ただ取り戻したかった。
ずっと続くと信じて疑わなかった、小さな箱庭に守られていた日々を。
ひだまりのような掌の温もり、泉のように溢れる優しさ、掌から零れ落ちても尚余りある大切なモノ。
何もなかった私には、毎日がとても輝いて見えた。
だけど、その幸せに幕を閉じたのもまた突然だった。
『だから、』『皆を、護ってあげて下さいね灰音』『生きる尊さを知る、優しい子』『貴女は幸せになるべきなんですから』
ごめんなさい、先生。
私は幸せになんてなれない。
だって、この手はもう真っ赤に染まっているのだから。
優しかったらきっと復讐の道なんて取らなかった。
正しい子だったらきっと先生の言い付けを守っていたもの。
だからこれも悪い夢の続き。
早く目を覚まさないといけない。
私は"こんな所"にいてはいけない存在なのだから。
♪
「どうしてアンタの髪はこんな色なの!!
アタシもあの人の髪も黒髪なのに・・・!!」
がんっ、と鈍い音が響く。
発信音は灰色がかった髪の少女。
母親と思わしき女性から繰り出される拳が真っ直ぐに少女の背中を打ち付ける。
その衝撃で、少女の小さな体は容赦無く床に叩きつけられた。
「っ・・・」
「泣きもしないなんてっ・・・なんて可愛気無いのかしら!」
「・・・・・・」
涙一つ零さない少女の青灰色の瞳は虚ろだった。
そして色白の少女の体の至る所に痛々しいを通り越した、いっそ毒々しささえ思わせる青痣が存在した。
色白なのは単純に外に出ていないから。
青痣があるのは母親からの暴力によるもの。
「・・・けほっ、」
一通り母親の気が済んだのか、荒い息を吐きつつ退出してから数分。
僅かな時間を空けて少女は軽く咳をする。
そして徐に起き上がり、母親の視界に映らないように移動し、力無く倒れた。
・・・泣きもしない?
よくもそんな事を言う。
泣いたら泣いたでまたそれを理由に暴力を振るうのが目に見えている。
泣くどころかいっそ笑いさえ込み上げてくる。
・・・いっそ本当に笑ってやろうか、なんて少女は自嘲にも似た歪んだ笑みを浮かべようとした。
―――だが。
(・・・・・・あ、れ?
そういえば、"笑う"、ってどうしたら出来るんだったっけ・・・?)
笑い方が、分からない。
それは人間として、どうなのだろうか。
人間として大切なモノをこれ以上無くしてしまったら。
松陽先生はなんて言うだろう。どんな顔をするだろう。
"私"が此処にいるという事はもしかしたら先生もこの世界の何処かにいるかもしれない。
そう思ったら、もう、何処にも動けない。
同時刻。
一人の新米警察官と警察学校に通う青年がある住宅街に佇んでいた。
「うーむ確かにこの辺のハズなのだが・・・」
「つかホントに合ってんのか?ガセじゃねーのか近藤さんよ」
近藤と呼ばれた警察官は渋い顔を地図に向けたまま生返事をする。
一方、僅かに緑がかった黒髪を持った青年はと言うと四方に視線を向け、舌打ちを一つこぼす。
「大体お前まで来なくても良かったんだぞ?
お前はまだ学生なんだから、」
「別に俺の勝手だろうが。
それに近藤さんを一人になんて出来るわけねーし・・・っと、こっちの道みたいだな。
行くぞ近藤さん」
「お、おい勝手に行くんじゃない!」
彼等の関係性は一言では語れない。
それでも簡単に言うならば、近藤という警察官を心から慕う青年。
または心から信頼し合う二人と言ったところか。
「虐待されているような声がするという通報内容か・・・。
これが本当ならば早急に保護しなければならんな!」
「ああ」
「行くぞトシ!
地図が正しければこっちの道だ!」
「っオイ近藤さん!?」
―――そしてこの十五分後、彼等と少女は対峙する。
よりにもよって前世、決して仲が良いとは言えなかった三人が交錯する。
その瞬間、三人が思うのは。
20141207