その日、コウはいつもより早く舟を出した。霧はないのだが、暗い水の上に浮かぶ灯りもまた、コウの他には見受けられなかった。
 さびしい音を立て水を掻いていた舟は、城のふもとを通りかかると、ほとりで停止した。
 コウは闇に目をこらした。目が何かをとらえるより先に、犬が息を切らしたり唸ったりする声が耳に届いた。
 野犬でもうろついているのかと、コウは櫂を握りしめたが、闇に慣れた目に入ったのはまぐわう人間の姿だった。
 二人の人間は一つのかたまりとなり、醜い物の怪のようにうごめいていた。女と思われる方は一言も発さず、男の方だけがすすり泣くような声を立てて体を揺らしていた。
 コウが舟から降り、砂利を踏みしめると、その音に肩を震わせ、男は声にならない声を上げてどこかへ走り去ってしまった。女は着物をはだけさせたままだらりと横たわっていた。コウは心配して覗きこんだが、女は笑っていた。女は、あのときの少女だった。
 コウの心配はしぼみ、代わりに落胆が頭をもたげた。コウの中で少女は、神秘に満ちた存在になりかけていた。しかし実際のところは、犯されてもへらへらしているだけの愚か者だと、気づかされてしまった。
 少女の乱れた着物をコウは直してやり、聞いても詮ないことを問うた。

――あんなことされて、平気なのか。
――平気だよ、お金ももらえるし。

 コウが思ったより少女はまともに答えたが、少女が承知の上で体を売っていたということに、コウは呆れと怒りの混じった息を吐いた。
 コウは舟から干物を取り出し、ほとりの少女に手渡した。少女は無邪気に喜び、そのまま食らいつこうとしたので、コウは少女の手首を握って止めた。

――まず火であぶってから食べた方がいい。

 少女はちゃんとコウの言ったことを理解し、お預けを食らった犬よろしく大人しく干物を握りしめた。そんな意図はなかったのだが、コウは少女に餌を与えたような気持ちになり、罪悪感と嗜虐心を味わうはめになった。

――お前、名前はあるのか? 無いならつけてやる。

 餌を与えたついでに、コウは名前も与えてやる気になった。どうせ幼い頃に捨てられた恵まれない子なんだろう、と侮っていた。
 しかし少女の答えは、コウの予想に反していた。

――名前ならあるよ。スイ。あなたも名前を持っている?

 コウの口の中はまた苦くなった。奥歯を噛みしめ、コウ、とだけ答えた。
 告げた名前が火種となったかのように、スイの顔に笑みが咲いた。何が嬉しいのだろうか、また両足を揃えてばたばたと動かしている。やはり魚の尾のようだ。コウは、どうしてスイは笑えるんだろうと不思議に思った。
 娼婦というのは皆こうなのだろうか。すなわち、邪気のない聖女であり、ある種の痴呆である。でもまったくの馬鹿ではない。むしろその鋭さに、コウの胸はざわついた。
 水際で足ひれを遊ばせるスイを傍らに感じながら、コウは雲を突き抜ける頭上の城を見上げた。城の天辺に棲む人魚姫も同じだろうか。白痴じみた面と全知の聖人めいた面を合わせ持つ遊び女。愚かしい男のすべてを包みこむが、抱きしめている姿と食らっている姿の区別はつかないのだ。



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