秋<赤司の場合> The beginning of cold


(※梅雨<赤司の場合> 続編)




びゅうっと風が吹き抜けた。
その冷たさに、私は思わず身震いする。


「どうした」


それを目ざとく見やる左右色の違う瞳。
隣を歩く彼に、私は、何でもない、と首を横に振った。



人生とは不思議なもので、何が起こるか分からないなとしみじみ思う。
その筆頭が、彼と私がお付き合いをしているという事実だ。

彼が実はあの有名な男子バスケ部主将、赤司征十郎くんだと知ったときの衝撃は言葉であらわせない。
だって、噂に聞く鬼主将の赤司くんと、ジャケットを貸してくれた優しい赤司くんのイメージがあまりにも違い過ぎたから。

彼との出会いからたった数か月の間にいろいろあって、私は彼の恋人というポジションに収まり、彼は間違いなく優しい人だということも分かった。
人生って何があるか分からない。



また、風が吹いた。
むき出しの太ももと、薄いシャツしか遮るもののない肌が、風に撫でられて背筋がぞくりとする。
私が肩をすくめたのを、今度こそ彼は見逃さなかった。


「寒いのか」

剣呑に眉をひそめて言う彼に、私は小さく頷いてみせる。


「ジャケットはどうした」
「今朝暑かったから、まだいらないと思って……」
「カーディガンは」
「クリーニング中」


彼はため息をついた。


「だから天気予報を見ろといつも言っているだろう。今日は午後から気温が下がるといっていたぞ」
「ごめんなさい」


もう秋なんだぞ、と厳しい口調で叱られ、しゅんと肩を落とす。
明日からはちゃんと朝に確認しよう。


「………仕方のない奴だ」

ため息交じりの彼の言葉と同時に、肩にふわりと何かがかけられた。
俯いていた私はパッと顔を上げると、言葉とは裏腹に彼の瞳が優しくて驚く。


「それを着ろ。ないよりはマシだろう」


そう言って彼が視線で示したのは、私の肩にかけられた彼のジャケット。
彼の体温が残っているそれはびっくりするほど暖かい。


「い……いいの? 赤司くんも寒くなっちゃうんじゃ……」
「余計な気を回すな。いいから着ておけ」


素っ気ない口調でふいと視線をそらす彼に、私はじわりと胸の奥が暖まっていくのを感じる。
いそいそとそのジャケットに袖を通してみると、ふわりと彼の匂いがして、胸がきゅんと高鳴った。


「ありがとう、赤司くん」

ニッコリと笑ってお礼を言う。
彼の香りと体温が移ったこのジャケットは私には大きくて、着ていて不恰好になっている自覚はあるけれども、それ以上に彼に包まれているような安心感がある。
それが嬉しくて、私はクスクスと笑った。


「なんだか、あの時みたい。最初にジャケットを貸してくれたとき」
「そんなこともあったな」


私が見上げると、赤司くんが柔らかく微笑んでくれる。


「あのときお前にジャケットを貸すことができて本当によかった」


ぽつりと呟かれた言葉に、私は首を傾げた。


「どういうこと?」


尋ねると、彼はハッとした顔をする。


「何でもない。忘れろ」


早口にそう告げる彼に、私はますます首を傾げた。
もう一度尋ねようと口を開いた瞬間、再び冷たい風が吹き付けた。
ジャケットでは覆いきれない太ももを風が撫でて、ぶるりと身震いする。
と、同時に隣でも彼が同じように身を竦めたのが視界の端に映った。
私にジャケットを貸した彼は、先ほどの私と同じ薄いシャツ一枚で。


「…………赤司くん、あの」

私の言わんとしていることが分かっているのだろう、彼は私の言葉を遮って首を横に振る。

「何でもない。気にするな」
「そんなこと言われても」


寒いんでしょう、と続けようとした言葉を、私の前に彼が掌を突き出して再び遮る。
そして彼は観念したかのようにため息をついた。



「…………お前に風邪をひかせるくらいなら、これくらい耐える」



バツが悪そうな顔でそう言う彼。
そんなこと言われ慣れてない私の心臓はどきりと音を立てた。


「で、でも……! ジャケット着てこなかった私が悪いんだし、赤司くんこそ風邪ひいちゃったらダメでしょ」


どきまぎしながら慌ててジャケットを脱ごうとする手を、彼の手が上から押さえた。


「オレはこれくらいで風邪をひいたりしない。余計な気を回すなと言っただろう」


眉を寄せながら言う彼の言葉には、不思議と従わなければならない気がしてくるのだが、私はその思いを何とか振り払って彼に言う。


「私だって、これくらいで風邪ひくほどか弱くない。赤司くんに風邪ひいてほしくないもん」

「どう見てもオレよりお前の方がか弱いだろう。それならお前が着ておくべきだ」

「それでも、あなたは万が一にでも体調を崩すわけにはいかない人なんだよ。万が一あなたが風邪ひいちゃったら、バスケ部の人みんな困るんだから」


いつの間にか立ち止まって、私たちは睨みあう。
向こうの言い分もすごく嬉しいけれど、だからといって彼に寒い思いをさせたままでは彼女失格もいいところだ。

しかし向こうもまったく引く気がないことは明らかだ。
そしてこのまま睨みあっていても埒があかないことも。
どうしようかと悩んでいるとき、ふと私の手の上に重ねられたままの彼の手のひらに気づく。

