刹那、君を求める



(※死ネタ、火神視点)



――黒子くんが最近、変なのよ。少し見ていてもらえない?


カントクにそう頼まれたのは、今日の朝練の後だった。
どういうことだ、と尋ねる前にカントクは続けて言った。


――具体的にどう変か、って聞かれると困るんだけど……でもたしかに、変なの。

違和感がある。
カントクはそう言った。

オレは別に何も感じないが。
そのことを伝えてもカントクは首を振るだけだ。


――とにかく、変なのよ。だから火神くんに、どこが変なのか突き止めてほしいの。


何でオレが。
そう思ったけれど、カントクの切羽詰まったような顔を見たら何も言えなくなった。

カントクの観察眼のことはよく知っている。
そして選手のことを何よりも大事に思っていることも。
カントクがここまで言うのなら、きっと何かあるのだろう。


分かりました。
オレがそう頷くと、カントクはほっと安堵の息を吐いた。

しかし引き受けたはいいものの、オレは黒子の異変について全く分からない。
だからカントクに尋ねてみた。
心当たりはないのか、と。

するとカントクは躊躇うように視線を泳がせながら、しばらくの沈黙した後ぽつりと言った。


――確証はないわ。だけど…………黒子くんが変になったのは、

カントクの視線を落としながら、声を潜めて続けた。


――なまえちゃんが死んだ後からよ。


その言葉に、オレは息を呑んだ。



***


言われてみたら、たしかに変だった。
黒子の恋人だったみょうじなまえが死んだのはたった一か月前のこと。

いくら黒子といえど、落ち込まないはずがない。
それなのに、黒子は妙にあっさりとしていて、いつも通りに見える。


黒子はみょうじのことをそんなに想っていなかったのだろうか。
いや、そんなわけがない。
オレですら、黒子がみょうじを何よりも大事に想っていたのは分かっていた。

じゃあ何で落ち込んでいないんだ。
気持ちの切り替えが早すぎないか。


「あー……」

ひたすらに考え続けたが、結局分からずじまいだ。
それどころか考えすぎて頭が痛くなってきた。
本当に黒子は変なのか、とそこから疑いたくなってしまう。
やっぱりカントクの気のせいなんじゃないのか。
そう考えると、オレを悩ませているのが黒子だということが無性に腹立たしい。


「ちっくしょう……黒子の野郎…………」

「ボクがどうかしましたか?」
「うおぉぅ!?」


唐突に背後からかけられた声に、オレは飛び上がった。
バッと振り返ると、そこには相変わらず何を考えているのか分からない無表情。

「火神くんが悩み事なんて珍しいですね。もうお昼ですよ」
「っるせー!! 毎回びびらせんじゃねぇよ!! 普通に出てこい!!」
「出てくるも何も、ボクずっとここにいましたけど」
「うるっせーよ!!」

相変わらずバスケ以外だとムカつく奴だ。
影は薄いし口は悪いし食は細いし、全く気が合わない。


そう思いながら何気なく黒子の机を見ると。

「……………あ?」
「何ですか?」
「いや………お前そんなに食えたっけ?」

黒子の机の上には、サンドイッチが2つと菓子パンが1つ。
オレからしたらおやつにもならない量だが、普段の黒子の食事量からしたら倍以上だ。

「………食べられませんよ、こんなに」
「じゃあ何でこんな買ったんだよ」
「間違ったんです」

何だそれ。
これ間違うっていう量じゃねぇだろ、と言おうとして口を開いたところでハッとした。


思い出した。
黒子は、1か月前まではこの量を買っていたんだ。

「…………みょうじの分も買っちゃったのか」
「はい、うっかり」

昼食の用意を何故か当番制にしていた黒子たち。
黒子が当番の日は、必ずサンドイッチが2つと菓子パンが1つ。
ひとつずつサンドイッチを食べたあとに、デザートとして菓子パンを半分に分け合って食べていた。


「ちょうどいいから、あげます」

はい、とサンドイッチをひとつ差し出してくる。
オレは少し躊躇いながらもありがたく受け取った。

「それは食いきれるのか」

黒子の手元に残ったのはサンドイッチが1つと菓子パンが1つ。
これでも黒子にとっては多すぎるくらいだから、念のため尋ねてみたら、黒子はムッとしたような顔をした。

「これはなまえさんの好きなパンだから、火神くんにはあげられませんよ」

その言葉が、何故か変な感じがした。
が、特に気に留めることもなくオレは黒子にもらったサンドイッチの袋を破る。

「別に欲しがってるわけじゃねーよ! てか、みょうじが好きだったパンとか聞いちまったら余計にもらえねーし」

オレの言葉に、何故か黒子は息を止めた。
その反応に驚いて、何か変なことを言ったか、と自分の言葉を顧みていると、黒子は唐突にずいと腕を突き出す。


「やっぱりあげます、このパン」
「は?」

半ば無理矢理押し付けられたのは、さっき自分で「あげない」と言った、みょうじが好きだったという菓子パン。
この意味不明な行動の連続に、少しいらっとする。

「てめ、自分でさっきやらねーって言ったんじゃねぇか!」
「気が変わりました。あげます。食べきれません」
「何なんだてめーは! ったく」

ぶつぶつと文句を言いながら、渡された菓子パンを見つめる。
ころころと言うこと変えやがって。
意味わかんねー。


まぁでも、黒子が食べきれないのは事実だし、くれるっつーもんならもらっとく。
ちょっと心情的に食べづらいが、仕方ない。
ありがたくオレの机のパンの山に加えながら、ふと思った。

