▼フランシスとコルネイユ
(※木吉妹夢主)
「花宮先輩っ」
背後から聞こえてきた声に、オレは顔をひきつらせた。
バッと振り向いて臨戦体勢をとろうとするが、遅かった。
「花宮せんぱーいっ!」
「ぐふっ」
鳩尾に思いきりタックルされ、オレは前のめりにうずくまろうとする。
が、正面からオレを抱きしめるそいつのせいでうずくまることもできなかった。
「てめっ………なまえ!」
「先輩、おはようございます!」
ぎゅーとオレを抱きしめて脳天気に笑うこいつは木吉なまえ。
何を隠そう、"鉄心"木吉鉄平の妹だ。
「離せこのっ…………いい加減セクハラで訴えるぞ!」
「やだなあ花宮先輩、セクハラじゃないですよ。ぎゅーってしてるだけです」
「そ、れ、が! セクハラだっつってんだよバァカ!」
オレの鎖骨くらいまでしかない頭をぐぐぐっと遠くに押しやって引き剥がそうとするが、オレの腰に回された腕はがっちりとオレをホールドしていて離れる気配がない。
「花宮先輩、今日もご機嫌ナナメですね」
語尾にハートがつきそうな口調でにこやかに言われ、またイラつきが増す。
オレの機嫌が悪いのが嬉しいのかよ。
「てめぇが来るまではご機嫌だった」
ふいと顔を背けて言い放つと、なまえはまた楽しそうに笑った。
「ご機嫌な先輩なんて不気味ですー」
「………てめぇマジで喧嘩売ってんのか?」
そうとしか思えない。ますます腹が立ってくる。
「いいから、離れろっ! てめぇのない胸なんか押しつけられても嬉しくも何ともねぇんだよ」
力ずくで無理やり引き剥がすと、力で適わないなまえは不満そうに口を尖らせた。
「先輩の意地悪。セクハラ。猫かぶり」
「………てめぇマジで殺されたいのか」
いい加減にしろこのアマ。
オレがイライラとしながら低く唸ると、なまえは途端にパッと身を引いた。
「今日も練習見にいきますね、花宮先輩っ」
そう言ってなまえは駆けていく。
「てめぇは出禁だ! 監督命令だからなバァカ!」
その背中に向かって思い切り怒鳴ると、なまえは楽しそうに笑い声をあげた。
***
「先輩、来ちゃった」
「……………来ちゃった、じゃねぇよ!」
何でここが分かった、と唸る。
この屋上はオレの秘密のサボりスポットだ。
バスケ部の奴らでもスタメンくらいしか知らないオレの特等席だ。
「原先輩に教えてもらいました」
にっこりと笑うなまえ。
そうか、原か。
あとで殺す。
「出てけよ、ここはオレのだ」
言いながらなまえを睨むが、なまえには効果がないようで、奴は笑いながらオレの隣に腰を下ろした。
「そんな顔しても怖くないですよ、花宮先輩」
それより、となまえは不服そうな顔をする。
「何で部活行かないんですか? 私お迎えに来たんですよ」
「いらねぇよ、帰れ!」
つーか、なまえが練習見にくるっつったからこんなとこに避難してたってのに、当の本人が来たら元も子もない。
だいたいなまえは部員に馴染みすぎだ。
何で原や他の部員たちはこいつを受け入れて、あまつさえ猫可愛がりしてるんだ。
あの木吉の妹なのに。
こいつが誠凛のスパイである可能性を考えないのだろうか。
妙にオレにばかり付きまとうから、その可能性は高いと思うのだが。
なんといってもあの木吉の妹だ。
ヘラヘラした顔の裏で、腹の底では何を企んでいるか分かったもんじゃない。
兄貴の復讐だなんて麗しき兄妹愛ですこと。
そう考え始めると、隣でニコニコと笑うこの女にますます嫌悪感がわく。
基本的に善人面した奴は嫌いだが、悪党のクセに善人面したやつはもっと嫌いだ。
「先輩、どうしたの?」
首を傾げるなまえにオレは尋ねた。
「……………お前、何しに来たんだよ」
オレの言葉に、なまえはきょとんとする。
「何しにって……………迎えに来たんですが」
「違う」
オレはなまえの手首を掴んで、言い聞かせるようにはっきりと発音した。
「″何が目的でオレのとこに来るのか″って聞いてるんだよ」
さして言葉は変わってないようにも思える。
しかし、なまえには意味が伝わったらしい。
「目的………」
なまえはオレの言葉に一瞬目を見開き、俯いた。
これは、何かあるな。
オレはなまえの手首を目線まで持ち上げて、ギュッと力をいれる。
「ふはっ、まぁどうせ誠凛のスパイかなんかだろ? それとも兄貴の敵討ちか」
「…………………え?」
オレの言葉になまえはパッと顔を上げた。
その驚愕の顔に、オレは首を傾げる。
「違ぇのかよ」
「違っ………違うに決まってるじゃない! 先輩のバカっ」
なまえの目にじわりと涙が浮かんだように見えて少しひるんだが、オレはすぐにそれを振り払って怒鳴った。
「誰がバカだ! じゃあ何でオレに付きまとうんだよ、いつもいつも!」
するとなまえは瞠目した。
そしてみるみるうちにその顔が赤く染まる。
オレはそのあまりに予想外すぎる反応を信じがたい気持ちで見つめていた。
何だ、この反応は。
これは、まさか、嘘だろ?
