花雪シンフォニア | ナノ

全てを、話した。

幸い、自分達以外の人がこの場所に来る事は無く。

自分の今の現状。苦しさ。辛さ。

今まで誰にも話さなかった事を、余す事無く。




「・・・・・・・・・」

彼女は否定しなかった。かといって肯定することも無かった。
話の合間に相槌を打ち、目を逸らす事無く、只聴く側に徹していた。
(これを傾聴と言い、カウンセリングの一つの技術であることを後にトキヤは知る事になる)


トキヤは話を終え、栞を盗み見る。
栞は目を閉じ、トキヤの話を自分の中で纏める為に少し考えるような素振りを見せる。
あくまで素振りなだけでその顔はいつも通りの無表情であった為、トキヤには凄まじい違和感があった。

暫くして。
栞の瞼がゆっくりと開け、黒曜石の双眸を覗かせた。

彼女が再びトキヤを視界に納めると同時に口を開く。
その内容は、トキヤにとって少し意外なものだった。





「・・・・・・そう。―――本当に、そうなの?」
「―――え」
「貴方には本当に、ないの?」

一瞬、何を聞かれたのか分からなかった。
思わず目を逸らしそうになったが、彼女の目を見ると、逸らせない。
それどころか、逸らしてはいけないと思わせる何かがあった。
逸らすどころか―――吸い込まれそうになる。

声が、言葉が、出ない。


「本当に"大切な物"を、失くしてしまったの?」
「それ、は」

改めて人から聞かれると、答えられなくなる。
何か言わなくてはならないのに、言葉が出ない。

思わず目が、肩が、心が、震えた。

そんな私の心中を見透かしたかのように、彼女は更に言葉を募る。

「貴方の歌に対する想いは分かった。
その歌を理解し、完璧に歌う為に時間が欲しいと思っていることも。
だけど与えられる時間が酷い時には一時間しかないことも今聞いた。
でも、その時間に貴方はその歌の事を何一つ理解出来ないまま歌うの?
十、又は百ある内の一つでも分かったことをその歌に乗せて歌っていないの?
―――人生何事も甘くない。人生は常に選択を迫られる。
・・・時にはその選択肢さえ与えられない時だってある。
だからその状況で最善と思われる行動をするしかない。」


薄っぺらいと思った歌。
全然、心が篭もっていない、それどころか技術的にも未完成な歌。
そんな歌を好きだと言ってくれるファンにどうしようもなく、申し訳なくて。


歌うことが好きな私にとって今の私の音楽は納得が出来ない。
寧ろ屈辱さえ感じる。
そんな現状が続いている所為で私は大切な物――心を失いかけている。

誰もいない時には、少しずつ心が崩壊する音が聞こえてくる時だってあった。
否。其れは幻聴で、実はもう失っているのではないだろうか。


何も言えなくなってしまった私に彼女はトドメの様な一言を放った。




「もしも貴方が此処で絶望して立ち止まって。何も行動しなかったら。
きっと貴方は一生何も変わることなくこのまま終わるんだろうね」


―――ッ!!
無機質な声に、いっそ残酷なまでに突き放した言葉に、思わずカッとなった。
身体中の血が煮えたぎったかのように、熱い。


「貴女はっ・・・!」


トキヤは衝動的に立ち上がる。
思わず拳を握り締め、栞の何の感情も映していない、まるでガラスの様な双眸を今度は臆する事無く睨みつけた。

トキヤは言葉にならない声を出す。
何か言いたいのに言葉が出ない。
怒りか、嘆きか、絶望の言葉なのか。
色々な感情が混ざりに混ざり合って、声を、肩を、――心を、震わせた。


―――それでも、彼女の顔は、表情は、変わらなかった。
それが、逆に不気味に思えた。


「―――此処で貴方が諦めてただ仕事をこなした結果、精神を殺すか。
今の状況を打破する為に、何らかの行動を起こすか。
数ある選択肢の中からどれを選択し、決断して行動するのかは貴方次第だよ」

過去はどんなに願っても、望んでも変えられない、変える事が出来ない。
だから、今と未来を変えるにはどうすべきか考えて、選んで、決めて、動いてみろ。

その言葉に、何故か急速に身体が、頭が冷えていく。
突き放すような言葉を言ったかと思えば、今度は何を言い出すのか。
彼女はやはり、よく分からない。

トキヤは再び座り、栞と視線を合わせた。


「・・・・・・・・・何らかの行動、ですか」
「そう。
・・・もしかしたら貴方の精神状態に気付いた誰かが状況打破する為のチャンスをくれることもあるかもね」
「・・・・・・非現実的ですね」

