花雪シンフォニア | ナノ

「目の前で苦しんでて、泣きたくても泣けない、まるで迷子のような瞳をした人を助けられないまま終わるのが一番心残りだ」


今の彼を例えるなら"迷子"。
私のうろ覚えな記憶が正しければ、彼はあまり人に頼らない。
だから苦しくても泣きたくても、誰かに吐き出さない。
"あの時"のように、壊れそうになっても。

それは、それはとても、―――。


「・・・それは、どういう意味での発言でしょうか?
ただこの状況を打破する為から発しただけの、私のご機嫌取りですか?」
「どうかな。自分でもよく解らない。
僕は人の心が解らないとよく言われるし。
後は・・・何を考えているのかよく解らないとも言われる。
僕もそう思う。自分でも自分が解らない。・・・他でもない自分の事なのにね」

なんか可笑しい方向へと進んでいるような気がするけど、私の口は止まらなかった。
私は普通に過ごしていた筈なのに。
だけどシズ兄さん等一部の人以外から、私は何を考えているのか全く分からないと言われる。
笑わないなんて、可笑しいと。

もしかしなくても、私が気付いていないだけで転生した時から私は何処か壊れてしまったのだろうか。
ああでも。それでも私は一つ知っている。
性別が逆転するという、歪な形で平和島幽という人間に成り代わってしまった私だけど。


「・・・だけど、それでも知っている事はある」
「・・・?」
「助けを求めている人の手を振り払う奴は、人として最低だ」


・・・ネタ晴らしをするとこれは『カーミラ才蔵』の台詞だ。
彼がこの台詞を知ってるのかとか、その前にB級映画だし見ているのかどうかすら怪しいけど!
でも彼は確かに、あの時助けを欲していた。
だから私は、手を振り払わない。


「それ、は・・・『カーミラ才蔵』の台詞ですよね・・・」
「うん、僕の尊敬する人の一人だよ」
「尊敬って・・・貴女が演じたキャラクターですよね・・・?」
「そうだよ?」

うん。
最初はただ勢いに負けて女優業をしていたけれど、やっていくうちにじわじわと心の奥底で芽生えた感情に気付いたのはそう遠くなかった。
自分では到底出来そうにない事でも私が演じる人達は簡単にやってのける。
それはなんて、羨ましくて―――愛おしいのか。


「僕は、殺人鬼の役でも噛ませ犬の役でも生徒に恋する教師の役でも、僕が演じてきたキャラクターは全員覚えてるし、尊敬している」
「・・・・・・っ」
「僕は昔から表情が表に出なくて、ずっと家族に心配されてきた。
それに僕は・・・ちょっと特殊だ。
だから余計にそうなのかもしれない。
もしかしたら僕が気付いていないだけで、人として大事な物が色々欠けてしまっているのかもしれない。
だから―――だから僕は、役者になった」
「ぇ・・・」
「撮影で僕が演じさせて貰う、色々な『人間』から欠けてしまった物を分けて貰う為に」


"原作"の幽君ももしかしたらこんな気分だったのかな。
平和島幽君に成り代わってしまった事が原因で私は人として大事な物が欠けたのかもしれないけど、真相なんて分からない。
それでも私がこの世界に生まれた事に意味があるのなら。


「・・・すみません。
善意で助けて下さったのに、そのお礼を言わずにこんな・・・恩知らずな事をしてしまいました」


沈黙の末、彼によって拘束されていた両腕が自由になる。
長時間拘束されてた事もあり、両手首が少し赤くなっていたがこれ位なら仕事に支障は無いだろう。
・・・多分。

「・・・有難う御座いました。
あの時も、・・・今回の事も。本当に、」
「・・・うん」
「本当は、貴女が"あの時"声を掛けて下さった事、嬉しかったんです」
「うん」
「誰一人、気付かなかったのに・・・貴女は、貴女だけが気付いてくれた」
「・・・そうだったの?」
「ええ。・・・手首、痛かったでしょう?
・・・痣になっていますし・・・」
「大丈夫だよ。
これ位、生きていたら治るし」
「そういう問題では無いでしょう・・・」
「僕にとってはそんな問題だよ」
「私が、気にします」


それでも、私がこの世界に生まれた事に意味があるのなら。
どうか彼が再び、道に迷わないように、道を指し示せるように。

トキヤがもたれかかる事ではねた髪の毛が頬や首筋に当たって擽ったい。
・・・というよりも彼の身体、異様に熱いのだが気の所為では無いだろう。
多分、否確実に悪化している。

栞が内心どうやってごく自然に氷枕を用意しようか考えていると、トキヤは栞の肩に顔を埋めたまま口を開いた。

「・・・襲おうとした私がこんな事を言うのも図々しいですが、・・・また"あの時"のように接して頂けませんか・・・?」
「・・・"あの時"と同じ・・・?」
「ええ・・・貴女の本来の一人称は、"僕"では無かった筈です」
「・・・、」
「どうか、私には"あの時"と同じように接して欲しいんです・・・」
「・・・っ」
「勝手な頼みだと分かっています。ですが・・・」

彼は必死に口を動かしているが、栞としてはもう限界だった。
お願いだから其処で喋らないで・・・!

声が震えないよう、平常心を持って何とか紡いだのは自身の名前。
少し変な間が空いてしまったがそれは彼女にとって精一杯の虚栄心だった。
全部、全部動揺を悟られない為の。

「・・・・・・平和島、栞」
「・・・え?」
「それが、私の名前。
私の本来の、・・・本当の名前・・・」
「平和島、栞さん・・・?」
「そう」


栞の名前を呼んで約三秒。
トキヤはゆるりと頭を持ち上げる事で再び紺碧色の双眸と黒曜石の双眸が交差した。

「私は・・・私は、一ノ瀬トキヤです。
今日は、本当に有難う御座いました。
ずっとあの時のお礼を言いたかった、この気持ちに偽りはありません。誓って、」
「・・・うん」

熱によって火照った、彼の赤い頬。
そんな彼を見ながら栞は内心で「知ってるよ」と呟く。
代わりに、無表情を崩して安心させる為に微笑する。

私生活においては自然に笑う事は出来ないが、何故か演技だと表情筋が動く。
演技ではないからもしかしたら歪かもしれない。
それでも精一杯笑って彼に伝えたい言葉があるから。

―――大丈夫だよ一ノ瀬君。

知ってる。分かってる。
君はそんな酷い人間じゃない事位。
顔を見れば分かるから。
だからそんな顔をしないで。

君は確かに初めて会った"あの時"から前に進めているよ。


『だから―――大丈夫。
切片があれば人は変われる。
人を変えることが出来るのは、同じく人なのだから』


私も多分、貴方に会えて少しずつ変わっているのだと今ならはっきり言えるから。

  「初めまして」をもう一度。

主人公side後編。
書いてて気付いたのは連載当初はこんな風に進めようとは思ってなかった事。
主人公もトキヤも私の思惑から外れて成長しているんだなと思うと複雑な気分です。

20131027