遠距離電話



水曜日の夜9時、私はドキドキしながら携帯を握りしめていた。
逸る気持ちを抑えられず、無意味に携帯を開いたり閉じたりしていると。

その携帯の画面が光って震えはじめた。
画面に映る名前は見なくても分かっている。
私は素早く通話ボタンを押して耳にあてた。

「もしもしっ!」

私の浮かれた声に、電話の向こうで、ふっ、と息を吐き出して笑う気配が伝わってきた。

『相変わらず早いな』

彼の声を聞いただけで、私の胸はどきりと音を立てる。
電話越しの声は直接聞くよりも低く感じて、いつまでたっても慣れることができない。


『変わりはないか』
「うん、大丈夫だよ」

いつものようにそう尋ねる彼に、私は笑いながら頷いた。


毎週水曜日と土曜日の9時からは電話の時間。
遠く京都で暮らす彼と決めた約束事だ。


『再来週の週末はそちらに帰ることにしたよ』
「えっ本当?」

唐突に切り出された彼の言葉に、私は慌ててカレンダーを確認する。


「3連休のところ?」
『ああ。ちょうど部活も休みなんだ』
「嬉しい! 会う時間ある?」
『もちろん。なまえに会うために帰るんだから』

さらりと言われた言葉に私は顔を赤らめる。
大丈夫、電話ごしの彼には見えていない。


「そういうこと言われると恥ずかしいよ。嬉しいけど」

近くにあったお気に入りのぬいぐるみを引き寄せてぎゅっと抱きしめる。
少し拗ねたような声になってしまったかもしれない。


『電話では言葉しか伝わらないんだから、言葉で伝えるしかないだろう』


さも当然のように言う彼。
もともと彼は遠回しな言葉を使わない人だったが、京都に行ってからますますストレートな言葉を選ぶようになっている。


「言葉にしなくても、征十郎が私を好きなのはちゃんと分かってるから大丈夫だよ」

私が言うと、電話の向こうで彼が息を呑む音が聞こえた。


『……こういうのはお互い様じゃないのか、なまえ』

少し怒ったような口調。
でも知っている。これは彼が照れているときの声だ。

それに気づいて、私まで恥ずかしくなってくる。
同時に、あの征十郎が照れているという事実が嬉しくて、私は顔を赤らめながらクスクスと笑った。


「征十郎も知ってるでしょ? 私が征十郎を好きなこと」
『…………当たり前だ』

彼の声がますます低くなる。
もしかしたら、彼も顔を赤くしていたりするのかな。
電話ごしだと顔が見えないのが残念だ。


「…………早く、征十郎に会いたいな」

京都にいる彼の顔を思い浮かべていたら、ふいに寂しさに襲われて、気づけばそう呟いていた。
最後にあったのはいつだろうか。
彼が大会で東京に帰ってきたとき以来かもしれない。

「征十郎にぎゅってしてほしい」

椅子の上で膝を抱えて縮こまる。
彼の優しい腕が懐かしい。
思い出してしまえばそれは溢れ出すように次々と飛び出してきてしまって、抑えられない。
そんなに長期間会っていないというわけではないのに、彼のすべてが懐かしい。
こんな機械ごしじゃない、生身の彼に会いたい。


『…………電話ごしでなければ、今すぐにでも抱きしめてやるのに』

彼が悔しそうに呟く。
その声音に、私はハッと我に返った。
何を言っているんだろう。こんなこと言っても仕方がないのに。


「っごめんね、ワガママ言って。大丈夫、再来週までちゃんと我慢するから」

そこで言葉を切ろうとしたのだけれど。
今なら顔も見えていないし、ちょっとくらい恥ずかしいことを言っても大丈夫かな、と私はドキドキしながら小さな声で付け足した。


「そのかわり、帰ってきたらちゃんといっぱいぎゅってしてね? 次会う時まで足りるように、いっぱい」

口に出したら予想以上に恥ずかしくて、私は膝に顔を埋める。
さすがに今のはやりすぎかな、と反省していると。

彼が深くため息をついた。


『――――キスしたくなった』

ため息交じりにそう言われ、何のことだか一瞬理解できなかった。


『そういう可愛いことを言われると、困る。キスしたい、今すぐ』

本当に困っているような口調だ。
でもそんなこと言われても私だって困る。

「え、っと……再来週ならいいよ」
『長い。待てるか、そんなの。今、キスしたい』

珍しく食い下がる彼に、私はどうしていいのか分からない。
彼に求められているという事実が、すごく嬉しいけど恥ずかしい。
心臓に悪いから、せめてもう少し遠回しな言葉は使えないだろうか。

