花雪シンフォニア | ナノ

「羽島さん無事ですか!?」
「おい一旦カメラを、」

ナイフを持った女性は今完全に伸びている。
その事にようやく気付いたスタッフは撮影を止めるようにと指示を出したり警察を呼ぶようにと声を上げている。

そんな彼らを平坦に見るだけだった幽は徐にマネージャーへと口を開く。


「・・・卯月さん、ちょっと離れても良いですか」



  ♂♀



一方のトキヤは眼鏡のレンズ越しに見た一連の流れに脳が本日何度目かの現実逃避を促す。
しかし彼の理性がそれを現実だと訴えかける。

それもそうだろう、金髪の彼を何度見てもその細い体から「看板を投げつけた」という事実がどうしても結び付けられないのだから。


「っおい此処から逃げるぞ」
「え?」


咄嗟に言われた言葉にトキヤは思わず従ってしまい、考えるよりも先に静雄に続いて駆け出す。
当然彼女、羽島幽との距離は大きく開き、振り返った視界にはもう彼女の姿が見えなくなっていた。




「・・・悪かったな」
「え?」
「驚いただろ。頭では分かっていても実際に見るのとでは違うからな」
「・・・・・・頭では?」
「・・・あ?」

唐突に謝罪されたトキヤの脳内には疑問符が尽きず、静雄の台詞を脳内で反復しても疑問符が減る事はない。
一方の静雄も自分の事を知っているという思い込みから発した言葉だったのだが、トキヤの反応により此処でようやく噛み合っていない事に気付いた。

「・・・お前、俺を知らないのか?」
「え?す、すみません何処かで会いましたか?」
「・・・・・・質問を変える。お前、俺の名前を知ってるか?」
「・・・いえ」

この言葉により静雄は確信した。納得した。


・・・どうやらこれは一から説明した方が良さそうだ。


静雄は自身の髪をぐしゃりとやや乱暴に掴む。
そして小さく唸る。


自分は説明といったものが苦手だ。
それこそ自分の天敵、折原臨也の得意分野で簡潔に的確に話せるのだろうが、生憎自分の得意分野は彼とは真逆。
しかも何処から説明すれば良いのか。

まずは己の名前と・・・。


「あー・・・」


どう話したものか。
静雄が言葉を選んでいると、後ろからかけられた声に一瞬瞠目した。



「・・・兄さん、こんな所にいたんだ」


こつ、と小さな足音と共に現れたのはとてもついさっき命を狙われたとは思えない程落ち着いた、人形めいた女性だった。
女性―――平和島栞は黒曜石の双眸でゆっくりと静雄、トキヤの順に見る。

そして何かを口にしようとした瞬間、トキヤの声が割って入った。


「・・・"兄さん"?」
「・・・」
「あ?」


トキヤの僅かな動揺に気付いた静雄と栞は揃って首をかしげる。
果たして今の台詞に何を動揺する事があるのか、と思った栞だったがそれも数秒のこと。


そういえば自分と兄の関係を言っていなかった。

この様子だと恐らく兄も伝えなかったのだろう、しまったという表情が前面に押し出している。


とりあえずいつまでも沈黙を貫くわけにもいかないか。
栞はいつも通りの淡々とした声でトキヤに今まで伝え忘れていた事実を何て事無さ気に告げる。

まるで三軒隣りの家で飼っている猫が三匹産まれました程度の、重大な事実ではなさそうな感じに簡単に手渡した。


「一ノ瀬君、今更だけど貴方の前にいる人は私の兄さんなんだ」
「・・・え?」
「名前くらいは聞いた事があるんじゃないかな。
というより兄さん自己紹介はしたの?」
「・・・・・・してねえ」
「ちょ、ちょっと待って下さい、平和島さんと兄妹って、」
「兄さんも『平和島』だし紛らわしいから名前で良いよ」
あ、はい。っではなく!」

どさくさに紛れて名前呼びを許可された事に一瞬面食らったトキヤだったがすぐに平常心を取り戻す。
だがいつもの調子はまだ戻ってはいないようだ。


「兄さん、」
「あ、あー・・・平和島静雄だ」

ぶっきらぼうにそう言われた名前にトキヤは一瞬目眩がした。

何せ池袋で一番恐れられている人物と同じ名前である事と、そういえば彼女と同じ姓である事に何故気付かなかったのかという己の迂闊さに。


だけどそれ以上に。
十分ほど前に彼に抱いていた黒い感情が薄れていくのを感じたトキヤはひっそりと安堵の息を吐く。

(ーーー良かった。何がとは言わないですが、本当に良かった)

予想以上に重く、暗い感情だったらしい。
嫌な音を立てていた筈の心臓は凪いだ音に変わり、いつも通りに音を刻んでいる。

肩の力が抜けたトキヤの変化に平和島兄妹は気付く事はなく。

  混乱、後に誤解をとく

呆気無くネタばらし。
あまり引っ張ってもあれなのでこれ位で丁度良いかなと。

20150531