎の足は、何故か階段を素通りしてその裏手に回った。
そのまま階段の裏と、こちらに背を向けて立っているキヨスクの間のわずかな隙間に入り込む。
何かあるのかと首を傾げながらもついていくと。

立ち止まってこちらをちらりと振り返った征十郎の瞳に宿った熱にぎくりとした。


「ここの壁に背を預けろ」
「えっ……どうして」
「ここなら人からほとんど見えないだろう。僕でお前を隠してやるから、キスさせろ」
「えぇ?」

嫌な予感的中だ。
私は今相当間抜けな顔をしているだろう。
征十郎はそんな私の背中を押して、壁と自分の間に挟み込んだ。

「あんな軽いキスで僕が満足すると思ったのか。足りるわけがないだろう、馬鹿にするな」

デジャヴを感じるセリフと同時に私の唇は塞がれてしまう。
私の唇を啄むように、ちゅ、ちゅ、とバードキスを繰り返す。

「んっ………………」

思わず声が漏れると、征十郎がクスリと笑ったのが分かった。
ぺろりと私の唇を舐めて、角度を変えて再びバードキス。
執拗に何度も繰り返されるその可愛らしいキスに、逆に羞恥心を煽られる。


それに、久しぶりのキスのせいだろうか。
だんだん頭が熱に浮かされたようにぼーっとしてきて、ふらふらしてきて。
気づけば私は征十郎のシャツを掴んで顔を上に向け、自分からキスをねだるような体勢になっていた。
そのことに気づくとますます恥ずかしくなってしまう。
鏡を見なくても分かる。私の顔はもうみっともないくらいに真っ赤だろう。


「っ……せい、じゅうろっ…………」
「…………可愛いな、お前は」

その優しい声とともに降ってきたキスを最後に、征十郎がようやく私を解放してくれた。
何故か足の力が抜けて座り込みそうになってしまうのを、彼にしがみついて必死に耐えていると、征十郎が耳元でそっと囁く。

「とりあえずは満足した。続きは家だ。これ以上ここでやるわけにはいかない」

帰ろう、と私の脇を支えるように腰に手を回した征十郎の余裕っぷりに何だか腹が立ったが、敵うはずもないので仕方なく私は頷いた。


***


私がお風呂から上がると、征十郎がリビングにお土産の山を広げていた。
お菓子類やお茶、和柄の小物、コスメ雑貨などなど、種類も量も相当なものだ。
小さいお店が開けてしまいそう。

しかし私はそんなことより、征十郎の髪がまだ濡れているのを見て、顔をしかめる。

「征十郎、風邪ひいちゃうよ」
「ひかない」
「だめ。ドライヤーするからそこ座って」

きっぱりと私が言うと、征十郎はしぶしぶといった様子でソファに腰かけた。
その後ろに立ってドライヤーの熱風をあてると、柔らかな彼の髪はさらさらと踊った。
彼の性格からは想像できないようなふわふわのさわり心地を指先で楽しむ。

「征十郎の髪ってさわり心地いいよね」
「僕はなまえの髪の方が好きだよ」
「もう……またそんなこと言う」

誰がどう見ても、征十郎の髪の方がいい。
鮮やかな赤色も、猫みたいにふわふわした毛先も、綺麗な頭の形も、全部いい。


そう思いながら、あっという間に乾いた彼の髪を指で梳いていると何となく閃いて。
私はその旋毛にちゅっと口づけた。

「私は征十郎の髪の方が好きだよ」
「っ!」

彼の言葉を真似てそっと囁いてあげると、驚いたように頭を押さえてバッと私を振り返る征十郎。
そのムッとした表情は照れ隠しだって知っている。
征十郎が照れているという事実が何だか妙に可笑しくて、私はクスクス笑いながらソファから離れようとしたけれど。


「どこへ行く」

征十郎に手首をグッと掴まれて、引き寄せられた。
バランスを崩した私は転げるようにソファに倒れ込み、そのまま征十郎にぽすんと抱きとめられてしまった。

「乾かしてくれた礼だ。お前の髪を梳かしてやろう」

楽しそうな声音が耳元で響いたと思ったら、次の瞬間には征十郎の体温は離れていた。
そしてリビングに広げてあったお土産たちの中から、綺麗に包装された掌くらいの大きさの箱を拾い上げる。
それをぽんと私に投げよこした。


