▼外道と少女の百面相
(※自殺表現、全体的に暗い)
「殺してやろうか」
オレは尋ねた。
すると彼女は目を瞬いたあと、フワリと微笑んだ。
「本当に?」
何でそんなに嬉しそうに笑う、と彼女を詰りたい。
しかしオレはその感情を抑え込んでただ頷いた。
「殺してやるよ、オレが」
彼女は、ニッコリと笑った。
「ありがとう、愛してる」
瞬間、襲ってきた泣きたい衝動には気づかないふりをした。
***
彼女に気づいたのは偶然だった。
すっと廊下ですれ違った奴に何か違和感を覚える。
何となく気になって、オレは見知らぬ彼女の腕を掴んだ。
そして、違和感の正体に気づく。
制服が随分湿っている。
そして、腕を掴まれている彼女の怯えるような瞳。
これは。
「濡らされたのか」
彼女の肩がビクリと跳ねる。
つまり図星。
「誰にやられた」
「…………」
「言いたくないのか」
「………わかんない」
「わからない?」
「誰がやったのか、分からないの」
ポツリと呟いた彼女が俯く。
そして小さく震え始めた彼女の細い肩。
しまったと思うが、仕方ない。
どうするか逡巡したあと、オレはため息をついて彼女の腕をひいた。
「来いよ」
人目のつかない階段の影に引き込む。
今思えば、これが間違いだった。このとき放っておきさえすれば。
だがもう遅い。
「お前、名前は」
「みょうじ…なまえ」
「クラスは」
「1年3組……」
「なんだ、1年か」
まだ入学して日が浅いのに早速とは、こいつも運がない。
「誰かお前を嫌ってる奴はいないのか」
俯いているなまえにストレートにぶつけると、なまえはただ首を横に振った。
「分かんないの………」
「どういうことだ」
「皆、優しいの………別に意地悪してくる人、とかっ……イヤな目で……っ見てくる人とか、いなっ…くて、でも、教科書が、捨てられ……っ……て、たり…………っ…………体育…の、後は、制服が……トイレに、捨て………られ、たり……………っ」
だんだんと嗚咽が激しくなって聞き取りづらくなる。
「つまり、影でコソコソやっているわけだな」
オレの言葉になまえはコクリと頷いた。
別に影でコソコソするのは嫌いじゃないし、ターゲットにここまで影を捉えさせないやり方はむしろ感嘆に値する。
そういう姑息な真似は大好きだ。
が、どうしてだかそのときだけは、なまえが気にかかった。
オレはなまえに目線を合わせようと身をかがめた。
すると彼女はふいと顔を背ける。
顔は髪で隠して。
「おい」
「見な、いで」
顔を背けたまま震える声でそう紡ぐなまえに苛立ち、オレはなまえの顎を掴んで無理やり上に向けた。
「やっ………」
抵抗しようとした腕を、身体ごとオレの身体と壁の間に挟み込んで押さえつける。
ぴったり密着したその体勢に恥ずかしくなったのか、なまえは顔を赤くして視線だけそらした。
「ひでえ顔」
オレが笑うと、なまえは傷ついたような顔をする。
でも事実だ。
涙で目は真っ赤に腫れ、鼻も赤い。
こんな不細工な泣き顔、なかなかお目にかかれるものじゃない。
だが、そこが気に入った。
まるで水面に投げ込まれ足掻く虫みたいな、不細工さが気に入ってしまった。
「なあ」
「離して………っ」
真っ赤な顔のなまえの唇に、強引に自分のそれを重ねた。
見開かれた彼女の瞳を見つめる。
「んっ………ふ、」
角度を変えながら何度も口づけると、なまえはだんだん大人しくなり、最終的にはオレのキスを受け入れていた。
唇を離すとなまえは荒い息でくったりとオレにもたれかかる。
「お前、オレの女になれよ」
拒否権は、与えなかった。
***
なまえへのイジメを止めさせる気はなかった。
ちょっと調べればイジメの原因も犯人も分かったはずだが、オレはそうしなかった。
何故なら足掻いているなまえが気に入っていたからだ。
恋愛感情ではなかった。
ただ近くで見ているのが面白かっただけだ。
だがどうせならとオレはなまえにキスをしたし、それ以上もした。
特に抱いているときのなまえの今にも息絶えそうな苦しそうな顔は、お気に入りだった。
苦悶に歪む中にほんのひとかけら混じっている快楽の表情を探すのが楽しかった。
だからオレは気づかなかった。
なまえが壊れていっていること。
「花宮、さん」
いつものように呼び出したなまえの表情がおかしい。
「ねえ、私のこと好き?」
問うてくる内容は、そこら辺の面白みもない女と同じだ。
しかし表情が違う。
鬼気迫る表情というのはこういうのを言うのだろう。
すがりつくような視線に、オレは薄く笑う。
これだからなまえは手放せない。
「もちろん好きに決まってるじゃないか」
そっと抱き寄せて囁くと強ばっていた身体の力が抜け、オレに委ねられる。
「本当に?」
「本当だ」
「私も、だよ」
なまえの声は柔らかかった。
***
「私のこと、好き?」
今日も問うてくるその声に、オレもいつも通りに返す。
他の女ならこんなことを聞いてきた時点で捨てるところだが、こいつとのやり取りだけは不思議とオレを飽きさせない。
「もちろん」
ニッコリ笑ってやると、彼女はそっとオレに抱きついてくる。
そのはずだった。
だが。
「花宮、さん………」
なまえは暗い表情のままで呟くように言った。
「ウソつかないで、お願い」
