夏<赤司の場合>  Training camp



「げ」
大浴場の扉にかけられた″男子″の札を見て私は顔をしかめた。


洛山高校バスケ部のマネージャーとして、ご飯の後片付けやユニフォームの洗濯などをしているうちに、男女交代で使うこの大浴場の女子の時間帯が終わってしまったらしい。

そういえば女子の時間はかなり早かった気がする、と私は合宿注意事項の紙を思い出していた。


お風呂を逃してしまったからといって、この合宿所にはこの大浴場以外のお風呂はない。
部屋で身体をふくだけにしようかとも思ったが、このベタベタした汗がふくだけでキレイになるとも思えなかった。



時計を見ると日付が変わるまであと一時間。
この浴場はたしか24時までなので、そろそろお風呂自体終わってしまう。


さてどうしようか、と私は考えた挙げ句、覚悟を決めてそろりと扉を開けてみた。


誰もいない。脱衣かごも全て空だ。

やっぱり、皆早々とお風呂に入ってしまったようだ。
練習で疲れてるだろうし当たり前だよね。



私は選手の皆を死ぬ寸前まで扱いてくれた赤司くんに少しだけ感謝して、扉の中に滑り込んだ。
身体に張り付くTシャツを脱ぎ捨てて、一糸まとわぬ姿になる。


からりと扉を開けると、湯気で真っ白な浴場の中にも誰もおらず、私は安堵した。

こんな終了ギリギリの時間に誰も来ないだろうとは思うが、万が一もあるかもしれないので私は素早く身体を洗う。


さっぱりして気持ち良くなって、上がろうともしたのだが、ここでチラリと浴槽が目に入ってしまった。

この合宿所は何と天然温泉が湧いているらしく、赤司くんが密かにそのことを楽しみにしていたことを思い出したのだ。



私はそれを見つめながら考える。


こんな遅い時間だ。
終了まであと30分もない。
もうきっと誰も来ないし、それならちょっとゆっくりして、この疲れた手足を温泉に浸してもバチは当たらないんじゃないだろうか。

しばらく悩んだ挙げ句、その魅力に根負けして私はそっと乳白色の温泉に足先を浸した。



「ふはー……………」


肩までお湯に浸かると、思わず深いため息が出た。

浸かってみたところで正直普通のお湯との違いも分からないけど、温泉というだけで有り難みが増す気がする。
乳白色という色も何だか肌に良さそうな色だ。

日本人でよかったな、なんてくだらないことを考えながら目を閉じたとき。



カラリと、背後で扉が開く音がした。


「えっ!?」

まさか、とバッと振り返ると、そこには。


「………何で女子が入ってる?」


驚いた顔でこちらを凝視する赤司くんがいた。
腰にタオルを巻いただけのほぼ裸と同じ格好で、片手にはお風呂道具。


さっと血の気が引く音がする。



何でこの可能性に思い当たらなかったのだろう。
他の人が定刻どおりに練習を切り上げていても、この人だけはいつも時間の許す限り遅くまで練習し続けることは知っていたのに。



「あの、えと、その、」

何を言えばいいのだろう。
何か言わなきゃ。このままじゃ私は痴女扱いされても文句は言えない。
 

「私、あの、わざとじゃなくてっ」


どうしよう、どうしよう。
狼狽える私に、赤司くんは一瞬何か考え込んで、やがて後ろ手に扉を閉めた。


「とにかく風呂に入らせてくれ。時間がない」

「あ、はいっ」


有無を言わさぬその言葉に、私は扉に背を向けるように居直った。


口をつぐんでしばらく壁を見つめていたら、またあることに気づく。

私、完全に出るタイミングを逃した。


一人で入っていたから当たり前といえば当たり前なのだが、私はタオルを巻いていない。
お湯が乳白色だから浸かっている限り身体が見られる心配はないが、逆にいえばお湯から出てしまえば私はあられもない姿だ。
脱衣所への扉は赤司くんが身体を洗っている水道のすぐ隣で、赤司くんに見られずに出ることは不可能。

こうなったら、赤司くんが先に上がるまでずっとお湯に浸かっておくしかない。



私は壁を見つめながら、早く上がってくれと祈っていた。

しかし。



突然ちゃぷりと音がして水面が揺らいだ。
横目に映る影。
私は驚いて隣を見ると、赤司くんが浴槽に入ってきていた。


「え!? 赤司くん、なんで……っ」
「温泉は浸かるものだろう」
「でも、そんな!」
「嫌ならお前が出ていくといい。本来この時間帯は男湯だ」


じろりと睨まれ、私は言葉に詰まる。
そう、悪いのは時間外にお風呂に入っている私だ。

それでも、羞恥心が消えるわけではなく、私はできるだけ壁際に寄って膝を抱えた。
この非常識な状況に妙に緊張してしまってドキドキが止まらない。



「もっとこっちに来ればいいのに」


浴槽の淵に肘を預けながら、赤司くんが言った言葉に私は目をむいた。


「そ、そんなことできるわけ……!」
「僕は構わないよ」
「私が構うよ!」


私が声を荒げると、赤司くんは面白くなさそうに目を細めた。


「僕の言うことが聞けないのか」
「そっそれとこれとは」
「違わない」


壁にべったり張りつく私が動く気がないと判断したのか、赤司くんは軽く腰を浮かせて彼の方から私に近づいてきた。
迫ってくる支配者から逃げようとするが、逆に角っこに追いやられてしまってもう逃げ場がない。


「あ、赤司く……っ」


赤司くんが近い。
私は裸で、彼はタオルこそ巻いているものの裸とそんなに大差ない。
これ以上近づけばお互いの肌に触れてしまう。


お湯で上気した肌。濡れた髪。
端正な顔が笑みの形を作る。


「僕が触れたいんだから、君に拒否権はないよ」


それは死刑宣告にも酷似した、彼から告げられた言葉に私は諦めて目を閉じた。



(う…………)
(どうした、色気のない)
(き、気分悪……………)
(………逆上せたか)


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