「開けてみろ。お前へのプレゼントだ」
「へっ?」

話についていけず、ぽかんとしてしまう。
何故いきなりお土産の話になったのだろうか。
首を傾げながらも、その包みを開けてみたら合点がいった。

その中身は櫛だったのだ。


「可愛い…………」

無意識にそう呟きながらその櫛を箱から取り出して、しげしげと眺めた。
木でできたそれは丸みを帯びたフォルムもあってか、優しく手に馴染む感触がした。
舞妓さんとかが使ってそうなイメージの上品な櫛だ。
蒔絵で描かれた桜の模様もその上品さを引き立てる要素のひとつになっている。

「お前のために選んだ柘植の櫛だ。気に入ってくれたか」
「うん、すごく……! 可愛いし、綺麗!」
「よかった。貸せ、それで髪を梳いてやろう」

隣に座る征十郎に促されて、私はその櫛を手渡し彼に背中を向けた。


「柘植の櫛は、梳けば梳くほど髪が綺麗になる櫛だ。ぜひ使い続けてくれ」

言いながら征十郎は私の髪に櫛を入れていく。
櫛の歯が地肌にあたる感覚や、征十郎の指が首筋にあたる感覚にドキドキする。
人に髪を触られているからだろうか。それとも征十郎に髪を触られているからだろうか。

「そう緊張しなくても、取って食いやしない」

私が身を固くしているのを見て、征十郎はクスクス笑いながらそう囁いた。
その優しい声に胸がきゅんと高鳴る。
愛されてるなぁって、ふと実感していると。


「ところでなまえ…………男が女に櫛を贈る意味は知っているか?」


征十郎がまた囁いた。
その真面目な声音に、何の話だろう、と私は内心首を傾げながらも、素直に「知らない」と答えた。
髪を梳かす手は止めず、征十郎はフッと笑う。

「本来、櫛は贈り物に適していない。「櫛」すなわち「苦死」、苦しみや死などのよくないものに通じるからだ。
しかし、男が女に贈る場合には少し意味が異なる」

征十郎が、櫛を脇に置いた。
そして次の瞬間。

お腹に回された征十郎の右手で身体を引き寄せられ、背中にぴったりと征十郎の体温を感じる。
もう彼の片方の手は私の左手を掬ってギュッと握りしめた。
肩に彼の顎が乗せられ、耳元に彼の吐息を感じドキリと胸が高鳴る。


「男が女に贈る場合、櫛が持つ意味は『苦楽を死ぬまでともにしよう』。または『苦しい思いをさせるだろうが構わないか』。
他にもさまざまな解釈があるが、最終的にこれらが指す意味合いは1つ」


征十郎が私の左手の、薬指をそっと撫でた。
おそらく顔は真っ赤であろう私の耳元で、征十郎はまるで内緒話のように低く囁く、その言葉は。


「僕と結婚してほしい」


その瞬間、心臓が変な風に締め付けられて、胸が詰まって苦しくなった。
何か言おうと思ったのに、喉も詰まって言葉が出てこない。
落ち着こうと思って深呼吸をしようとしたけどできなくて、結局浅い呼吸を数回繰り返して、ようやくか細いながらも声を発することができた。

「せ、征十郎………」
「なんだ」
私の震える声に、優しい声音が返ってくる。


何を言えばいいの。征十郎は何を言ってるの。
分からない。嬉しい。どうすればいい。
私でいいの。非現実的だ。嘘でしょ。

相反するいろんな感情がごちゃまぜになって、言葉が行方不明だ。
迷子の言葉を探すために口をぱくぱくさせるけど、酸素が取り込まれるだけで。


「……そんな冗談、征十郎らしくない」

結局私の口をついたのはそんな言葉。

こんなの、嘘。
征十郎は軽はずみに発言しないことくらい知っている。

でも、じゃあ本気なのか。
そう問われると困る。
だってこんなの、子供同士のカップルによくあるただの口約束だ。
分かってるのにそう割り切れないのは、私もそんな未来を期待しているから。


「冗談だと思うか」

征十郎はそんな私を見透かすかのようにクツクツと喉を鳴らして笑う。
私の左手の薬指を弄ぶ彼の指先が優しくて、胸が痛い。


「お前が冗談だと思うなら、それでも構わない。現実問題として、僕は18歳までは結婚できないし、18になってすぐに籍を入れるわけにもいかないだろう。
こんな口約束をしたところで、それが果たせるのは何年先になるか。その不確定の未来を夢物語だと思うならそれでもいい」

