過去拍手 | ナノ

父上は苦手だ。
聖川真斗は己の実父の厳格な態度を思い出しながらそう思った。
だがそれでも嫌いにはなれなかった。

ただただ、あの父の纏う空気に圧倒され、満足に話せない。
それが只管憂鬱で。

そして今も。
父が自分に向けられる期待に、重圧に。
食事や睡眠がままならない日を迎えて二日。


「・・・行くか」


辛くなったらまるで逃げるように足を運ぶところがある。
―――否、『まるで』では無い。
比喩でも何でもない、それは事実だ。
彼処を、彼女を―――逃げ場所にしているのだ。

そう気付いていても、真斗は動く足を止める術を知る由も無くいつもの如く目的地に辿り着いたのだった。



  ♪



灰音は久々に琵琶を奏でていた。
というのも、先日押し入れの片付けを手伝われた際に出てきた琵琶だ。
使ってなさそうだったので調整すれば使えるだろうと勝手に自室に置いたのだが、養父は特に何も言わなかったのでそのまま使わせて貰っている。
片付けを手伝ったのだしこれは正当報酬だ。
・・・間違った事は言っていない筈。


「・・・静かね」


視線を空に向けながらいつものように縁側に座る。
手元を一切見ずに琵琶を奏でるその姿は、普段醸し出している儚さをより一層増していたと言っても過言では無い。

暫くぼんやりと空を眺めていたが、思い出したかのようにまた違う曲を奏でようとした、その刹那。


「・・・真斗?」
「!」


ビクリ。

視界の端で揺れた青色に灰音は一瞬嘆息した。


・・・今度は何だ。


「何?」
「灰音・・・」
「・・・貴方、ちゃんと食事摂ってる?」
「・・・・・・」
「・・・・・・はぁ」


この青い幼馴染は嘘が吐けない。
"昔"一緒にいた彼等とは違い、素直過ぎて裏を読むまでも無い。


「・・・で?」
「?」
「私に散々食べろと言っておいて、貴方が食べていない理由を聞かせて貰いましょうか?」
「・・・言いたくない」
「・・・・・・」


『言わない』のではなく、かと言って『言えない』のでもなく、『言いたくない』とは。


「・・・そ。
ならこれで真斗も人の事は言えなくなるわね。
だって貴方も食べていないもの」
「な、それとこれと違、」
「同じよ」


呆れた目を一瞬向け、今度こそ琵琶をかき鳴らす。

それにより響く音に真斗はゆっくりと目を閉じる事でより鮮明に音が伝わってくる。


・・・奏者と同じ、雪のように冷たい音だ。
だがそれだけでは無い。
何処か孤独で、寂しい音色。
聴いている此方が泣いてしまいたくなるような、そんな旋律。


「悲しい、曲だな」
「・・・」

ピタリ。

真斗がそう発した途端、灰音は奏でるのを止めた。
その為、二人のいる空間に沈黙が走る。


「・・・灰音?」
「そう聴こえたのかしら?」
「?ああ・・・?」
「・・・そう」

伏せられた瞼に真斗ははっと焦った。
そんな、顔をさせたかった訳では無いのに。


「そ、そういえば初めて聴く曲だったな!
曲名は何と言うのだ?」
「・・・『蘇芳』、一応恋愛ものの曲なんだけど」
「・・・・・・恋愛?」
「・・・何よ」

ギロリ。
先程見せた表情は何処へやら。
悲しそうな表情を一転させ、眦が若干上がっている状態の彼女の身体からじわじわと怒気が滲み出てきている。

・・・否、そうは言っても仕方ないだろう。
何せあの灰音の口から恋愛という言葉が出るとは思う筈も無い。
だって彼女は―――。


「灰音は、好きな男が出来たのか?」
「寝言は寝てから言って頂戴。
・・・単純に弾きやすいから弾いていただけよ」

ふい、と己から琵琶へと視線を戻した彼女に真斗は一言声を発した。


「・・・灰音、他の曲も弾いて欲しい」
「・・・は?」
「他の曲だ。
『蘇芳』以外に無いのか?」
「・・・いきなり何?」
「折角だ、この機会に弾いて貰おうと・・・」
「嫌」
「な、何故だ!?」
「何でとも」

いつものような押し問答を迎えた訳であるが、暫くして灰音は真斗の様子が可笑しい事に気付いた。

「・・・真斗?」
「・・・なんだ・・・?」
「眠いの?」
「・・・大丈夫、だ」
「(何処が)
・・・どうせ食事も碌に摂って無ければ寝てもいないんでしょ」
「・・・」

またもや沈黙を返した正直過ぎる青色の幼馴染に本日一番の溜息を吐くと徐に琵琶を奏で始めた。
今度は『蘇芳』ではなく―――『薔薇姫』を。

「灰音は、優しいな・・・」
「・・・ぇ、」

うとうとと船を漕ぎ始めている真斗の身体は少しずつ灰音の背中に凭れていく。
そして真斗が力無く彼女に体を預けるのに、大して時間はかからなかった。


「・・・灰音、これからも・・・こうやって琵琶を弾いて欲しい・・・」
「・・・」
「お前、の琵琶は・・・落ち着く」
「・・・気の所為よ」
「ふ・・・お前は、本当に・・・天邪鬼だな・・・」
「本心なのだから天邪鬼という言葉は可笑しいと思うけど」
「・・・灰音。」
「?」
「大人に、なったら、――、て・・・くれ」
「・・・・・・・・・・・・・・・は?」


最後の最後、真斗が放った言葉に灰音は思わず耳を疑った。
次いで暫く茫然と夢の中の住人となった真斗を穴が出来るのではないかと思う程凝視するのだが、真斗はそれを知る事はなく。

一方、正気に戻った灰音が後に居眠る真斗の肩を揺らしまくるのだが、それはまた別の話。


真斗のラストの言葉は伏せてありますが実はちゃんと答えを用意しています。
もしよろしければ皆様、当ててみて下さい(笑

20130523