▼手当て
(※生理ネタ)
4限目終了の鐘と同時に、まるで校舎が息を吹き返したかのように急に賑やかになる。
そんな中、私は重い身体を引きずりながら廊下を歩いていた。
一歩歩くごとに痛みが増す気がする。
あまりの痛みに気分が悪くなり、遠のきそうになる意識を必死につなぎ止めながら私はさらに一歩足を踏み出した。
この腹痛は月に一度のあいつのせい。
普段はそんなことないのに、今回は何故かめちゃくちゃ重い。
まるで腹の中をがしがしと削られているかのような痛みに、いっそナイフか何かでお腹を突き刺した方が痛くないんじゃないかとさえ思ってしまう。
「うぅ……」
小さく呻きながら私は保健室に向かっていた。
薬がほしい。この痛みを止めてくれる強力なやつ。
クスリがほしいなんてまるでジャンキー。脳内で呟いて、すぐに呆れた。
今日の私はどこかおかしい。
思考回路まで痛みに侵されているようだ。
喧騒で目がちかちかする。
一瞬目の前が暗くなって、ひどい吐き気がした。
やばい、と思ってうずくまろうとしたそのとき。
ぱしっと後ろから腕を掴まれた。
「どうした、なまえ」
「征十郎……」
何故ここに征十郎がいるのかと驚く。
昼休みはいつも体育館で練習してるのに。
「具合が悪いのか」
口を開くと吐き気が増すようで、私は無言で頷いた。
「歩けないのか」
私はまた頷いて、うつむく。正直立ってるのも辛い。
何の用かは知らないけど、とにかく早く解放してほしいと足元を見つめていると、ぐいと肩を引き寄せられた。
「つかまれ」
身体がふわりと浮いて、周囲の人がざわめきたった。
顔を上げたら、征十郎の顔がすごく近くてびっくりする。
いわゆる、お姫様だっこ。
「オレの首に腕を回せ。落ちるぞ」
言われて、慌てて私は征十郎の首にギュッと抱きついた。
「保健室でいいんだな」
私が頷くと、征十郎はそっと足を踏み出す。
できるだけ揺らさないよう気を遣ってくれてるみたいだ。
その心遣いが嬉しくて、私は感謝を込めて抱きつく腕に少し力を込めた。
***
「先生はいないようだな」
保健室のベッドに私をそっと下ろしながら征十郎は呟いた。
優しく布団を被せられて、恥ずかしいのと申し訳ないのでいっぱいになる。
征十郎は一度ベッドを離れて、また戻ってくる。
「机に書き置きがあった。外出中らしい」
征十郎は私に体温計を渡そうとした。
しかし、残念ながら風邪ではないため私は首を横に振って拒否する。
「測らなくていいのか。微熱があるみたいだが………」
「風邪じゃないの…………薬だけあれば、あとは寝てれば治ると思うから」
「どの薬だ」
問われて、しまった、と口を押さえる。
征十郎に、生理痛の薬がほしい、なんて言えるわけない。
「…えっ、と……………鎮痛剤、ほしい」
「どこの鎮痛剤だ。頭か」
「ううん、えっと……………」
痛いのはお腹だ。
でもお腹の鎮痛剤といって胃薬を持ってこられても効くわけない。
なんて言ったらいいんだろう。
「えーと………」
言葉に詰まっていると、次第に征十郎が苛立ってきているのが分かった。
「はっきりと言え。お前の症状は何が原因なんだ」
眉根を寄せながらそう言われて、私は観念した。
征十郎から目をそらしながら、ぽそりと呟く。
「せ、生理痛、です……………」
「は……………」
恥ずかしくて、顔の半分を布団で隠す。
ちらりと征十郎を見ると、ぽかんと口を開けていた。
珍しい表情をつい凝視していると、征十郎ははっと我に返って、踵をかえした。
「言わせてしまってすまなかった。薬を取ってくる」
「あ、ありがとう…………」
征十郎の背中にお礼を言って、私は布団の中でうずくまった。
お腹を庇うように丸くなる。
こうしてると少し痛みがマシなような気がする。
「なまえ」
声をかけられて、私はゆっくり起き上がる。
貧血のせいか少し眩暈がした。
「これでよかったか」
征十郎はベッドに座り、私の背中を支えながら薬の箱を見せる。
テレビの宣伝でも見たことがある、スタンダードな市販薬だ。
私が頷くと、征十郎は器用に片手で薬を取り出して私に渡す。
「ありがとう」
お礼を言いながら、パキッと音をたてて錠剤を手に転がす。
それを口に放り込み、征十郎が手渡してくれた水とともに飲み込んだ。
「っ」
ひんやりした水が胃に到達した瞬間、痛みが増した気がして息を詰まらせる。
「どうした」
「ん、水が冷たくて…」
「…すまない。熱っぽいから冷たい方がいいかと思ったんだが」
心なしか眉尻を下げる征十郎に苦笑する。
「言っとかなかった私も悪いよ。気を遣ってくれてありがとう」
ごめんね付き合わせちゃって、と謝ると征十郎は苦々しそうな顔をする。
コップを私の手から奪い、そっと身体を寝かせてくれた。
近くにあった椅子を引き寄せ、腰をおろして彼は私の頭に手を置く。
「寝ろ。楽になるかもしれない」
「うん……」
頭を撫でてくれる手の優しさに甘えるように、私は目を閉じた。