だが、と続けながら征十郎は私の左手を目の高さまで持ち上げた。


「僕がほしいのはそんな未来の約束じゃない。今、現在の話だ」

征十郎の長くて綺麗な指が私の指に絡められる。
2人の指が目の前で絡まると、彼のそれに比べて私の指はずいぶん細く頼りなげに見えて、何となく気恥ずかしくなった。


「明後日には僕は京都に戻る。そのことでお前が寂しい思いをするのが分かっていても、だ。
でも。この約束がある限り、僕は必ずお前の元に帰ってくる。いつもお前のことを想う。
僕となまえはずっと繋がっている。離れているのは物理的な距離だけだ」

征十郎の手が私の手を引き寄せた。
つられてその手を視線で追うと、征十郎の瞳に囚われた。
鼻先が触れそうな距離。
征十郎はその不思議な色の瞳を私から逸らすことなく、引き寄せた私の左手の薬指に唇を押し当てた。


「どんなに離れていても、僕は必ずお前の元に帰ってくる。これはそのための約束だ。
……これでもう、寂しくないだろう?」

そう尋ねる征十郎の声音が、ひどく優しくて。
つんと鼻の奥が痛くなった。


やっぱり征十郎はずるい。
いっつも私を見透かして、振り回して、自分だけ涼しい顔をして。
私が思ってるよりもずっと、私のことを想っているんだ。


「――あのね、征十郎」
ようやく絞り出したその声は、自分でも驚くほど弱弱しかった。

「寂しかったの」

そう口に出したら、その感情は急に私に迫ってきて。
ぼろりと零れた涙に、征十郎の瞳が細められた。


「すまないな、辛い思いをさせて」

征十郎は私の左手をそっと降ろし、ソファに押し付けるように力強く握りしめる。
間に何もなくなった私たちの顔はだんだんと距離を詰めて。
吐息がかかる距離で、征十郎が再び囁いた。


「僕と結婚すると、約束してくれるな?」

その問いに、一瞬躊躇ってから小さく頷くと、征十郎の唇が私のそれに重ねられた。
それはまるで、結婚式の誓いのキスみたいで。
きゅーっと苦しいくらいに胸が締め付けられた。


唇を離して見つめ合っていると、彼がふと思いついたように口を開く。

「――――そういえば、もうひとつ約束をしていたな」
「え? …………ひゃっ」

征十郎の身体が一瞬離れたと思ったら、背中と膝の裏にそれぞれ手を回され、ひょいと身体が浮いた。
私を横抱きにして立ち上がった征十郎の首に慌てて腕を回すと、征十郎は楽しそうに口端を持ち上げる。


「帰ってきたら、次会う時まで足りるようにいっぱい抱きしめる約束だった」
「え、あっ、あれは、その……!」

忘れていた。そういえばそんなことを言った気がする。
間違いなく本心からの言葉ではあったけれども、改めて彼の口からそれを言われると恥ずかしくて戸惑ってしまう。
彼はそんな私を見て、クスクスと笑った。

「もう寝よう。今夜はずっと抱きしめていてやる。次会うときまで足りるように、ずっと」

私を抱き上げたまま、彼は肘でリビングの電気を消して、寝室へ。
ぽすんとベッドに優しく寝かされて、彼も隣に潜り込んできた。

「征十郎、朝ごはんの準備してない……っ」
「構わないよ。明日の朝やればいい」

横向きに寝転がる彼の伸ばされた腕が頭の下に敷かれた。
彼のもう片方の腕は布団を私の肩のところまで引き上げて、ぽんぽんと幼子をあやすようにお腹の辺りを優しく叩かれる。


「せっかく帰ってきたんだ。お前をこの腕に抱いて眠りたい。次会うときまで足りるように」

そう囁く彼の声音がまるで、幸せだよ、と囁いているかのようで。
ここで流されてしまっていいのだろうか、と自分に問うてみたけれど。
暖かい体温と一定の柔らかいリズムが心地よくて、私の意思など脆くも崩れ去る。

そう、せっかく彼が帰ってきてくれたんだから、いっぱい甘えないと、と思って。
彼との距離がゼロになるようにすり寄って身体をぴったりとくっつけた。
私も幸せだよ、という気持ちが言葉の代わりに伝わるようにと。
ギュッとくっついて彼を見上げると、彼の柔らかな笑みとともに、「おやすみ」とキスが降ってきた。



(次会えるのはいつになるのかな)
(来週だ)
(え?)
(来週の三連休だ。帰ってくると言っておいただろう)


*200000hitお礼続編アンケート1位およびハスキさまリクエスト作品です。
これを書くためにいろいろ調べていたら、京都に行きたくなりました。


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