「せっ……征十郎…………」

何て返したらいいのか分からないから、私は激しく鼓動を打つ胸を押さえて、彼の名前を呼ぶ。
すると電話の向こうで、彼がハッと息を呑んだ。


『…………困らせてしまったな。離れることを選んだのは僕の方だというのに、こんなことを言ってしまってすまない』

その少し寂しげな声色に、私も息を呑む。
私と同じように、彼も寂しいんだ。
会いたいときに会えないという事実が、こんなにも。


「せ、征十郎!」
私はあることをひらめいて、彼の名前を呼んだ。

『なんだ?』

切り替えの早い彼の声は、もういつもどおりだ。
私はドキドキとしながら、唇を電話に近づけた。


ちゅっ

唇を鳴らす。ちゃんと向こうに届いただろうか。


「き……キス、したよ………っ」

あまりの恥ずかしさに、声が震えた。
無言が辛い。
引かれてしまっただろうか。


彼は何も言わない。
ほんの数秒前の出来事を後悔し始めていると、突然向こうでがたがたと大きな音が聞こえ始めた。


「なっ、何の音?」
私が尋ねると、ようやく彼の声が響く。


『予定が変わった。今週末帰る。今から荷造りするから、悪いが電話を切っていいか』

「は? えっ、何それ!?」

あまりに唐突すぎる彼の言葉に、私は焦る。
いきなり何を言い出すんだ。


「部活は!? 今週はあるんでしょ!?」
『うるさい。僕の言うことは絶対だ』

相変わらず電話の向こうはばたばたとうるさくて、彼は少し怒ったような口調。


『そんな軽いキスで僕が満足するとでも思ったのか。足りるわけがないだろう、馬鹿にするな』

「なっ、何それ……!!」

呆れて言葉が出てこない。
恥ずかしいのと相まって、私は口をぱくぱくとさせるだけだ。


『キスしに帰る。新幹線の時間が分かったら連絡するから、迎えに来い。あと今週末はうちに泊まれ。それじゃ』
「あっ、ちょっ……!」

そこでぷつりと電話が切れてしまった。
つーつーと無機質な音を立てる携帯を私は呆然と見つめる。


何て男だ。
キスしたいから帰ってくるだなんて。
お金も時間もかかるのに。

――――でも。


呆れる一方で、飛び上がりたいくらい喜んでいる自分もいる。
私は無意識に自分の唇を指でなぞっていた。
彼の唇を思い出しながら。

彼と会えるんだ。明後日、金曜日の夜には彼に会える。
会ったら何を言おう。
とりあえず文句を言いたいけど、その前にきっと私の唇は彼に塞がれてしまう。
迎えに来い、というのはきっとそういうことだろうから。

おそらく征十郎はギリギリまで部活をして帰ってくるだろうから、疲れているだろうな。
美味しいご飯を作ってあげよう。そして彼がまた頑張れるように、いっぱい労ってあげて、ジャージも綺麗に洗濯してあげて――。


「っしまった!」

そこで思い出す。失念していた。
私は何を着ていこう。
久しぶりに会う彼に、どんな姿を見せよう。

完全に意識を遠く、京都にいる彼に向けていた私は、我に返ると慌ててクローゼットをひっくり返して、今週末のコーディネートを試行錯誤し始めたのだった。



(機械ごしでも伝わる感情)
(機械ごしでは伝わらない愛情)


*ゆとりさまリクエスト作品。
きっと彼は京都土産を腕いっぱいに抱えて帰ってくるんでしょうね。


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