花雪シンフォニア | ナノ

「小傍さん、引退するそうですね」
「ッッ!!」


翔は文字通り飛び上がりそうになった。
音も気配も無くいきなり声をかけてきた羽島幽は心臓に悪い。

しかも無表情で声にも抑揚が無いのだから余計に怖く感じる。
いやいや自分はこんな格好をしていても心は男だろ何ビビってんだ来栖翔!


誰に言い訳をしているのか、翔はばくばくと大きく鼓動している心臓に殆ど無意識に手を置く。
そんな翔を他所に栞は黒曜石の双眸をゆっくり瞬かせつつ、ただ一言言葉を放つだけだった。


「・・・すみません、驚かせるつもりは無かったのですが」
「い、いえ・・・」


表情に出てねーよ!
翔は力の限り突っ込みたくなったが、ここ数日彼女と仕事をしてきた事で、翔は一つの事実を嫌と言う程痛感していた。
それは羽島幽という人間が撮影以外は本当に無表情である事だ。
お礼を言うときも謝罪を言うときも例外でなく、表情筋が本当に無いのではないかと思う位の無表情。


「・・・引退、本当なんですね」
「はい」
「そうですか」


会話終了。
先日翔の友人である七海春歌が彼女と以前出会った事があると聞いたのだが、その時一体何の会話をしていたのか是非教えてほしい。
深く聞いていなかったのが災いした。
ちゃんと聞いておけば良かった。
しかしあのテンションで話す春歌のマシンガントークは中々に辛い。
否、そもそも自分は女装モデルであってあまり多く話せばその事がバレてしまうかもしれない。
という事はやはりあまり多く話さない方が最善の策なのだろうか。



・・・そういえば。
春歌の突然の登場で忘れていたがあの音也の反応は何だったのだろうか。
いつの間にか有耶無耶にされてしまい結局分からないまま。
音也の性格上、羽島幽のファンだったら極端な事を言えば春歌みたいな感じになるだろうからその線は薄い。
では一体何なのか。

変と言えばトキヤもそうだった。
音也から聞いたのだろう、羽島幽と一緒に仕事をしていると知った時のトキヤの態度も可笑しかった。



『・・・翔、貴方は・・・』
『なんだよトキヤ?』
『貴方は、羽島さんと・・・・・・』
『羽島さん?』
『・・・・・・・・・っいえ何でもありません、忘れて下さい』
『は?っおいトキヤ!』

「・・・・・・」
「・・・あの、羽島さん」
「はい」


翔の冬の空のような澄んだ空色の双眸と栞の夜色の双眸が交差する。


「その、・・・・・・」


―――一ノ瀬トキヤを知っていますか?


翔はそう聞こうとしたが声に出る事はなかった。
何故なら一つの疑問が生じたからだ。


―――そう聞いてどうする?
そもそもトキヤと彼女が知り合いとは限らない。
トキヤの双子の兄、HAYATOと彼女が知り合いでその関係でトキヤも知っているのかもしれない。
だがそれならあの時の、トキヤの表情や態度がかみ合わない。


トキヤの表情―――色々な感情が混ざりに混ざったような、自分でも持て余しているかのような複雑な、でも何処か苦しそうだった。

そんな表情をさせる彼女は一体トキヤとどんな関係なのか。


翔は結局その問いを口に出せないまま、女装モデルを引退する事になったのだった。

  水面の下、交わるのは    

これにて第6章は終了です。
・・・こんな風に終わる筈ではなかったんだけど、何故こうなったのか。
はてさて第7章は皆様も想像通りの展開になるかと思います。

20121212