「……………先輩」
意を決したようになまえが口を開く。
その顔は相変わらず真っ赤。
「私、先輩のこと」
こんな表情は、何度か見覚えがある。
けして初めてされる行為ではない。
初めてではないのに、何故オレはこんなに動揺してるんだろう。
なまえは、そんなオレの瞳を真っ直ぐに射抜いて、はっきりと告げた。
「私、先輩のことが好きです」
何で。
その言葉だけがグルグルと頭の中を回る。
言葉を忘れたように、何も声を発せない──。
「先輩がどんなにゲスで最低な性格破綻者でも構いません。好きです」
「………………………てめぇケンカ売ってんのか?」
────と思ったのだが、人間そう簡単に言葉は忘れないようだ。
「てめぇそれで告白してるつもりかよっ?」
「してるじゃないですか! どんなに口が悪くても変な眉毛でも好きですよ、花宮先輩のこと」
「よーしいい度胸じゃねぇか殺す」
外面を取り繕ってることを抜きにしても、告白してきた女にここまでの暴言を吐いたのは初めてだ。
オレにここまでさせるこの女に少しばかりの畏敬の念を抱く。
「ていうか、もしかして先輩今まで全く気づいてなかったんですか…………?」
他の先輩たちには皆気づかれたのに、と言われてオレは額を押さえた。
それであいつら、オレがなまえが一緒にいるとずいぶんニヤニヤしてたのか。
これからあいつらにやらせるための鬼メニューを脳内で組み立てていると、なまえが不思議そうに首を傾げた。
「先輩もしかして鈍い人なんですか?」
「違ぇよ! ってか、意味わかんねぇし。何をどう間違えたらそんな方向に転ぶんだよ」
「それは…………私にも分かりません。正直先輩なんて自慢できるのは頭いいことくらいで、性格最悪だし、眉毛変だし、お兄ちゃんより背低いし、最初はフツーに先輩のこと大っ嫌いだったけど」
「おい」
「でも。何でか分かんないけど今はそんなところ全部ひっくるめて好きです。
お兄ちゃんのことは腹立つけど、先輩はバスケの仕返しはバスケでしたい人だから、私は仕返ししません。私はバスケも好きだけど、先輩がバスケに不誠実なら私だって不誠実になってみせます」
オレの顔を真っ直ぐに見つめてなまえは言う。
オレはその視線に気圧される。
本当に意味が分からない。
何が言いたいのか分からないけれど、ひとつだけ理解できた。
あの青春馬鹿の妹のくせに、こいつはオレと同じ場所に堕ちていいと言う。
兄貴と同じ場所ではなく、このオレと同じ場所に。
「お前………………バカなのか」
呆れて物が言えないとは正にこのことだ。
そんな言葉しか出てこないオレに、なまえは兄貴とそっくりな表情でヘラリと笑った。
「恋をしているときに不慮分別に従ってしっかりしてることって不可能なんですよ、花宮先輩」
オレは目を見開いた。
そして密かに舌を巻く。
この切り返しは、悪くない。
「私だって本くらい読みます」
照れくさそうにはにかむ姿を、何故だか無性に抱きしめたくなってしまった。
「……………オレはバカは大嫌いだ」
そう呟きながら、そっと引き寄せて初めて自分から抱きしめたなまえは、思っていたよりも小さくて柔らかく、不覚にも抱き心地がいいと感じてしまう。
オレもこいつに毒されて思慮分別を失いかけている、と自覚しながらもオレはこの容赦のない暴君に身を任せることにした。
(私バカじゃないですっ)
(そうかもな)
(…………え? あ、それ……って)
(バカは嫌いだっつってんだろ、バァカ)
*ゆとりさまリクエスト作品。
フランシスは「知は力なり」という名言を残したフランシス・ベーコンという哲学者です。
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