しかし、目を閉じるとどうしても痛みに意識がいってしまい、眠気が遠ざかる。
ずくん、ずくんと疼くお腹に、私はまた丸まってギュッと目をつぶった。
「辛いのか」
「うん……お腹痛い」
「どうしたら楽になるんだ」
「私も普段はあんまり重くないから…………暖めたら楽って聞く気がする」
「そうか」
頷いた征十郎の手が私の頭から離れた。
寂しさに薄く目をあけると、何故か征十郎が布団の端をめくっていて目を見開く。
「もう少しそっちに寄れ」
「えっ、ええ?」
「早く」
短く言われて私は戸惑いながら奥へと身体をずらす。
すると、あろうことか征十郎は私の布団に潜り込んできた。
「え!? なっ……ダメだって入ってきちゃ!」
「風邪じゃないならうつらないだろう」
「そういう問題じゃ………」
「騒ぐと身体に障るんじゃないのか」
征十郎は私の枕を奪って、私の頭を自分の腕に乗せる。
そしてお腹を庇っていた私の手をどけて、そっとそこに自分の手を乗せてきた。
「なっ、何!?」
「手当てだ」
「はい!?」
「手を当てるから、手当てだ。暖めるといいんだろう」
そう言われて二の句が告げなくなった。
この男はときどき冗談なのか真面目なのか分からない発言をする。
抗議しようと口を開いたが、服の分の時間差を経て征十郎の手の温度が私に伝わってきて、口をつぐんだ。
私の手より温度の高い手が、優しくて気持ちいい。
大きい手は私のお腹をすっぽりと包み込んでくれて、ひどく安心する。
痛みすらじんわりと溶かすようなその心地よさに、思わず私はため息をついた。
「楽になるか」
「うん……すごく」
「そうか、なら寝ろ」
私の頭を抱え込んでゆっくりと撫でてくれる。
頭とお腹、両方から伝わる優しい体温に、甘えるように目を閉じた。
さっき目を閉じたときとは違って、ずいぶん楽だ。
痛みがひいたわけではないが、痛みよりも手の気持ちよさの方が勝っている。
掌から、私を労ろうとする征十郎の気持ちが伝わってくるようだ。
湯たんぽとの違いはそこだろう。
そのあまりの心地よさに、うとうととし始めたとき、征十郎がそっと囁いてきた。
「なまえ」
「ん……なぁに………?」
まどろみながら答える。
鎮痛剤には睡眠導入剤も混ざっていたのかもしれない。
まぶたが重くてもう開かない。
「生理が重い女性は、出産のときも辛いと聞いたことがあるんだが、本当か」
「ん………分かんない……産んだことない……………」
いきなり何の話だろう。
受け答えはするが、頭にぼんやり霞がかかったこの状態では、征十郎の言葉は答えた端から霧散する。
「……………なまえ」
「なぁに………?」
「将来、子供は産むな」
優しいが、きっぱりとした口調。
何でそんなことを、と声を上げて反論しようとするが、頭が重くてどうにも力がでない。
そのせいで私はお互いにのみしか聞こえないような囁きしかできない。
「何で……?」
征十郎は私の頭を撫でながら、しばし躊躇うように沈黙した。
やがて、ゆっくりと口を開く。
「出産のときに死ぬ女性もいる。
オレは…………お前を失いたくない」
重々しい口調の征十郎に、私は可笑しくなって小さく笑いをこぼした。
「いきなり飛躍しすぎだよ征十郎……………」
「何とでも言え。オレはお前を失うくらいなら、お前と2人きりで構わない。子供はいらない」
そっと髪に口づけられて、私はこそばゆくてクスクス笑う。
「それじゃ……私がやだよ、征十郎…………」
私は重いまぶたをこじ開けながら、征十郎の頬にそっと腕を伸ばした。
瞠目する瞳に私が映っている。
「私、征十郎似の男の子がほしいの。征十郎みたいに、強くてカッコいい男の子……」
言いながら微笑んでみせると、征十郎はくしゃりと顔を歪めた。
そして私の頭を引き寄せて胸元に押しつけながら、つむじに口づけてくる。
「……自分似の息子なんてごめんだ。オレはなまえに似た女の子がほしい」
「それはだめ…………絶対ファザコンになっちゃうから………………」
言いながら、もう重みに抗えなくて再び瞼を閉じると、頭上で征十郎が笑う気配がした。
「そしたらオレは、両手に花だな」
征十郎は指先でゆっくりと私の髪を梳く。
お腹に置かれた手は相変わらず暖かくて、優しい。
「もうおやすみ、なまえ」
囁く征十郎の声が遠くに聞こえる。
「お前の身体は、もうオレのものなんだから。大事にしてくれ」
その言葉を聞きながら、私は意識を深く沈めた。
(夢を見た)
(征十郎と、私と、小さな男の子と3人で歩く夢)
(男の子の目の色は征十郎と同じで、)
(ひどく幸せな夢だった)
*10000hitフリリク企画 ウサギさまリクエスト作品。
ちなみにこの"手当て"は幼い頃、私がお腹を痛めたときによく母にやってもらっていました。
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