そんな都合の良い話がある訳が無い。
第一"誰か"って誰なのか。
思わず、溜息を吐きたくなったが、彼女はただ一言返すだけだった。

「でも有り得ない話じゃないよ」

・・・彼女は何かを確信している様な口ぶりだった。
堪らずに聞いてみようと口を開けようとした瞬間。

「・・・まぁ人間万事塞翁が馬って言うし。大丈夫だよ」
「何も解決しませんね。
それにその大丈夫という言葉にも一体何の根拠が・・・」
「何の根拠が無くても、言葉が必要なときがあるから」
「それは・・・」
「今の貴方には気休めでも必要だと思う。
後は理解者かな・・・」
(・・・理解者、ですか)

彼女の言葉に、先程聞こうとしたことが消える。
消えて、違う単語が頭に残る。


理解者。
今この場で挙げるとすれば、それはきっと、彼女を指すのだろう。
果たして彼女が其れを自覚しているのかは別として。

「それに人生甘いことばかり起きていたら人間は堕落する一方だよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・それはどういう意味ですか」


・・・彼女と話していると本当に調子が狂う。
だけど決して嫌悪感や、不快感が無い。
だからこそ不思議だった。

自分は、事なかれ主義ではなかったか。
積極的に他人と馴れ合うことを、好む人間ではなかった筈なのに。

「?特に意味なんて無いけど」

無表情で、若干首を傾げる彼女を見ているとたまらなく『私』が『私』でなくなるような。
こんなことは、初めてで。
どうしたら良いのか、分からなくて。
だからなのか溜息を吐いた後、つい心とは正反対の言葉を言ってしまった。


「・・・・・・・・・まぁ貴女の言葉は一応頭の片隅にでも残しておきます」
「そう」

そんな私の言葉もまるで気にしないと言うように彼女の言葉は簡素で、素っ気無くて。
表情が変わらないから、本当に気にしていないのか、それとも実は不快に思ったのか分からない。
・・・対応に困ります。

一瞬、トキヤに不安がよぎるが栞はそんなトキヤを全く気にすることなく、急に立ち上がる。
その動作は洗練された、綺麗な立ち上がり方だった。

「・・・顔色がさっきより良くなったみたいだし。私はもう行くね」

トキヤが視線をズラすと片手に珈琲缶が握られている。
・・・何となく申し訳ない気持ちになった。
しかしそれよりもまず言わなければならないことがある。

「えぇ・・・有難う御座います」
「―――え」

・・・何故お礼を言ったのにそんな声を出すのですか。
そんなに私がお礼を言うのが意外に思ったんですか。
だが、たった今素直になれず可愛げの無い言葉を言ってしまったので仕方が無いといえば仕方が無いのだが。
なので、もう少し今度は素直に言ってみる。

「貴女が話を聞いてくれたおかげで少し気が晴れました」
「・・・そう」

・・・その時の彼女の顔が少しだけ笑った様に見えた。
だけどそれは瞬き一つで元の無表情に戻っていたので目の錯覚かもしれなかった。


その後何故かアメを渡され、立ち去ろうとする彼女だったが、くるりともう一度私の方へ向き直る。
視線が、交わる。重なる。交差する。


「最初の質問だけど」
「―――え?」
「貴方は、心を失くしてしまったって言ったけど私はそう思わない。
だって、貴方は悩んでるし苦しんでる。
本当に心が無い人はきっとそんなことを感じられないんだと思う。
だから―――大丈夫。
切片があれば人は変われる。
人を変えることが出来るのは、同じく人なのだから」


その言葉にトキヤの深い藍色の双眸がくっと瞠目する。
栞はそう言うと静かに、今度こそ去っていった。


これはまだ、彼女が人前で自身を"私"と言っていた時のこと。

これはまだ、彼が『自分』を見失いかけ、壊れる寸前だった頃のこと。

これはまだ、彼と彼女が自覚する前の―――物語。


  それはきっと、明日へ繋がる一歩だから 

第四話、トキヤside後編です。
こうして見ると勘違い要素を活かしきれているのか謎ですね。
はてさて再会はいつにして、次のキャラは誰にしようか。

20120322