もしかして、カントクのいう"違和感"というのは、こういう行動かもしれない、と。



***



それからしばらく、黒子のことを注意して見るようにしていた。
まぁ見失うことの方が多かったが、努力の結果ひとつ分かったことがある。


まず、黒子の違和感の理由はやはりみょうじ関連だ。
はっきりとした根拠はない。勘だ。
黒子の、みょうじに関連する言動や行動が何かおかしい。

だが、どこがおかしいか分からない。
カントクにそのことを相談してみたが、カントクはいまいちピンとこないらしく、引き続き調査の続行を命じられた。
まぁみょうじとカントクは直接的な知り合いではなかったし、カントクは黒子とみょうじの話のような立ち入った話をする仲じゃないから、当然といえば当然だが。


しかしこれ以上考えたところでオレに答えが分かるとは思えない。
そこで、オレは思い切った行動に出ることにした。


「黒子、ちょっといいか?」
部活後、帰り支度をしている黒子を部室で呼び止める。
「この後ちょっと付き合えよ」
オレの言葉に、黒子は困ったように眉を寄せる。

「すみません、今日は……」
「なんだよ、何かあんのか?」
「ええ、今日は、」

そこまで言って、黒子はハッと息を止めた。
そして数拍沈黙する。

「――何もありませんでした」
「はぁ? 何だそれ」
「間違えました、すみません」

大して悪びれた様子もなく、しれっと無表情のままそう言う黒子に腹が立ったが、それ以上にオレは再び違和感を覚えていた。


「戸締り頼むぞー」

そう言いながら、キャプテンが出ていって部室はオレと黒子だけになる。
その絶妙なタイミングに感謝しつつ、オレはたった今得た違和感について黒子に尋ねようと口を開いた。


「黒子さ、もしかして今日って」
ベンチに座って、突っ立ったままの黒子を見上げる。

「みょうじのことで何かあったのか?」

その言葉に、黒子はまた息を止めた。
やっぱり、とオレは眉を寄せる。

「火神くんに言ってましたっけ? 今日のなまえさんとのデートの約束」
「いや、知らない。勘で言ってみただけだ」
「そうですか、さすが野生ですね」

褒めてるのか貶してるのか分からないトーンでそう言いながら、黒子はオレの隣に腰を下ろす。

「なまえさんの好きな小説が映画化されて、それが今日公開なんです。映画化が決まったときから約束してて」
「へぇ」

黒子の話に、また違和感を覚えた。
何でだ。分からない。

分からないから、オレは当初の目的を果たすことにした。
遠くに想いを馳せるような横顔に尋ねる。


「あのさぁ……黒子にとって、みょうじってどんな奴だったんだ?」

すると黒子は驚いた顔をしてこちらを見た。


少し不躾な質問だっただろうか。
でもできるならもっとはっきり聞きたいくらいだ。
「何でみょうじの話をすると様子がおかしくなるんだ」とか聞けたらいいんだけど、さすがにそこまで踏み込んだ質問をして、黒子が素直に答えてくれるとは思えない。


「…………唐突な質問ですね」

黒子はため息をつきながら、顔を正面に戻す。
答えてくれる気はあるようだから、オレは黙って黒子の言葉を待った。


「そうですね……なまえさんは、僕の大切な人です。まるで自分の片割れのような気もしています」

ぽつぽつと黒子が呟くように言った。
その言葉にも違和感を感じる。この正体は何だ。


「運命、なんて言い過ぎかもしれませんが、初めて会った時にはそれくらいの衝撃を受けました。出会った瞬間に、ああこの人だ、と思いました。それはなまえさんも同じだったようです。それまで離れ離れだったのが不思議に感じるくらいでした」

完全に惚気だ。
幸せそうに微笑む黒子を見ていると、苛立ちやら憐憫やらいろいろ混ざってごちゃごちゃになった感情が湧き出てくる。
惚気には腹が立つが、でもこれは死んだ彼女に対する惚気なんだ。


「なまえさんはボクの一部なんです。欠けていたものがようやく埋まったような感覚、というのが正しいような気がします。なまえさんと一緒にいるだけで、ボクはとても幸せなんです。
今にも死にそう、と言っても過言じゃないくらい、」


