革命前夜 | ナノ

懐かれた。

そう認識するまで時間は然程掛からなかったが翡翠は断固として認めたくなかった。



  ■■



湯浴みをしている間翡翠はこれからどうすべきか考えていた。

(とりあえずお金・・・全商連にでも行くべき?
帰る家はないし何より外の景色を見て回りたいし、その為にもお金は絶対必要だから・・・目下の問題はやっぱり・・・)

翡翠は其処まで考えると一つ溜息をついた。

藍龍蓮。
彼の存在が彼女の今のところの悩みの種だ。

本当に何なんだ彼は。
彼が人の話を聞かないのは彼の言うところの愚兄達の教育が悪かったに違いないと翡翠は一人憤慨する。
だが彼も藍家の者として利用されない為にも色々あったのだろうと予想は出来る。
理解は出来るが納得するかと言われたらそれは別の話だ。

「あー・・・もうまさか出会うなんてなあ・・・」

其処まで考えて翡翠は項垂れる。
母からその知識を聞いた時、なんて面倒臭いんだと思った天つ才。

両親の家名から考えて紅藍両家にははっきり関わる事はそうそう無いだろうと思っていたのに。
藍龍蓮の第一印象は変人だ。
その次は人の話を聞かない、会話がズレることが多い。
だがそれは元々だと言われたら腹が立つ事この上ないが納得する。
恐らく人付き合いというものをした事がないのだろう。

藍家の最後の切り札なのだから万が一捕まったとしても話が通じない、理解不能の人間だったら相手側も諦める可能性もある。
それに関しては藍家も臨む所だったのだろうから家族すらも最低限の付き合いしかなかったのではないだろうか。

翡翠はぼんやりと身体を洗いながらそう考えると眉間に皺を寄せた。

「・・・そういえば」

彼は寂しそうな瞳をしていたと思う。
孤独に慣れている。それが当然だと受け入れている瞳。

その事を思い出した翡翠は悲しいと思った。
自分と同じ年位なのにそれはあまりにも酷な話だ。
もし自分が彼の立場だったら耐えられただろうか―――。

『私と共に旅をしようではないか』

きっとあの言葉は彼にとって。

翡翠はゆっくりと瞑目した。



  ■■



「・・・・・・」
「何、龍蓮。
言いたい事があるならはっきり言ってよ」

湯浴みを終えた翡翠が龍蓮のいる部屋に行くと、向けられたのは龍蓮の怪訝そうな眼差しだった。

湯浴みを終えた彼女の容姿はまるで別人のようだった。
灰色がかった髪は元の輝きを取り戻しており、まるで陽の光のように淡い金色。
埃やらで十人前に見えていた顔立ちも今は線の細い美少女具合だ。
だがそれらとは違い、強い意志を表すかのように輝く翠緑色の双眸だけは変わらなかった。

「・・・女人とは摩訶不思議なものだな。
湯浴みだけで此処まで変わるとは」
「君もその衣装をとったら同じ事を言えるよ。断言する。
ていうか女性なんて化粧すれば誰でも化けられると思う」
「髪を切ったのだな、宿の者に頼んだのか?そちらの方が似合っている」
「・・・うんその通りだよ・・・ええとアリガトウ」

何とも投げやりな台詞だ。
翡翠は龍蓮という人間はこういう人間なんだと割り切ることにした。
そうでないとやってられないというのが彼女の心情である。
奇人変人の類は実の母も似た様な者だったので悲しい事に慣れはある。
だがそれは幸運とは言い難いものであり深く追求すると何とも言えない結果になるだろうと予想出来たので闇に葬った。

「ところで龍蓮、一つ聞くけど貴方も湯浴みをしたの?」
「そうだ」

翡翠はその返答に眉を顰めると同時に龍蓮の後ろへと足を進めた。

「む、どうした旅の朋その一」
「誰が旅の朋だ。
あのね龍蓮、湯浴みをして髪も洗ったのなら身体だけじゃなくて髪もちゃんと拭きなさい!」

そう言うと翡翠は痛くないように指の腹で彼の髪を柔らかな布で拭き始める。
まだまだ濡れている髪に翡翠は内心呆れながらも有無を言わせなかった。
一方の龍蓮はそんな彼女の態度に面を食らってしまっていた。

