恋に恋して | ナノ

黄瀬は笑顔を保つのが此処まで苦しいなんて今日のこの瞬間まで知らなかった。
上手く笑えているか分からない。
モデルを始めてからファンに捕まって笑顔を保っておかなければいけなかった事なんて両手の指の数では足りない程経験している。
だけどそれは彼が選んだ結果なのだから仕方が無いと割り切っていた。

「あ、幽さん!」

しかし。
胸の奥底から黒い何かが這い上がってくる感情に黄瀬は思わず目を逸らしたくなった。
嫌だ、見たくない。

自分以外の事で、そんな目で、そんな声で、そんな笑顔でオレ以外の誰かの名前を言わないで。



  ♂♀



きっかけは単純だった。
黄瀬が黒子に話題を振って、黒子がそれを一刀両断し散葉がその会話に苦笑する。
そんなやり取りで数分が経過した後、散葉の携帯が着信を告げたのだ。
それが、黄瀬と黒子に一つの事実を悟るきっかけだった。


独特のバイブ音に気付いた散葉。
制服のポケットから携帯を取り出し、着信を確認すると申し訳無さそうに柳眉を八の字に下げる。

「ごめん二人共、ちょっと外すね」
「はい」
「仕方無いっスよ」

もう一度謝罪をすると散葉は数メートル離れた所で通話ボタンを押したようだ。

「誰からっスかね?」
「後で聞いたら良いでしょう」
「そっスねーまあ此処からでも散葉っちの声は聞こえるし、何とか分かるかも」
「え黄瀬君分かるんですか」

雑踏の中だと言うのに黄瀬の耳には散葉の声がよく聞こえるとか。
これが恋心の成せる業なのか。
黒子は若干呆れつつも視線を黄瀬から外そうとした瞬間。


「珍しいですね幽さんがこんな時間に電話してくるなんて!」

「―――!」
「っ」


かすか。
その名前を聞いた時、何故か黄瀬の心臓が大きく動いた気がした。

どくり、と嫌な感じで心臓が動く。
今まで聞いた事の無い声。優しい、慈愛が含まれた声。
今まで向けられた事の無い笑顔。大きな信頼と少しの嬉しさと僅かな愛しさが混じった笑顔。

あれ。何で?
「かすか」という名前だけ聞くと男女どちらでも捉える事は可能だ。
だけど、この時黄瀬は直感した。


彼女との付き合いは短い。
半年どころか数ヶ月。
学校の時しか見ていない彼女だが、学校では見せる事が無かった姿を黄瀬はこの時確かに目撃した。


「え?お兄さんの様子って・・・駄目ですよ幽さんそういうのは自分の目と耳で確認しないと。
というよりそっちの方が喜ばれますよ・・・・・・ええ、『そんな事無い』って、何言ってるんですか幽さん。一度実際見た方が良いですよあの人結構幽さんの話をする時結構穏やかな顔をして―――」


「・・・・・・黄瀬君」
「・・・・・・・・・どうしよう、黒子っち」

分かった。
分かってしまった。気付いてしまった。
彼女は自覚をしていないかもしれない、だけど。
見たら分かる。
彼女、折原散葉は『かすか』という人に恋をしているのだと。




「―――二人共待たせてごめ、」
「・・・散葉っち」

何処となく強ばった声が黒子と散葉の耳に届く。
黒子はひやりとした、今までに無い感覚に一瞬襲われる。

「さっきの電話の相手って、誰っスか?」
「え?ああ・・・そう、だね・・・大切な人かな。
何たって(イザ兄の妹だって知っても尚)私を見てくれた数少ない人だから」

花が咲くような笑顔。
夕焼け色の瞳を細めて、幸せそうに笑った。

「・・・そ、っスか。
あ、後一つ聞いて良い?」
「?うん」
「散葉っち、好きな人いる?」
「っ黄瀬く、」
「唐突に聞くんだね黄瀬君って。
・・・いないよ。私を好きになってくれる人って余程の物好きじゃないかなあ」

黒子の静止の声をかき消すかのように散葉の声が被さる。
否、黒子が声を出す事は出来なかった。
からからに喉が乾いて、まるで舌が張り付いたかのように。
元々人間観察を趣味にし、人の何気無い仕草や癖、心の機微に長けている黒子。
そんな彼がこの状況に気付かない筈が無かった。

「・・・・・・・・・そっスか」
「・・・黄瀬君?」

黄瀬は笑っているのに散葉はこの時泣いているように見えた。
気付かなければ良かった。
何故かは分からないけど。そう、聞こえた気がした。



  ♂♀



もう遅いし危ないから、という理由で散葉と別れた黒子と黄瀬。

様子がおかしい事に気付いたらしい散葉が躊躇と戸惑いを混ぜ込んだ表情で黄瀬を見るが今の黄瀬にとってそれは逆効果に近かった。
咄嗟に黒子が上手く彼女を言いくるめて何とか帰宅を促して。

完全に散葉の姿が見えなくなった途端、黄瀬は泣きたいのか笑えば良いのか分からないという表情を浮かべていた。

「・・・っ」

黄瀬君、と黒子は声を掛けようとしたがやはり声は出なくて。
黒子は数瞬迷ったが結局、口を開く気配を見せず、代わりに黄瀬が落ち着くまで静かに傍にいる事にしたらしい。

つかず離れずの、微妙な距離。
下手な慰めをしない、そんな黒子の小さな優しさに黄瀬は再び顔を歪めた。

気持ちを伝える前に突きつけられた現実。
負け戦にも等しいかもしれない。
そう思っても黄瀬の脳裏から散葉の笑顔が消える事は、無かった。

  そうして世界が反転する

『恋々』を書くにあたって決めていたシーン。
無自覚な恋だったから今までの描写でそれらしいものが無かっただけ。
はてさて主人公はいつ気付くのか?
・・・ちゃんと書けるかな・・・(遠い目

20140702