まぼろし



それは暑い夏の午後だった。 
「なまえちゃーん!」
呼ばれて振り向くと黄瀬先輩がブンブンと手を振っていた。

「なまえちゃん、黒子っち見なかったッスか? ずっと探してるのに見つけらんないんスよー」
まじで影薄すぎ!と苦笑しながらこちらに駆け寄ってくる。
「黒子先輩、ですか? 見てないと思いますけど……」
私は首を傾げた。

我が帝光中バスケ部の幻のシックスマン、黒子テツヤ先輩はとにかく影が薄い。
それを生かしたバスケスタイルで今年度、三軍から一軍レギュラーに昇格したすごい人なのだが、一軍の試合は桃先輩が同行するので、私はまだ黒子先輩の試合を見たことがない。

今のところ私にとって黒子先輩は、はっきり言ってバスケは下手だし影は薄くて見つけづらいしであまりいい先輩ではない。
(こんなこと桃先輩に聞かれたら怒られそうだけど)


「なんか赤司っちが呼んでるんスよ、黒子っちのこと。
でも俺今から撮影なんで悪いけどなまえちゃん探してきてもらっていいッスか?」

「わかりました、お仕事がんばってください!」

「ありがとッス、いってきます!」


黄瀬先輩は独特の、顔をしかめるような笑みで、バイバイと手を振ってくれた。
この笑顔が好きって黄瀬先輩ファンの友達が言ってたっけ。


「イケメンだよなあ……」
誰に言うでもなく、一人つぶやいた。

そのとき。


「モデルですしね」
「わっ!?」
突然乱入したきた声に、驚いて変な声が出る。
右見て、左見て、後ろを向いてようやく声の主を発見。
「黒子先輩!」
「おつかれさまです、みょうじさん」
名前を呼ばれて、今度はさっきよりも驚いた。

帝光は部員数と比例してマネージャー数も多い。
まだ一年で入部したての私は主に三軍のお世話係だ。
黄瀬先輩はフェミニストだから女の子の名前覚えてるのは分かるけど、他の一軍レギュラーが私ごときの名前を覚えてたことが少し嬉しい。

「くっ黒子先輩、赤司先輩が呼んでるそうです!」
何となく気恥ずかしくて私はパッと顔を背けながら用件だけを伝える。
何はともあれ、見つけにくい黒子先輩が自分から出てきてくれたのはすごくラッキーだった。

「では、失礼します!」
そのまま立ち去ろうとした私の手を、黒子先輩が掴んだ。

「えっ!? えっと、あの」
「赤司くんにはさっき会いました」
戸惑う私には構わず、それよりも、と先輩は続ける。

「みょうじさんってやっぱりカッコいい男好きですか?」
「えっ」

唐突な問に戸惑う。
イケメンが好きかどうかということだろうか。

「面食いな方ではないと思いますけど……」
「カッコいいの嫌いなんですか?」
「うーん……どうなんでしょう。とりあえず目の保養にはなります」

一体何を問われているのかが分からない。
というか、黒子先輩はこの質問で一体何を知りたいのだろう。
思わず考え込むと、黒子先輩が眉を寄せた。

「そんなに考えることですか」
「だって先輩が聞いたんじゃないですか」
「それはそうですけど……。
ボク、黄瀬くんが羨ましいです」
拗ねたように呟く先輩に、私は顔を上げた。


瞬間、黒子先輩の視線に捕まる。


いつもは特に感情を表さない目が、今は強い光を帯びながら真っ直ぐに私を射抜いてくる。
怖くて、恥ずかしくて、なのに反らせない。


「まずボクは、黄瀬くんがバスケが上手いのが羨ましい。スポーツできるとカッコいいですから」

次に、と先輩は一歩、私との距離を詰めてくる。私は、動けない。

「顔がカッコいいのも羨ましい。カッコいいと、とりあえず女の子に好感を持ってもらえる」

また先輩は一歩距離を詰める。
先輩でも女の子にモテたいとか思うのが意外と感じたが、今はそれどころではない。

「そして、ボクは黄瀬くんの人懐っこいところが羨ましい。

みょうじさんに、いつでも話しかけられるから」



頭が混乱する。何でそこで私の名前が出てくるのか分からない。
それではまるで先輩は、私のことを。



「ねえみょうじさん。カッコいい男、好きでしょう?」


とうとう先輩がすぐ目の前にきてしまった。
先輩の汗の匂いがする。でも不思議と嫌な匂いじゃない。


「ねえ」

先輩はそっと私に腕を伸ばした。
思わず身を縮めると、先輩が笑う気配がした。

「カッコいい男、好き?」

こめかみを何かが拭った。
一瞬遅れて、先輩がリストバンドで汗を拭ってくれたのだと理解する。


頭がぼーっとする。
これは暑さのせいか、それとも別の何かのせいか。

そんな中カッコいい男といわれて思い浮かべたのは黄瀬先輩じゃなくて──。



「おーい黒子っちー!」

張り詰めた空気を切り裂くような声に肩が跳ねる。

パッとそちらに顔を向けると、黄瀬先輩が遠くから手を振っていた。
悪いことはしていないのに何となく決まり悪くなって、私はうつむく。

すると、視界に入るはずの黒子先輩の足がない。
驚いて顔をあげると、先輩はもう目の前にはいなかった。
きょろきょろと顔を巡らせて、黄瀬先輩の隣にようやく発見する。
まるで瞬間移動したかのような早業に頭が混乱してしまう。
今まで黒子先輩と話していたことの全てが暑さが見せた幻なんじゃないかと。


「黄瀬くん、撮影はどうしたんです?」
「それがッスねー、カメラマンの都合が悪くなったとかで延期になったんスよ」
「そうなんですか、おつかれさまです」

他愛もない世間話をしながら先輩たちは私の前を通りすぎようとする。
一年マネージャーなど眼中にないといった風で、あまりにいつも通りな光景に、やっぱりさっきの出来事は幻だったんだと納得しようとしたけれど。

通りすぎる瞬間、黒子先輩が一瞬だけ私を見て、ニコリと微笑んだ。
間違いなく、私に向かって。


暑さではない別の原因で、頭の中がショートする音が聞こえた気がした。



(あ、黄瀬くんちょっとすみません。先行っててください)
(え、どうしたんスか……ってなまえちゃん!? どうして倒れてるんスか!!)
(…………さあ、何ででしょうね。とりあえず保健室に運びましょう)


*個人的に、ロールキャベツ系男子って卑怯だと思うの。


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