花雪シンフォニア | ナノ

とりあえず一十木君に言われた通り、腕を離してみたが一ノ瀬君は微動だにしなかった。


・・・・・・。

・・・え、何で?
私、何もしてないよね?
ただ本当に心不全なのかそれとも一ノ瀬君が原因なのか確かめる為に腕を掴んだだけなのに此処まで驚かれるとは思わなかった。
もしかして私が気付かなかっただけで嫌われていたとか?
うわああああその可能性に気付かなかっただなんて平和島栞一生の不覚と言うべき!?
恥ずかしい!!穴があったら迷い無く入りたい!!
兄さん助けてええええええ!


等と、栞が内心絶叫しているとは想像だにしていない音也は意識が何処かに飛んでしまっているトキヤに手をひらひらと目前で動かしたり肩を揺すったりと意識の回復を試みていた。

「ね、ねえトキヤ?トキヤああああ!」
「・・・・・・」

彼の意識が回復するまでそれから数分かかったのだった。



  ♂♀



「・・・すみませんご心配をおかけしました」
「・・・」

ふるふる、と首を左右に振ると栞は無表情を変えないまま小さくその言葉を口にした。

「僕が驚かせてしまったのが原因だから君が謝る事は無いよ。
考え無しに触ってごめん」

・・・じっと目を凝らして見れば、いつもの無表情ではなく僅かに眉が下がっている、ような気がする。多分。
彼女の真の理解者になる為にはこの無表情から感情を読み取れて初めて認められるとか認められないとか。

そんな事をつらつらと考えながらトキヤはふと、栞の濡れた黒髪に気付いた。

「・・・羽島さ」
「あっ羽島さん!まだ髪が濡れてるしドライヤーで乾かしてきたら?
洗面所はこっちだし、風邪でもひいたら大変だよ!」
「・・・・・・音也」
「えっ何でトキヤが怒るの!?」
「じゃあ、一十木君のお言葉に甘えて洗面所とドライヤーを借りようかな」
「案内します」
「大丈夫、お風呂を借りた時に場所は把握しているから」
「・・・・・・そうですか」

がん、と目に見えない何かが頭にぶつかったような感覚がトキヤを襲った。
気にしすぎなのは分かっているが、どうも拒絶されたような感じがする。
・・・それもこれもこのルームメイトの所為だ。

若干、否多大に八つ当たりめいた感情を音也にぶつけると、殆ど反射的に音也は仰け反った。
後に猛獣のような目をしていた、と音也は語る事になるがそれは余談である。



  ♂♀



栞が洗面所にて髪を乾かし始めたから数分経った頃。
先に沈黙を破ったのは音也だった。

「・・・でさあ、トキヤ。聞いても良い?」
「嫌です」
「即答!?ぶっちゃけ聞くけど羽島さんとどういう関係!?」
「嫌だと言ってるのが分からなかったんですかこの馬鹿!」
「だって気になるじゃんあの誰に対してもクールなトキヤがあんな顔をするんだからさ!
ねね教えてよ!」
「 絶 対 に 嫌 で す 」

絶対零度の風が音也を襲う。
未だかつて此処までの拒絶を受けた事が無い音也は一瞬怯むも、負けずに食いついた。

「トキヤ冷たい!良いじゃん俺面白がったりしないって!
羽島さんがトキヤにとって凄く大事な人なんだって俺にだって分かるし」
「・・・・・・、・・・・・・は?」
「え?」

音也が再びトキヤを視界に映すと其処には知らない外国語でも聞いたような表情をした彼の姿があった。
その姿に音也も混乱した。
・・・何かヘンな事、俺言ったっけ?


「・・・・・・大事?」
「え?」
「大事な、人?」
「・・・あれ、違った?」
「違・・・いえ、ですが、」

震える声、瞠目する紺碧色の瞳、茫然に近い表情。

無意識に手を口元にやり、記憶を掘り返す。

「・・・・・・トキヤってさ、自分の顔を見た事ってある?」
「あるに決まってるでしょう」

何馬鹿言ってるんですか、と顔に出しているトキヤに音也は言葉が足りなかったと気付いた。しまった。

「えーっとそうじゃなくてさ!
羽島さんと話している時のトキヤ、俺が見た事無い位笑ってたんだよ。
だから俺羽島さんの事が大事なのかなーって・・・・・・―――トキヤ?」
「・・・・・・笑ってたんですか?」
「そうだけど」
「誰がです?」
「そんなのトキヤに決まってんじゃん!」
「・・・・・・・・・」

トキヤはゆっくりと音也の台詞を脳内で反復する。
次いで浮かんだのは彼女の声。



『目の前で苦しんでて、泣きたくても泣けない、まるで迷子のような瞳をした人を助けられないまま終わるのが一番心残りだ』


『貴方は、心を失くしてしまったって言ったけど私はそう思わない』




『だから―――大丈夫。
切片があれば人は変われる。
人を変えることが出来るのは、同じく人なのだから』



その言葉と共に思い出したのはいつもの無表情を僅かに崩した微笑。


「・・・!」


気付いた。気付いてしまった。
これでもう、気付かなかったあの頃には戻れない。

トキヤの中で燻っていた"名前の無い感情"に恋心と名付けられた瞬間だった。

  君に捧げる感情論

とうとうトキヤが自覚しました。
そしてまた主人公が出てきていない事実。
どうしよう、そろそろ最終章なんだけど、これまでの伏線を回収出来るのか。
・・・考えないようにしよう(遠い目

20140802