夢見がちなアイボリー

「ところで、先輩」

 赤司が口を開いて、直晴は現実に引き戻された。
「どうしたの?」
 尋ねると、赤司はスッと直晴の肩の辺りを指さして。

「――――彼は、誰ですか?」

 赤司の言葉に、直晴と他の4人はバッとそちらを見た。直晴は、わっ、と少し驚いたくらいだったが、他の4人はギョッと目を見開いて、声を上げた。

「うおおおおおぃっ!?」
「いいいいいつからいたんスか、あんた!」

 青峰と黄瀬が特に大きな声を上げる。その声を受けても、いつの間にか直晴の背後に正座していた彼、黒子は特に表情を変えることなく、いつもどおりの涼しい顔で直晴の隣に移動してくる。

「初めからいました」
「うっそだろ! ていうか、影うっす!」

 黒子を指さして、だらだらと冷や汗をかきながら叫ぶ青峰を見て、直晴はつい吹き出してしまった。そしてクスクス笑いながら、黒子の肩に手を置く。

「紹介するね。黒子テツヤくん。君たちと同じ1年生で、一応うちのエースです」

「よろしくお願いします。ちなみに、紫原くんとは同じクラスですよ」
「え、マジでか」

 知らんかった、と眠たげな目を少しだけ見開いてそう言う紫原に、直晴はますます可笑しくなってしまった。影の薄い後輩だとは思っていたけれど、まさかクラスメイトにさえも認識されていなかったとは。可笑しくて仕方がない。

「先輩、笑わないでください」
「ごっ、ごめん……!」

 謝るも、一度ツボに入った笑いはなかなか納まってくれない。そんな直晴を見て、黒子は諦めたようにため息をついた。


 直晴は何とか笑いを納めると、目尻に溜まった涙を指先で拭いながら5人に言った。

「とっ、とにかく、黒子くんは君たちより少しだけ先輩になるから、同じ学年なんだし何かあったらいろいろ聞いてみるといいよ。
あ、そうだ」

 思い出したように直晴は居住まいを正した。そして口を開く。

「申し遅れました。私、帝光高校バスケ部主将の、3年稲葉直晴です。よろしくね」

「主将……!?」

 以前見学に来た赤司と、黒子以外の4人は皆一様に口をぽかんと開けた。その反応に直晴は苦笑する。見学に来るくらいだから、知ってると思っていたんだけど。

「ま、マネージャーじゃないんスか……!?」

「よく間違われるし、マネージャーの仕事もしてるけど、本業は選手だよ。
シューティングガード兼主将兼マネージャー兼雑用担当の稲葉です」

「先輩、雑用はボクがやるっていっつも言ってるじゃないですか」

 口を挟む黒子に、直晴は笑ってしまった。なんてありがたい後輩だろう。頭でも撫でてやりたいところだけど、今は驚いている見学者たちのフォローが先だ。

「そんなにいっぱい仕事をしているなんて、他の部員は何をしているのだよ……?」

 呆気にとられている緑間の呟きの語尾に首を傾げながらも、直晴は苦笑して言った。

「うちの部員は2人だけ。私と黒子くん。少ないでしょ」

 多少の自虐を交えたその言葉に、彼らは言葉を失ったように沈黙した。その表情を見て、直晴は失敗したかな、と思う。


 4月には、赤司と黒子を含め、4人の見学者が来てくれた。しかし、彼らに部員数の話をすると、大抵困ったような顔をして、帰っていく。

 この人数ではまずろくな練習ができない。そして、もしかしたらこちらの方が重要かもしれないが、この人数では入部すると同時に将来部を背負うことが決定してしまう。軽い気持ちで見学に来た者はこの現状を見ると、怖気づいて帰ってしまう。そして、サッカーや野球といった無難な部活に行ってしまうのだ。


 彼らも、おそらく怖気づいているのだろう。特に、この中途半端な時期に、部の掛け持ちや途中退部など中途半端なことをして見学に来る子たちだ。部を背負うといった、そういう重たいことを好むような人たちには見えない。

 またしばらくは黒子くんと2人だけかな、と心の中で呟いた。
 しかし、それでも構わないと思っている自分もいる。だって、この体育館に2人でいられるだけで夢みたいなことなんだから。
 同時に、来年の4月になったら、という未来予測からは目を逸らす。今は考えたくない。


「――――長くお喋りしすぎちゃったね! 練習見に来てくれたのにね。えっと、今から私たち1on1するけど、君たちもやってみる?」

 直晴はボールを持って立ち上がった。黒子もそれに従って立ち上がる。
 そして彼らを見回すと、赤司がパッと立ち上がった。

「赤司くん、やってみる?」
 尋ねると、赤司は首を横に振った。


「入部します」
「……は?」


 脈絡のない発言に、直晴はぽかんとした。彼の言葉が、理解できない。

「バスケ部に入部します。5人全員。入部届けはありますか?」
「は!? おい、赤司、勝手に決めてんじゃねぇよ!」

 声を上げた青峰を、赤司は一瞥する。すると青峰はぐっと押し黙った。赤司はまた直晴に向き直って、繰り返す。

「入部届けをください。5枚」

 ようやく直晴は我に返った。慌てて、体育館の隅に置いてあった自分のカバンに駆け寄り、バスケ部と書かれたファイルを取り出す。予算についてや今後の練習日程など、バスケ部の運営に必要な書類が入ったそのファイルを漁っていると、一番下に入部届けと書かれた紙が出てきた。
 その数は、ちょうど5枚。4月に、希望も交えて今年の新入部員数の目標として刷った枚数だ。直晴はその5枚すべてをファイルから抜き取ると、震えた手でそれを赤司に差し出す。

「こ、これで、いい?」

 赤司はそれを受け取り、ぱらぱらと捲って確認すると、頷いた。

「たしかに。次の練習のときに持ってきます」
「あっ、ありがとう……!」

 これは夢なんじゃないか。私は騙されているんじゃないか。本気でそう思う。そうとしか思えない。


「じゃあ今日は帰ります。涼太が仕事があるようだし」
「あ、やっべ、こんな時間じゃん! オレ急がなきゃ」

 赤司の言葉に促されて、彼らはそれぞれ立ち上がった。

「あ、気をつけてね!」
「はい、では失礼します」
 赤司がぺこりと頭を下げて、彼らはぞろぞろと体育館を後にした。

 彼らの背中がとっくに見えなくなっても、直晴は呆然と立ち尽くしたままだった。



(こんな幸せな夢、現実なわけがないと必死に否定しても)
(体育館は、色づいたままだった)



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