「ちゃんと髪を乾かさないと傷んじゃうんだよ、知らないの?」
「旅の朋その一、君は何故あの邸から逃げ出したのだ」
「無視か。
・・・あのねえ龍蓮、人付き合いっていうのは相手の事もちゃんと思いやって考えて接していかないとこの先苦労するよ?」

話を聞かない龍蓮に翡翠は人付き合いの心得を説く事にした。
当の龍蓮はピクリと『人付き合い』という単語に肩を震わせる。

今まで自分と向き合ってくれる人間なんて家族以外で誰もいなかったから。
否、家族ももしかしたら向き合ってくれなかったかもしれない。
何故なら自分は藍龍蓮だから。

「人は誰しも言いたくない事とか後ろめたい事とかある。
率直に聞けるのは美点かもしれないけどね、それは時に傷付ける事もあるんだから覚えておいた方が良いよ?」

・・・この言い方だと自分はもしかしなくても触れて欲しくない事に触れてしまったのではないだろうか。

「・・・・・・・・・怒ったのか?」
「え?
・・や別に私は怒ってないよ。でもそう感じたのなら貴方にとってそれは進歩だね。
もし怒ってると感じたのなら『ごめんなさい』って言って許して貰うのが一番良い。
―――で、さっきの質問だけど・・・あの屋敷の人達って所謂人買いでね、どれ位あそこにいたのか分からないけど閉じ込められていたんだ」

あっけらかんと答えた翡翠に龍蓮は思わず瞠目する。
それ、は―――。


「・・・・・・・・・」
「でも君の笛のおかげで邸から無事逃げ出せた。
だから私は龍蓮に感謝しているよ」

ある程度まで髪が乾いたところで翡翠は龍蓮と向かい合う。
次いで何の含みも無い純粋な笑顔を浮かべた。

「助けてくれて有難う龍蓮。
これでようやく私は外に行けるよ」

その笑顔は、感謝の気持ちは龍蓮にとって初めての事だった。
一人の人間として、ただの藍龍蓮としてお礼を言ってくれたのは。

「・・・うむ。では、そろそろ寝るとしよう。
君が抜け出したとバレたら面倒だからな、明朝この街から出よう」
「・・・・・・そうだね」

確かにバレたらなかなかに面倒だが、このままだと彼に旅に連れて行かれそうだ。
考えるだけで頭痛がするのだから此方の方が厄介とも言えるだろう。
翡翠は思わず遠い目をした。

「どうした旅の朋その一、元気がないが」
「・・・・・・」

殆ど君の所為だ、と思ったが彼女は沈黙を保った。
何を言っても彼の前では水泡に帰す。

彼と出会ってから半日も経っていない筈なのに何故これ程理解が出来るのか。
其処まで考えると翡翠は泣きたくなった。

「心の底から放っておいて。それとその呼び名は止めて」
「旅の朋は旅の朋だ。風流だと思うが。
ああそうだ君は外が見たいと言っていたな、ならば私が風流な場所を案内しよう。
なに遠慮は無用。一人旅より二人旅の方が有意義なものになろう」

目を輝かせながら龍蓮は高らかに言った。
翡翠はピシリと凍り付くがすぐに確信した。

きっと自分が思う風流と彼の風流は恐ろしくかけ離れているに違いない―――。

そしてもう一つ。
此処まで自分を連れて行こうとする龍蓮にある可能性が浮上した。

・・・何というかこれは・・・。

翡翠はまさかと思いながら心の中で呟く。

(・・・もしかしてもしかしなくとも懐かれた?)

  そして歯車が廻る

この時の主人公はまだ口調は歪んでいない設定。

20150609