その暖かさに、ひとつひらめいたことがあったが、それはあまりに恥ずかしくて私は顔に熱が集まるのを自覚する。


「? どうした」


彼も私の様子に気づいたのだろう。訝しげに眉をひそめる。
言ってみようかとも思ったが、口に出すのは恥ずかしすぎて、私は結局視線を落としただけだった。


「な、何でもない……」
「嘘をつくな。どうしたんだ」


ますます彼の視線が鋭くなり、私は観念して仕方なくゆっくりと口を開いた。



「………手を」

「手?」


「手を繋いだら2人とも暖かいかなぁ、って…………」



私の言葉に、彼は瞠目した。
何か言葉を探しているようにも見える。
しばらく沈黙が続く。

私も必死に何か言葉を探していると、ふいに重ねられた手が動いた。
ジャケットにかけられた私の手をゆっくりと外して、指を絡める。

しっかりと組まれた手のひらは、いわゆる恋人つなぎというやつで。


「――――これでいいのか」


言いながらキュッと力を込めて握られた手に、私の心臓は止まりそうになった。

手を繋ぐと言い出したのはたしかに私だけれど、想定していた繋ぎ方と違うせいで焦ってしまう。
普通の繋ぎ方と違い、指の一本一本まで絡め取られるこの繋ぎ方は私には容量オーバーだ。


顔はもう茹蛸みたいに真っ赤だろう。
初めて繋いだ手のひらに、どきどきしすぎていっそ泣きそうだ。
何を言っていいのか分からなくて、困りながら彼を見上げると、彼の顔がいつもよりもすごく近くて驚いてしまった。
その彼がふっと笑う。


「たしかに暖かいな」


満足げなその笑みに、息が止まる。
繋がれた彼の指が微かに動くたびに私の心臓は大きく跳ねて、もう死にそう。


彼が、行こう、と私の手を引く。
促されるように踏み出した歩調は彼と同じで、そんなことにすら心臓が高鳴った。


たしかに男の子とお付き合いするのは初めてだけれど、私ってここまで耐性がなかったんだ。
パンクしそうな頭の片隅で、その事実にひたすらに驚く。


どこか気まずい空気が流れる。
いや、気まずいわけではない。気恥ずかしいのだ。
お互いに何となく恥ずかしくて緊張しちゃって、私たちの間には無言が続く。
足音と、自分の激しい鼓動と、衣擦れの音しか聞こえない。

ふいにその静寂を、赤司くんが破った。


「――――さっき、初めて会ったときの話をしただろう」

「したね」


唐突な話題に戸惑いながらも、私はこの鼓動が悟られないように努めて平静に返す。
すると、自分から話題を振ったにも関わらず、なぜか彼はまた黙り込んでしまった。
私も特に喋ることがないため、彼の言葉を待って口をつぐむ。

しばらく歩いたら、また彼が口を開いた。



「オレはずっと、お前が好きだった」


「えっ……!?」



突然の告白。ようやく落ち着いた顔の熱が、また上がってしまった。
しかし彼はそんなことは気にも留めずに話を続ける。



「あのときジャケットを貸したのは、お前だったからだ。お前と会話できるきっかけになるという下心で貸した。ずっと見ていた、お前のことを」


「っ…………!!」



そんなの聞いてない。
何で、このタイミングでそんなこと言うの。
彼は私を殺す気なの。

批難の意味も込めて私がバッと彼を見上げると、泣きたくなるほど優しい視線が私を見つめていて。


「だから、お前とこうして手を繋いでいることが、嬉しい。夢みたいだ」


彼が柔らかく微笑んだ。
初めてみる表情。
それは本当に嬉しそうで、顔中で私のことを大好きって言っていて。


「情けないことに、オレはお前のことが好きすぎてどう接していいか分からない。オレの眼は、お前の心までは見ることができないから。言動や行動、全てにおいてどうしたらお前が喜んでくれるのかがまだ分からない。
だから、」


彼がすっと息を吸い込んだ。
真っ直ぐに私の瞳を射抜きながら、また口を開く。


「オレの隣にいてほしい。そしてオレにお前の心を伝えてくれ。寒いなら寒いと、手を繋ぎたいなら繋ぎたいとそう言ってくれ。隣にいてくれ、オレの隣に」


どちらともなく、私たちは歩みを止めた。
そして向かい合う。
彼を見上げると、何か言いたそうに、しかし言葉に迷っているのが分かった。
完全無欠の彼には不似合いなくらいの、戸惑ったの表情。
もう今にも爆発しそうな心臓を必死に抑えて、私は彼が口を開くのを待つ。

やがて、何かを決意したような表情で、彼はそっと言葉を発した。



「――――オレと付き合ってくれ、一生」



オレと付き合ってくれ。通算二度目となるその言葉。
しかし、その意味合いが異なっていることくらい私にでも分かる。
その言葉の重みを考えて、痛いくらい胸を締め付けられながら、私はゆっくりと頷いた。



(シンデレラと王子様は一生幸せに暮らしましたとさ、おしまい)


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