その瞬間、どろりと濃くなった違和感。
心臓が、どくり、と嫌な音を立てた。


「おい、待てよ黒子」
黒子の言葉を遮る。

心臓がどくどくと脈打つ。
気づいてしまった、違和感の正体に。
いや、違和感なんてもんじゃない。
これは、そんな生易しいものじゃ。

「お前、みょうじは、死んだんだぞ?」

オレの言葉に、黒子はハッと息を止めた。
そして、首を傾げながら相変わらずの無表情で言う。

「分かっていますよ? なまえさんは、死にました」

平静な声音。背筋がぞくりとした。
まるで天気の話をするかのように、何の感情もこもらないその薄っぺらい言葉に、恐怖を覚える。

「何で…………じゃあ、何で、お前」

声が震える。
黒子の方を向くと、あの何を考えているか分からない双眸がオレを見つめていた。
その瞳の静けさ。あまりの不気味さに、オレは顔を歪ませながら言葉を続けた。


「お前、何でまだみょうじとまだ一緒にいるような……! 何でまだ全部、現在形で話すんだよ…………っ!?」

オレの言葉に、黒子はまたハッと息を止めた。
もうこれはこいつの癖になっているようだ。
表情は変わらない。相変わらずの無表情。
そしてそのまま、口を開く。


「――間違えました、すみません」


その言葉に、頭がカッと熱くなった。
オレはその衝動に任せて、黒子の胸ぐらを掴む。


「何だよそれ!! お前、ホントに分かってんのか!? みょうじは死んだんだよ!! 間違えたで片づく話じゃねぇぞ!!」

死者のことを、あたかもまだ生きているかのような言い方をするなんて。


思い返せば、黒子の言動も行動も、みょうじが生きていれば何らおかしくないことだったんだ。
昼食はみょうじの分まで用意する。
みょうじの好きなパンはみょうじが食べるから渡せない。
当然のことだ。

だが、実際にはみょうじはもう死んでいるわけで。
オレたちの世界にはみょうじはもう存在しない。
けれど黒子の世界ではまだみょうじは存在していて。

オレたちが感じていた違和感の正体は、この世界の認識の食い違いだ。


「みょうじが死んだなんて認めない、なんてバカげたことでも言うつもりか!? ふざけんじゃねぇよ!! 目ぇ覚ませ!!」

そう怒鳴った瞬間、黒子の瞳の色が変わった。
それを見て、しまった、とオレは自分の間違いを悟る。


「そっちこそ、ふざけるな」


黒子が、逆にオレの胸ぐらを掴みあげてきた。
オレを睨むその瞳は、痛々しいほどの強い光を放っていて。

「ふざけてるわけないだろ。誰が、ふざけてこんなことを言うんだ。なまえさんが、死んだ、なんて……!!」

はっきりと、一言一句言い聞かせるかのように紡がれるその言葉と黒子の迫力に、オレは思わず手を放した。
すると黒子もオレの胸ぐらから手を離して立ち上がる。

くるりと向けられたその背中には、激しい憤りが見えた。


「なまえさんは、死んだんだ!! 分かってる、なまえさんは死んだ!! もういないんだ、分かってる!!」

そう叫びながら、黒子は、どん、と手近な壁を殴った。
その表情はオレからは見えない。

「死体も見た、葬式にも出た、焼かれて骨になった姿も見た! 愛しい人が、跡形もなくなってしまうのを、この目で見た!」

どん、どん、と黒子はひたすらに壁を殴り続ける。
その壁に、赤色がついているのを見てオレは目を見開いた。

「なまえさんは、死んでしまった。ボクの前からいなくなった。死んでしまって、ボクたちにはもう未来はない。分かってる……!」

黒子の声が、だんだんと弱弱しくなる。
壁を殴る手も力をなくして、黒子はずるずるとその場に座り込んだ。


「分かってるんです。ちゃんと。なまえさんがいないことくらい。それなのに…………そのことをうっかり忘れてしまう。まだ世界にはなまえさんがいると思ってしまう。何で、こんな…………っ」

身体を丸めて蹲る黒子の声が震えた。


「こんな間違い、いけないことだって分かってる……! でも、どうしても間違える……っキミたちが、なまえさんのことを過去として話すたびに、思い知らされる……!! なまえさんは死んで、もういないって、分かってる、のに…………!!」


とうとう黒子はその場に倒れ込んだ。
身体を縮めて、丸まる。
ようやく見えた黒子の目に、涙はなかった。
ただその顔を苦痛に歪めていた。


「……苦しい…………っ」
消え入りそうな声で呟かれた、その言葉が全てなのだろう。

黒子は苦しんでいる。
みょうじが死んだ事実、そしてそれを受け入れることを受け入れられない自分に。


オレには、黒子にかける言葉はない。
何も言えない。オレの言葉なんて黒子は求めていない。
だからオレはただ黙って、蹲り苦しげに呻く黒子を見つめる。


見つめながら、考えた。

片割れをなくした黒子の痛みを。
ようやく見つけた自分自身の一部を、根こそぎ剥ぎ取られたその痛みとは、どれほどなのか。

「なまえ、さん…………っ」
きっとオレには一生分からないであろうその痛みに呻き苦しむ黒子を見つめながら、オレは運命とやらをひたすらに呪った。



(こんな結末ならいっそ最初から出会わせてくれない運命の方がよかった)
(満たされる喜びを知らないまま生きたかった)


*100000hitフリリク企画 京さまリクエスト作品。
タイトルは空想アリアさまからお借りしました。


[ back ]
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -