花雪シンフォニア | ナノ

『世界』とは何か。
トキヤの回答を聞いて栞は笑おうとしたが実際笑えたかどうかは彼女自身も分からなかった。

歪に笑っているのか、それとも全く表情筋が動いていないのか。
自分の事なのに全然分からなかった。

それが、きっと彼女と彼等の違いなんじゃないかとこの時栞はふと気付いた。
この考えが正解かどうかは分からないけど、本当に何となく。
そう、思った。


「・・・そう。
・・・・・・私はね、一ノ瀬君。よく分からないんだ。
何が分からないという事じゃない。そういう事じゃないんだ。
私、"私"は、」

平和島栞であって平和島幽じゃない。
それだけは確かだ。
現実と割り切っていた筈なのに、"彼"の言葉一つで簡単に動揺したという事はそれ即ち、心の何処かで自分は異端だと思っていたという証拠ではないだろうか。

『自分』は異端だから違和感を感じない程度に避けていた。
何故なら『平和島栞』は本来居ない人間だから。
兄の静雄を始め、彼等は最初から一人の人間として接していてくれたのに。
それを無視していたのは、気付かないふりをしていたのは自分の方だ。

「・・・」
「平和島さん?」

認めよう。
知らないふりをするのはもう終わり。
遅すぎるかもしれないけど、『キャラクター』ではなく『ひとりの人間』として見るのはひどく時間がかかるかもしれないけれど。
それでも、やらない理由にはならない。



不思議な気分だと栞は感じつつ無意識に張っていた気を抜き、肩の力を抜く。
トキヤが僅かに紺碧色の瞳を瞠ったのに栞は気付かない。
―――その瞬間、防音対策がしっかり果たしていた所為で気付かなかった一人分の大きな足音と声が部屋のドアが開くと同時に二人の耳を響かせた。


「たっだいまー!ねえねえトキヤ!トキヤもマサ達の部屋で一緒に今日の反省会をしな・・・・・・は、羽島幽!?え何で此処にいるの!?俺部屋間違えた!?でも俺のベッドがあるし合ってるよね、あトキヤ!」
「・・・・・・・・・音也」
「・・・・・・・・・・・・」

嵐と暴風雨と台風が一気に来たようだと、けたたましく現れた音也を見て思わず硬直したトキヤと栞の心が一つになった瞬間だった。



  ♂♀



「ええええっトキヤが羽島さんにお風呂を貸したの!?あのトキヤが?HAYATOじゃなく?」
「どういう意味ですか」
「・・・どの一ノ瀬君かは分からないけどとりあえず目の前にいる一ノ瀬君に借りたね」
「嘘だよあのトキヤが!俺が羽島さんの立場なら絶対に『自分の世話位自分でしなさいこの馬鹿音也』とか言うに決まってるのに!!」
「・・・・・・」
「羽島さんと貴方を一緒にする方が間違ってますよ」
「酷い!」

確かに酷いと一瞬思った栞だが声に出すのは流石に止めた。
言ったら最後、更に収拾がつかなくなりそうだと判断した為である。

「ねえ羽島さんもそう思うよね!?」
「今日が初対面の貴方が何いきなり同意を求めているんですか!」
「それトキヤが言うの!?」
「・・・・・・」

ぎゃあぎゃあと騒ぐ二人に栞は賢明にも沈黙を貫いた。

(・・・さっきの一十木君の物真似上手いなあ。
あ、でもそれって真似が出来る程言われているって事かも・・・・・・深く考えないようにしよう)
「何かヘンな事を考えていません?羽島さん」
「何も(バレた!?)」

濡れた黒髪をいつまでも放っておくわけにもいかず、栞はタオルで無造作に髪を拭く。
勿論その行為にはトキヤの視線から逃れる理由もあるが秘密である。
元から無いかもしれないが、年上の威厳が更に減る。むしろ無くなる。それは嫌だ。

「・・・・・・先程ぶりです一十木君。
改めて羽島幽です、番組レポートのサポート役お疲れ様でした」
「え、あ、いえその、此方こそ有難う御座いました!
じゃなくって、いやそうじゃなくって、あ、俺一十木音也で、」
「音也落ち着きなさい、日本語話せていませんよ」

ぺこりと軽く頭を下げる栞にぎょっと慌てながらも礼を返す音也。
トキヤは一人、何だか初々しい二人がお見合いでもしているような感覚を覚えた。
・・・例え彼女が表情筋が微動だにしなくても。

「ていうか羽島さんって先輩じゃん!
うわああすみません俺全然敬語とか礼儀とかしてなくて、」
「別に僕は気にしていません」
「・・・何だろう此処は素直に喜ぶ場面なんだろうけど、それってダメな気がする」
「認めたくはありませんが其処は音也に同意します」
「え」


音也だけでなく静かに同意したトキヤに栞はがん、と頭に衝撃を受けた。
それでも表情は変わらなかったが分かる人にはわかる。
栞は地味にショックを受けていた事に。

「・・・そういえば音也、貴方もうしばらく帰ってこない筈では?
レンはともかく聖川さんに迷惑をかけていないでしょうね」
レンは良いんだ・・・。
・・・ええとさっきの仕事で反省会をしよっかなーって話になってさ。
だからトキヤもどうかなーって誘いに来たんだけど・・・」
「電話をするという手段は無かったのですか」
「あ゛」
「・・・呆れてものも言えませんよ」
「あはは・・・あ、あーもしかしてトキヤを呼ぼうと部屋から出た時に翔が言ってたのってその事だったのかも・・・」
「・・・・・・・・・はあ」
「あはは・・・ま、まあ羽島さんが来てるなら仕方が無いよね!
俺、マサ達に電話でやっぱり止めとくって言っておくよ!」
「お願いします」


黒髪の間からのぞく黒曜石の瞳。
彼女の視点からで言うと、音也と会話している時のトキヤは年相応に見えた。
今の彼と自分と一緒にいる時の彼を比べると、やはり無理して話していたのかもしれない。
それ位、今のトキヤは自然体で。


「・・・・・・良いなあ」


栞は何故か分からないが、この時漠然と思った。彼は私がいなくてもちゃんと自然体でいられる。笑えるのだ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

トキヤと自分が共にいた時間は彼等と比べても極端に少ない。
比べなくてもすぐ分かる。


「・・・・・・」


水分を含んだタオルと黒髪が何故か気持ち悪い。
いや本当に気持ち悪いのは心臓だ。

知らない感情が次々と湧き起こる。
その、感情の名前は。


(・・・ルリさんなら分かるかな。
どうして、胸が痛いのか。こんな気持ちになるのか)

想いの名を知る時、確実に変わる事を予感した。

  そうして別れと始まりを告げる鐘が鳴る

あれ、あれ・・・トキヤに自覚させよう回だった筈なのに主人公が気付きかけている、だと・・・?
いつまでもシリアスなのは『花雪』らしくないと思い急遽音也をログインさせました。
やっぱり音也が一番トキヤと絡ませやすい。
そして本編で入れる予定は全く無かったのですが結果オーライ?

20140706