オレは驚いた。
なまえは賢い女じゃない。オレのことを見抜けるほど、賢い女じゃ。
「……何でそんな風に思う?」
オレは慎重に尋ねる。
騙していたつもりはないし、騙すことが悪いことだとも思わない。
だが、こんな女がオレの言うことに流されないのは苛つく。
どうせ女の勘とか、私ばっかり好きだとかお決まりの文句だろうなと思っていたのだが。
なまえはオレを真っ直ぐ見つめながら、言った。
「違うの、みんなウソなの」
「は?」
「みんなウソつくの。みんな知らないやってないって、みんな」
なまえの顔が歪む。
「みんながやってないのに、私はやられてるの。だからみんなウソつきなの。
みんな、みんなみんなウソつき」
なまえの唇の端が持ち上がった。
笑みのはずなのに、何故かオレには泣き顔に見えた。
「だから、花宮さんもウソつき。
みんなウソつきなの」
小首を傾げながら言う彼女に、オレはそっと目を閉じた。
壊れたのか、と息を吐き出して。
「────正解だ、なまえ」
そう告げても、彼女の表情は変わらなかった。
「オレはお前のことを愛してない」
「ほらね? やっぱりウソだった」
なまえはクスクスと笑った。
ああ、もう完全に壊れてしまった。
なまえは足掻くことを止めたのだ。
足掻くことに疲れて、力を抜いて、沈むことを選んでしまった。
こいつに残された道はひとつだけ。
一度沈み始めたら浮き上がることは不可能だ。
オレはフェンスにもたれかかった。
ここは屋上、高い空が見える。
その空が、何故か水面に見えた。
その水面に沈みゆくなまえが見えた気がした。
「なあなまえ」
オレは空を見上げたまま尋ねる。
「殺してやろうか」
彼女が息を呑む音が聞こえた。
そっと視線をやると、なまえは驚いたように目を瞬かせている。
そして、フワリと笑った。
「本当に?」
嬉しそうに目を輝かせる彼女を大声で詰りたくなった。
でも詰る内容が思いつかない。
なんて詰ればいいのか。死ぬな? そんな綺麗事、虫唾が走る。
収拾のつかない脳内議論に、結局オレはこの感情を抑えつけて言った。
「今度はウソじゃない。殺してやるよ、オレが」
すると彼女はニッコリと笑った。
そういえば彼女の満面の笑みはあまり見たことがない、と今更ながらに思った。
「ありがとう、愛してる」
瞬間、泣き出したいような衝動にかられるが、オレはそれを無視して彼女の手を引いた。
「来いよ」
オレは彼女を連れ、一カ所だけ古くなって空いているフェンスの穴をくぐりぬける。
遮るものがない景色は気持ちがいい。
「ここからならお前は自殺できる」
「殺してくれるんじゃないの?」
やっぱりウソつきだ、と彼女は頬を膨らませる。
この拗ねた顔も、初めて見た気がする。
「オレが殺すよ。
オレが背中を押してやる。そしたらお前は落ちて死ぬ」
でも、とオレは続ける。
「警察の世話なんかになる気はねえよ。
お前は世間的には自殺。オレはお前を殺してものうのうと生き延びる」
オレの言葉に、なまえはまたむくれた。
「それじゃダメ」
「何が不満だ? 殺人犯として捕まってほしいなら断る」
「違う」
なまえはオレの方を向きながらコンクリートの淵に立った。
あと一歩後ろに下がれば、なまえは空中に投げ出される。
「背中を押されたんじゃ、花宮さんの顔が見えない。
花宮さんに殺されるんだから、花宮さんの顔が見えてなきゃ」
なまえはニッコリ笑う。
狂ってる。こいつも、オレも。
オレはなまえに歩み寄りそっと抱きしめた。
そして顎を掴み、上を向かせる。
噛みつくようにキスをすると、なまえはそっと目を閉じた。
いつもと何かが違うと感じる。
何が違う、と考えて、分かった。
なまえがいつもより積極的に応えているのだ。
こんな表情もあるのか、とオレはなまえを見つめながら、反応を楽しむ。
ちゅっと音をたてると恥ずかしそうに眉を下げる。
舌を入れると苦しそうに眉を寄せる。
舌を絡めると応えようと口を開けて絡み返してくる。
オレはしばらく中学生のガキみたいになまえとのキスに夢中になっていた。
しかし、そろそろ終わらなければならない。
なまえを、殺すために。
終わらせてやるために、終わらせる。
オレはなまえの口内から舌を抜き取り、最後に、ちゅっと音を立てて軽いキスをした。
そして、なまえの肩を押す。
離れていく身体が、空中に向かって傾いでいく。
スローモーションでなまえは重力に引っ張られる。
ゆっくりと落ちようとするなまえが、静かに微笑んだ。
その笑みがあまりに美しく、息がつまった。
「花宮さん、大好き」
彼女はそう言い残してゆっくり落ちていった。
遠くなっていくなまえを見つめていたら、何故かひどい虚無感に襲われた。
彼女と一緒に、自分の中心にあった何かが欠落していく。
「…………なまえ………っ」
思わず伸ばした手は届かずに。
代わりにオレの小さな呟きと頬を伝った一滴の雫が、なまえの後を追うように落ちていった。
(お前の言うとおり、オレはウソつきだ)
(そしてウソはいつか身を滅ぼすんだ)
*それでも後追い自殺はしないのが花宮さん。
ホントはこれ黒子夢になる予定でした。
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